チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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6年1組クラス会 ~スバル360~

2010年09月26日 | チエの玉手箱
各人がそれぞれ近況報告をしたり、ビンゴゲームをしたりして一次会を楽しんだ後、個室の一部屋を開放しての二次会となりました。

みつお:「先生!俺、先生に指揮棒でたたかれたの、よく覚えてますよ。痛かったなあ。」

ノリコ:「うんうん、私も覚えてる。」

きぬ :「そうそう、全員たたかれたよ。連帯責任だって。
     今だったら、体罰とか言って大変だけどサ、あの頃はそういう時代だったのよ。
     私たちだって、悪いことをしたって、ちゃんと判ってた。」

小木先生:「あの頃は、そういう時代だったんだよ・・・」

きぬ :「そういえば、アタシ、今でも覚えてるんだけど、
     先生の車、えーとなんだっけ?テントウムシじゃなかった。カブトムシ?」

ミノル:「スバル360だ。」

きぬ :「それそれ、スバル!ツヨシさんが二階の窓からスバルの屋根めがけて、お習字の墨汁かけたのよ。
     それで、小木先生がものすごく怒って、ビンタされた」

小木先生:「・・・・・   」

ミノル:「ツヨシがぁ。あいづは、わりいごどばっかしやっでだなぁ。
     みんな、あいづにいじめられでだべ?」

ノリコ:「うん、私なんか帰る方向が同じだったから、いつもいじめられてた。」

チエ :「そういえば、先生!あのスバルは、当時いくらだったんですか?
     中古車でしょう?」

ミノル:「バガ!あの頃は、中古車なんてねがったんだ。みんな新車だ。」

チエ :「あっ!そっかー」

小木先生:「ツヨシが、墨汁かけたことなんてあったかなあ?まったく覚えてないよ。
     あのスバル360ね。
     それがねえ、値段は忘れちゃったけど、月賦で買ってね、
     ボーナスつぎ込んでも間に合わないくらい大変だったんだよ。」

チエ :「そんなに高かったんですか・・・
     新車のワリには、よく学校の前の修理工場に入ってましたよね?」

小木先生:「いや~、あの頃の車はすぐ故障してねえ。
     なにしろ、今のように舗装されていない砂利道だろう?
     毎週実家へ帰るだけで、サスペンションがやられちゃって、修理工場のお世話になってばかりだったよ。」

チエ :「なるほどー、そういう訳だったんですか。まだ、技術が進歩してなかったんですねー。」


アバター

2010年09月13日 | おしらせ
 5月から始めて、今、はまりにハマっているサイト「ニコッとタウン」のアバターが表示できるブログパーツが、やっとgooブログにも貼り付けられるようになりました。
(実は、1ヶ月も前から提供されていたのに、知らなかった~ ><)
 そこで、左サイドバー、プロフィールの下へ表示しましたので、見てね!
チエ(ニコタのハンドルネームは、おだんご)のマイページは、ブックマークにあります。
ニコッとタウンのおだんごにも、会いに来てくださいね。
下記のページから、どうぞ!
おだんごのマイページ

お知らせでしたぁ!

久慈川のアユ

2010年09月07日 | チエの玉手箱
 スーパーの魚売り場で、たまたま生アユを見かけ、「そういえば、久慈川で食べたアユはうまかった」という話になりました。この夏は私がクラス会に行ったくらいで何処にも出かけなかったので、食べに行くことにしました。
 目指すは、茨城県との県境、矢祭町のJR水郡線矢祭山駅ちかくの鮎専門の食堂です。
息子たちが小さかった頃、袋田の滝に行く途中に立ち寄って食べたアユの塩焼きがとてもおいしかったのです。
自宅から、片道約2時間のドライブ旅行。



ここが、目的地です。
3軒並んでいますが、一番手前の美人おかみさんが経営する「つるや」さんに決めました。




子持ちアユを注文。脂がのっているというより、淡白でサラッとして美味しかったです。
私たちがおいしい、おいしいを連発していると、美人のおかみさんが、「焼き過ぎですけど、どうぞ!」と1匹おまけしてくれました。ラッキー!
焼だんごとやきとりも食べ、お腹いっぱいです。



こちらが、久慈川。
鮎釣りをしているところを撮りたかったのですが・・・
ごめんなさい。無精して、走行中の車からの撮影です。
小さく釣り人が写っています。(わかるかなあ?)