チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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はじめての方は「チエちゃん」のカテゴリからお読みいただくことを推奨しています。 もちろん、どこからお読みいただいてもかまいません。

大伯皇女

2008年06月30日 | チエの玉手箱
 わが背子を大和へ遣(や)るとさ夜深けて
    暁露(あかときつゆ)にわが立ち濡れし

                  大伯皇女(おおくのひめみこ)

 いとしいひとを大和へ返すとて、私は夜更けにひっそり見送ったのだ。
 夜明け前の露にぬれそぼって。  (大岡 信)


 大伯皇女は、天武天皇と天智天皇の娘、大田皇女の間に生まれた姫です。
父天武が天皇に就いたとき、伊勢の斎宮に選ばれました。ここに読まれている「わが背子」とは同母弟大津皇子のこと。

 大津皇子は天武天皇の第三皇子で、文武共に優れ、有力な皇位継承者でしたが、天武崩御後、義母持統天皇(大津皇子は実の姉の子)により、謀反の罪をきせられ、死罪となったのです。
天武の死後わずか23日後のことでした。

 その直前、大津皇子は伊勢の大伯皇女にこっそりと会いに行くのです。
おそらくは、これが永遠の別れとなることを知っていたのでしょう。
なんともせつない歌です。


 歴史の流れに翻弄されながらも、この時代の人たちは運命にしっかりと立ち向かった・・・そんな気がしています。



第148話 思い出せないよ

2008年06月26日 | チエちゃん
 3日間の期末テストが終了した翌日、担任の尾形先生は、いつにも増して厳しい顔つきで教室に現れました。
ザワついていた教室が静まるのを待って、先生は一通り全員を見渡し、口を開いたのでした。

「今日は、諸君に悲しい報告をしなければならない。
 昨日の早朝、菊池が亡くなった。」

(エッ!)

 ザワ、ザワ、ザワ、・・・・・・

「昨日はテスト期間中だったから、落ち着いてテストが受けられるよう、皆には知らせなかったんだ。」

(ウソッ!? 菊池君、昨日欠席してた? テスト受けてたハズだよね・・・)

「一昨日、菊池はテスト勉強をしていたらしい。
 少し、仮眠してから勉強しようと思ったようだ・・・。
 身体に電線を巻きつけ、時間がきたら電流が流れて、目が覚める時限装置を使っていたそうだ。
 一昨日は、その自作の時限装置で事故が起こった。
 菊池は事故で亡くなった。」

教室は、シーンと静まり返っていました。
みんなは、先生の言葉を信じたフリをしました。

真実はどうあれ、立て前がまかり通ってしまうことを、チエちゃんたちはもうとっくに知っていたからです。
そして、大人社会ではあたり前のように使われていることも・・・・


 チエちゃんは、菊池君が自ら命を絶ってしまったことにショックを受けていましたが、それよりも、昨日、彼がこの教室にいなかったことに気付きもしなかった自分が腹立たしかったのでした。

 自分のことだけしか考えていなかった。期末テストのことだけで頭の中がいっぱいだった。
 あの日、クラスの誰も、彼のことを気にかけていなかった。

 菊池君は、何を考えていたんだろう? 一体何が、彼を死に誘ってしまったんだろう?




君のお葬式の日は、どしゃ降りだったこと覚えてるのに、

菊池君、ごめん。もう、君の顔、思い出せないよ・・・





第147話 地震

2008年06月18日 | チエちゃん
 その日、チエちゃんは5時きっかりに会社を出て、夕飯の買い物をしようとスーパーへと向かったのでした。
梅雨入り前の暑い一日で、西に傾いた夕日が真っ赤でした。
仕事に慣れ、一人暮らしも板に付いてきたチエちゃんは「今夜は何を作ろうか?ちょっと早いけど、冷し中華でも作ろうか。」と考えながら、歩いていたのです。

 小さな町の商店街は、わずか数百メートルの間に、町役場を中心として本屋さん、薬局、金物屋兼ガソリンスタンド、米屋、酒屋、呉服屋と並んでおり、役場の向かい側には、以前は絶え間なく自動織機の音が響いていたであろうと思われる機織工場の土塀が続いていました。
お目当ての小さいスーパーは、そんな商店街のはずれにあったのです。

 チエちゃんはちょうど、役場の前に差し掛かったとき、フラッと目眩を感じたのでした。

 目眩?

