チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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はじめての方は「チエちゃん」のカテゴリからお読みいただくことを推奨しています。 もちろん、どこからお読みいただいてもかまいません。

事故ってしまった?

2007年10月31日 | チエの玉手箱
あちゃ~~~!!!
これ、何だか分かります?
そうです、私の愛用車(愛車ではない)のナンバープレートでございます。
 ナンバープレートだけ、事故りました。
引っかけられ、W字に曲がってしまった・・・
加害者が夫ではねえ・・・
笑うしかなかった  ハハハハ・・・

チエちゃんの青春 第2回(昭和ダイアリー編)

2007年10月29日 | チエの玉手箱
チエちゃんは「かぐや姫」の大ファンだったわけですが、かぐや姫の代表曲といえば、みなさんは何を挙げますか?

「神田川」

そうですね。彼らをよりメジャーにしてくれた曲ですし、4畳半フォークの代表曲といっても過言ではないでしょう。
しかしです。チエちゃんとしては、敢えて、「神田川」以前の「アビーロードの街」または「僕の胸でおやすみ」を挙げたいと思います。
このあたりがチエちゃんの天邪鬼なところでありまして、「神田川」は作曲が南こうせつさんですが作詞は喜多条 忠さんです。純粋な意味での彼らの曲ではないんですね。
あまりにも、商品化されてしまったというか、ヒットを狙ったというか・・・。
でも、「神田川」が名曲であるということはチエちゃんも認めます。
この辺は、賛否両論、意見の分かれる部分ではないでしょうか。(分かれないかなあ、笑)
みなさんのご意見をお待ちします。

そして、チエちゃんのお気に入りは、次の3曲。

「じんじろ橋」 「加茂の流れに」 「あの人の手紙」

全部、悲恋の歌です。超泣ける。

 さて、チエちゃんのその後は・・・・。
高校生になったチエちゃんには、あこがれの先輩がいました。
高1の時って、なぜか2コ上の先輩(高3)方がカッコよく見えて気になるものです。
1コ上(高2)の先輩方はアウト・オブ・眼中。
あこがれの先輩の名前は、鈴木 剛くん。
「つよし」って読むんだけど、通称「ゴウ」くん。今のタレントでいうとKAT-TUNの亀梨和也くん似の超イケメン君です。

 ある時、本屋さんで剛くんを見かけたチエちゃん。
どんな本見てるのかなあ。こっそり様子を覗いてみると、なんと「かぐや姫フォーク全集」を見ているではありませんか。この本はチエちゃんも欲しくて、買いたいと思っていたものです。
やがて、剛くんは本を持って、レジに行きました。
ああ、残り1冊だったのに剛くんが買ってしまった。
でも、彼もかぐや姫ファンであることがわかりました。うれしい~。

 チエちゃんは、どうしても「かぐや姫フォーク全集」が見たい。
そして、剛くんにアタックするチャンス。
意を決して、3階の3年生の教室に行きました。そして、剛くんを呼び出してもらいました。
それまで一度も口を利いたことはありませんでしたが、彼の周りをウロチョロしていたので、きっとチエちゃんのことは知っているはずです。

 チ エ:あのう、突然すみません。
     この前、本屋さんで「かぐや姫フォーク全集」買いましたよね。
     あれ、私もどうしても見たかったんです。貸してもらえませんか?

 剛くん:うん、いいよ。

あっさりOKしてくれて、拍子抜けしました。あんなに緊張して、3年生の教室へ行ったのに。
そして、教室から本をとってきて貸してくれました。
天にも昇る気持ちというのは、こういう時をいうのでしょうか。
やった! 剛くんと始めて話した。かぐや姫フォーク全集を貸してくれた。

1週間後、チエちゃんはかぐや姫フォーク全集を返しに剛くんの家に行きました。
なぜ、剛くんの家を知っていたかって?
そこは、ストーカー・チエちゃん・・・じゃなくて、知ることは簡単だったのです。
チエちゃんも、剛くんもバス通学で、同じ方向のバスで通っていました。
チエちゃんの村の隣町に住む剛くんは、あるバス停で降りると、その真前の家に入って行くので、ココが剛くん家なんだと知りました。
呼び鈴を押す時も、ドキドキです。お母さんやおうちの人が出てきたら、どうしよう。
運よく、剛くんが出てきてくれました。