 いや、違う! 私が揺れてるんじゃない!地面が揺れてるんだ。

 地震?大きい! 塀の近くにいたら危ない。

そう判断したチエちゃんは、道路の真中に移動しました。
顔見知りの本屋のおばさんも飛び出してきました。

 その時、チエちゃんは地面が波打つのを初めて目撃したのでした。
道路沿いの電柱の間の電線も、見た事もないくらいに、たわんでいます。
話には聞いていたけれど、本当に地面が波打つとは・・・
激しい縦揺れが続きましたが、どうにか立っている事はできたのでした。

 アパートに帰って、部屋の中を確かめると、台所の食器棚の茶碗やコップが片方に寄っていたものの、幸い割れてはいませんでした。

昭和53年6月12日 17時14分に発生した宮城県沖地震でした。
あれから30年、災害は忘れた頃にやって来る。


このたびの岩手・宮城内陸地震の被災地の皆様、心よりお見舞いを申し上げます。

本ができました!

2008年06月14日 | チエの玉手箱
 あれから7か月、ようやく念願の書籍化が実現しました! 
ずっと以前から、子どもの頃の思い出を一冊の本にまとめてみたいという夢が、とうとう叶いました。
お値段は少々高めですが、自費出版をすれば、数十万から百万円くらいは掛かってしまうことを考えれば、たった1冊、自分の楽しみのためだけに本を作るには、大変有難いシステムだと思います。。
MyBooks.jp」さん、ありがとうございました。

 さて、どうして、7か月もかかってしまったのか・・・

 初めは、投稿記事が限度の480ページになるまで待とうと思っていたのです。
しかし、だんだん記事は変な方向に向かってしまったし、お値段を計算してみると、15,000円を超えてる!
 そこで、まあ、まとも?に書けていた2007年11月末までの記事を載せることにしました。
早速、PDFを作成。
しかし・・・、「日付ごとに改ページ」を設定したので、極端な場合、文末の1行だけで1ページを占めていることもありました。1ページたったの27円といえどもバカになりません。そこで、編集作業をしました。
これがまた、大変なのです。
修正しても、すぐには反映されません。バックアップデータが生成されるまで1日待たなければなりません。何処をどう修正したのか、判らなくなってしまいます。
昨年末あたりがんばってみたのですが、面倒になり、一度挫折しました。
今回、気を取り直して、根気よく編集作業を続け、とうとう出来上がりました。

  B6標準サイズ 346P(ただし、本文は334P 表紙・目次も含む)
  カラー印刷 ブックカバー付き 厚さ14㎜

  
  「はじめに」と目次を入れました

  
  空いた余白には、こんな風に飾り罫や画像を追加しました

  
  画像は荒さの目立つ写真もありますが、まあまあきれいです

  
  裏表紙です

 そして、今回もチエちゃんのイメージイラストを使用させていただきました。
さじカンさん、本当にありがとうございました。

 世界でたった1冊の「昭和めもりーず」の仕上がりに大満足のチエでした。


函館旅行

2008年06月10日 | チエの玉手箱
 結婚記念日だからということではないのですが、2週間ほど前に急に思い立ち、先週末、1泊2日で北海道函館市に行って来ました。
申し訳ありませんが、思い出にお付き合いくださいませ。

JRを乗り継いでの旅です。青函トンネルを通ってみたかったからです。

 行く途中、ちょっとしたハプニングが・・・
福島を出るときは、雨が上がっていたのですが、盛岡辺りで雨に追付きました。
それでも、八戸で乗り換えた特急列車スーパー白鳥は、快適に走っていました。
ところが、青森に駅に着くと同時に、「津軽線、集中豪雨のため、この列車は運転を停止します。」
「ええ~~、そんな~~~!!」
乗客たちは、皆、席に座ったまま、どうしたものかと思案顔です。
そのうち、「この列車は、八戸へ折り返し運転をします。」のアナウンス。
私たちは仕方なく、電車を降りました。
一体どうなってるんだ!と不満を口にしている人もいます。
私たちは、どうなるの? 予約したホテルに行けるの? 