 チ エ:あの、「かぐや姫フォーク全集」どうもありがとうございました。

 剛くん:なあんだ、わざわざうちまで来てくれたの。学校でもよかったのに。

チエちゃんは、お礼にギターのピックをプレゼントしました。どうやら剛くんがギターを弾くらしいからです。そして、剛くんの優しい言葉に満足感でいっぱいになり、剛くんの家を辞したのでした。

 チエちゃんと剛くんの関係は、その後、何の進展もありませんでした。
高1の女の子とあこがれの先輩という関係以外は。
それでも、チエちゃんの青春の1ページを飾る大切な思い出です。

追記 「かぐや姫フォーク全集」はその後、本屋さんに取り寄せ注文をして買い求め、今も大切に持っています。(画像)

つづく




注; この記事は、2007年1月10日昭和ダイアリーに掲載されたものを一部編集しました。

チューリップのアップリケ

2007年10月26日 | チエの玉手箱
「チエちゃんの青春」第2回をご期待の皆様、申し訳ありません。ここで、ちょっとブレイクです。書きたい波が押し寄せてきました・・・
岡林信康さんの「チューリップのアップリケ」には、少し思い出があります。

 私が小学6年の頃、にしゃばあちゃん一家は家業の豆腐屋を廃業し、F市へ転居することになりました。
子供であった私は知りませんでしたが、大人たちの間では、ここで一悶着あったらしいのです。
 転居新築するにあたり、住んでいる土地(田んぼ付)が売れないことには、資金が不足していたのです。生家の窮状を見兼ねた祖母は、祖父と父に土地を買ってくれるよう懇願したのです。それも、地価よりも相当高い値段です。
生さぬ仲であった父と祖母は、これが原因で揉めて、しばらく口を利かなかったそうな・・・

 それでも、どうにか話はまとまり、無事転居し、その新築の家を訪問することになりました。賢一兄の車で向かう途中、その歌はカーラジオから流れてきました。

 うちの家は貧乏で、お金のことが原因でお母さんは家を出て行ってしまった。
 お父さんも買ってはくれるけれど、チューリップのアップリケの付いた
 スカートを、私はやっぱりお母さんに買ってほしい。
(だから、お母さん、早く帰ってきて・・・)

こんな意味の歌です。
ダミ声の大阪弁で歌う悲しいその曲は、誰の何という曲なのか聞き逃してしまったのですが、私の心の中に刻まれることになったのです。

 そうして、数年後、深夜放送を聴くようになって、
「次の曲は、岡林信康さんでチューリップのアップリケ

   うちがなんぼ早よ 起きても
     お父ちゃんはもう くつトントンたたいてはる
     あんまりうちのこと かもてくれはらへん
     うちのお母ちゃん どこへ行ってしもたのん・・・」

すぐに、あの時の曲であることに気づきました。
 それ以来、「チューリップのアップリケ」は私の大好きな曲になり、岡林信康さんの他の曲も次々と聴いていったのです。
 彼は60年代フォークの時代に活躍し、団塊の世代の方々に人気のあったシンガーです。
あの頃のフォークソングは、70年代よりもメッセージ性が強く、反戦歌や社会を風刺した曲が多かったようです。

チエちゃんの青春 第1回(昭和ダイアリー編)

2007年10月23日 | チエの玉手箱
 こんにちは 〝チエちゃんの昭和めもりーず〟管理人チエと申します。
この度、ゲストライターとして投稿させていただくこととなりました。
〝昭和めもりーず〟番外編「チエちゃんの青春」を4回シリーズでお送りします。
どうぞ、よろしくお願いします。さてさて・・・

 チエちゃんが、初めて五つの赤い風船の「遠い世界に」を聴いたのは、中学3年の時でした。
お友達に誘われ、某高校合唱部の定期発表会に行った時のことです。
難しい合唱やチエちゃんでも知っている童謡などの発表のあと、一番最後に出演者・入場者による全員合唱が始まりました。

 ♪遠い世界に 旅に出ようか
  それとも赤い風船に乗って
  雲の上を 歩いてみようか
  太陽の光で 虹を作った
  お空の風を もらって帰って
  暗い霧を 吹き飛ばしたい

この歌、何? みんな楽しそうに歌ってる!
みんな知ってるのに、私だけ、知らないなんて!
マジ、カルチャーショックでした。

 前々年にはソルティ・シュガー「走れコウタロー」、前年にははしだのりひことクライマックス「花嫁」がヒットし、この年にも吉田拓郎「結婚しようよ」「旅の宿」がヒットしていたので、フォークソングというジャンルがあることは知っていました。
でも、自分の知らない世界があることに驚き、流行に取り残されている気がしました。
自分はなんて幼稚だったのだろう。

 昭和48年('73年)高校生になったチエちゃんは、どんどんフォークソングにのめりこんでいくことになります。
まさに、フォーク全盛の時代。この時すでに、フォークの旗手吉田拓郎は大スターでありました。

 そして、チエちゃんは「かぐや姫」に出会うこととなります。
南こうせつのあの歌声にチエちゃんは魅了されたのです。当時多くのフォーク歌手はTVに出演しませんでした。(そこがカッコよくもありました) 
家にステレオが無かったので、チエちゃんが彼らの音楽を聴く唯一の手段、それはラジオ、深夜放送を聴くことでした。お父さんにおねだりして短波放送も聴ける高級なラジオを買ってもらいました。

 毎週水曜日、学校から帰ったチエちゃんは夕飯とお風呂を済ませると、午後7時~8時には布団に入ります。
そして夜中の12時頃に起き出し、一応ちょっと勉強。このあと、1時~3時まで南こうせつの「パック・イン・ミュージック」を聴くのでした。
ここで、いろいろなフォーク歌手を知りました。
「チューリップのアップリケ山谷ブルース」岡林信康、「傘がない」井上陽水、「春夏秋冬」泉谷しげる、「カレーライス」遠藤賢司、「心の旅」チューリップ、「私は泣いています」リリィ、「煙草のけむり」五輪真弓、「面影橋から」小室等と六文銭、「プカプカ」西岡恭蔵などなど。

 チエちゃんはせっせとリクエストカードを送りました。
続けてみるもんですね。ある夜のこと、とうとう、そのリクエストをこうせつさんに読んでもらえたのです。
うれしくて、真夜中の茶の間には誰もいないのに、ものすごく照れちゃって、ひとり真っ赤になって聴きました。「バス停まで自転車通学をしています」みたいなことを書いてあったと思います。
こうせつさんが、「女学生の髪が風になびいて、いいなあ」って、コメントしてくれたことを30年以上たった今でも覚えています。
翌朝、学校のお友達から「聞いたよう、あれチエちゃんでしょ」と言われて、盛り上がったなあ。

 この「こうせつパック」から、あの名曲「神田川」がヒットしたのです。
この間に、こうせつさんは結婚し、その馴れ初めも聞いたものです。
結婚式で奥さんが「いくよです」と挨拶した可愛らしい声は今も耳に残っています。

つづく



注;この記事は、2006年12月27日昭和ダイアリーに掲載されたものを一部加筆訂正しました。

See you again! 昭和ダイアリー

2007年10月21日 | チエの玉手箱
 昨日、ブログ1周年ということで、過去ログをあちこち覗いてみました。
いろいろな思い出が蘇ってきました。

 久しぶりに、休止されていたBヲタさんの「昭和ダイアリー」を訪ねてみたところ、残念なことにブログは削除されていました。(注:すみません。この時繋がらなかっために勘違いをしました。「昭和ダイアリー」は現存しております。)

 See you agagin! 昭和ダイアリー   です。

そこで、昭和ダイアリーに、私が投稿しておりました「チエちゃんの昭和めもりーず 番外編 チエちゃんの青春」を、一度お読みいただいた方には大変申し訳ないのですが、次回より4回にわたり、再掲させていただくことにしました。
(この間に、ネタを考えようというズルい魂胆もあります)



ありがとう!ブログ一周年

2007年10月20日 | チエの玉手箱
 「チエちゃんの昭和めもりーず」は、本日、一周年を迎えることができました。
毎日、ご訪問くださる皆様、たくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
私の個人的な昭和の思い出にお付き合いいただきまして、本当に感謝しております。
私が、ここまで続けることができましたのは、皆様のお陰です。それなのに、こちらからは無沙汰をいたしておりまして、大変申し訳なく思っております。