しばらくして、駅員さんが説明に来ました。
集中豪雨のため、現在点検中であること、こちらに向かっていて途中で、足止めされている列車が安全を確認後、折り返し運転することなどを説明してくれました。

2時間近く遅れて、ようやく函館に着きました。疲れました~。
それで、五稜郭タワーに着いた時はすでに、5時半を廻っており、ゆっくりと眺めることができませんでした。それに雨も降っていましたしね。

函館山からの夜景も諦めました。残念でしたが、お天気はどうしようもないです。

でも、ホテルはとっても良かったです。
お料理も美味しかったし、お部屋に温泉露天風呂が付いていました。
もちろん、旦那様と一緒に入りました。

 
 各客室に露天風呂が付いているのがこのホテルの自慢
 シーズンには、イカ釣り漁のいさり火を見ながら、温泉を楽しめます

 
 翌日、函館朝市に!たくさんのお店が並んでいます

 
 もちろん、カニを買いました

 
 路面電車で、観光

 
 有名な赤レンガ倉庫 異国情緒が漂います

 
 赤レンガ倉庫の中はお土産屋さんになっています
 ここで、おみやげに「白い恋人」をお買い上げ

 
 函館山から望む函館の街

 
 ご当地マンホール蓋 五角形の中は旧函館区公会堂




Sweet ten ガラス玉

2008年06月06日 | チエの玉手箱
 ちょうどその頃、ジュエリー業界のCMに乗せられ、Sweet ten ダイヤモンドの指輪が流行っていました。

 結婚10年目に、夫から妻へ愛を込めて贈る 10粒のダイヤモンド 

こんなうたい文句じゃなかったかな?

 チエちゃんは、何気なく新聞広告を見ていました・・・

 なんだ、欲しいのか?
 買ってくれるの?
 バカ高いのじゃなければな・・・
 うれしい!!



 これがいい!
 そんな偽物でいいのか? せっかくなんだから、本物にしろよ!
 ううん、これでいい。本物かイミテーションかじゃなくて、あなたからのプレゼントってことが大切なのよ
 それに、本物のダイヤだと、毎日気軽にできないもの
 失くしたら、どうしようなんて考えちゃって・・・
 このガラス玉で十分よ

 あたしって、貧乏性にできてるね
 あとで、後悔すんなよ!



いま、ちょっと、後悔しています・・・・・
 

第146話 バレーボール部

2008年06月02日 | チエちゃん
 中学生になったチエちゃんとナオちゃんは、約束どおり、バレーボール部に入部したのでした。

 しかし、あこがれと現実は、食い違っているのが常というものです。
当時の中体連は、9人制を採用していました。「アタック№1」のように6人制ではありません。(カッコよさに欠けるんですよ)
さらに、コートは体育館ではなく、屋外、それもグラウンドを占領している野球部とソフト部に遠慮したプール脇の狭いスペースなのでした。
公式試合でさえ、屋外のコートだったのですから、回転レシーブなどしようものなら、身体中 擦傷だらけになってしまいます。
 
 あ~ぁ、鮎川こずえちゃんは程遠い・・・・・

 それに、1年生はコートでの練習など、できません。
ランニングの後、パス・サーブの練習をしたら、コート内でアタック練習をする先輩たちのサポートのボール拾いか、1年生だけ「うさぎとび コート3週」なんて命令が下るのです。
それでも、いつかは先輩たちのようになりたい、鮎川こずえちゃんのようになるんだと、練習に励んだのでした。

 あれは、秋の新人戦のことでしょうか?
3年生が引退したとはいえ、レギュラーは2年生、チエちゃんたち1年生は補欠です。チエちゃんたちのチームは苦戦していました。3セットマッチの1セットを落とし、2セットめも点差は開いていました。

 その時、顧問の山崎先生が言ったのです。
「チエ、次、行くぞ! ピンチサーバーだ。」
ちょ、ちょっと、待って。そんなあ、急に・・・

こうして、チエちゃんは、サービスエリアに立つことになりました。。心臓はドキドキです。
ここで、チエちゃんは迷いました。
オーバーサブにしようか? いやいや、サーブは絶対入れなくちゃ!
安全なアンダーサーブにしよう!

 チエちゃんの打ったサーブは、ネットすれすれに相手コートに入り、運よく選手達の間にストンと落ちました。
やった!サービスエース。よし、次も・・・

でも、事は、そう何度も運よく運ばなかったのです。
その後、ナオちゃんや数人の1年生も交代で、初めての公式戦に出場したのでした。
敗戦の濃くなった試合で、少しでも1年生に、経験をさせようという先生の配慮だったのでしょうか?
帰りのバスの中で「チエのアンダーサーブには、敵も面食らったよなあ!」と先生は笑ったのでした。