 思い立ったが吉日と始めたブログでしたが、すぐに更新の難しさ・大変さに気付きました。(毎日更新されている方には、頭が下ります)
それでも、始めたからには最低1年は続けたいと思い、三日坊主にならぬよう自分自身に2日おきの締切日を課し、何とか書き綴ってきました。
 しかし、ここに来て、当初から懸念されたネタ不足は深刻になりつつあります。
思い出が全く無くなったわけではありませんが、私のブログ熱が冷めかけているのか、どうも浮かんでこないのです。
 また、私は現在、ネットに疲れも感じています。
しばらくブログを休止することも考えておりましたが、さじカンさんから励ましの言葉「ポレポレ」をいただき、逃げ出さずにもう少しがんばってみることにしました。
 ただし、ブログを続けていくためには、方向転換せざるを得ない状況です。
別ブログを立ち上げることも考えましたが、私の能力ではそれもおぼつきません。
それに何より、現在のIDが気に入っています。
  そこで、一周年を機に、新たにカテゴリー『チエの玉手箱』を設け、現在のチエが考えていること、想いや願い、好きなもの、苦手なものなどを織り交ぜ、昭和めもりーずを綴っていこうと思います。
 これまでより更新ペースが落ちるかもしれませんが、無理をせず、書きたい時がブログ時としたいと思います。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

第120話 おりみき

2007年10月17日 | チエちゃん
 チエちゃん家と村道の間にある土手の中腹には、掘りっこ(用水路)がありました。
これは、農業用の用水路で、冬期間は水を堰き止めるため干上がっていますが、春から秋にかけては、とうとうと流れていました。

 毎年、秋になると、掘りっこの側面に用いられた朽ちかけた板や杭に、茶色のきのこが出たのです。
おりみき」と呼ばれるこのきのこをチエちゃん家では、たいそう楽しみにしていました。
なにしろ、山へきのこ採りに出かけなくとも、自宅近くで手に入れることができたのですから・・・
秋の長雨が続いた後に、ニョッキリと生え揃ったおりみきを、例の如くチエちゃんはおばあちゃんといっしょに採ったものでした。、

そうして、その日の夕食は、早速きのこ汁となるのでした。
大根、にんじん、白菜、秋茄子、ねぎなどの季節の野菜と煮込み、しょうゆ味の汁に仕立てます。
「おりみき」は、なめこが大きく開いた状態に似ており、汁に入れると、少しぬめりがありました。秋茄子との相性はバツグンで、汁物にするのが一番美味しくいただけるようです。
里芋や肉、豆腐、こんにゃくを入れて、いも煮風にしてもよいのですが、私は、きのこ本来の味が損なわれるような気がしています。


 あれは、チエちゃんがいくつの時だったのでしょうか?
この用水路が改修されることになったのです。
朽ちた板・杭を取り払い、コンクリートを流し込み、チエちゃん家へと登る坂道の下には土管が埋め込まれました。


 その年の秋以降、おりみきは二度とその姿を現すことはありませんでした。


 私たちは、利便性や安全性を求めるあまりに突き進み、失ってしまった物の大切さに気づいた時には、二度とそれを手に入れることのできないことに愕然とし、己の愚かさを思い知らされるようです。


 

トヨタ 2000GT

2007年10月14日 | チエの玉手箱
ラ フェスタ ミッレ ミリア 2007 がやって来た!


ラ フェスタ ミッレ ミリア 2007」が、本日、福島市飯坂温泉を通過しました。
私は、名車トヨタ2000GTを一目見ようと、デジカメ片手にお出かけしました。
そこで、今回も突然ですが、特別企画です。
無事、カメラに収めることができたのですが、建物の影を考慮に入れていなかったため、ちょっと残念な画像になってしまいました。

 
 後姿も、カッコイ
 
 FIAT ABARTH 850TC CORSA
 
 ジローラモさんのアルファロメオ
 
 クラシックカーと鯖湖湯
 
 BMW 507 ROADSTER
 
 初めて見た ベンツ
 
 PORSCHE 356B ROADSTER
 
 イタリアン レッド

第119話 収 穫

2007年10月11日 | チエちゃん
 黄金色の稲穂がこうべを垂れ、収穫の時期を迎えました。
ここまでくれば、米作りもあと数手間を残すのみですが、稲刈りからお米にするまでの作業が、最も重労働であったように思います。
 なにしろ、昭和40年代初めのあの頃は、コンバインなどはもちろん稲刈り機もありませんでしたから、作業は全て人力でした。
 稲は鎌を使って刈り取り、束になったら、稲わらでまるって、その場に置いていきます。その稲束を田んぼに立てたハセや杭に掛けていきます。(写真参照)
こうして、稲を乾燥させるのです。
田植えと同様、稲刈りは家族総出で行い、もちろん結いのお手伝いもやって来ます。チエちゃんは、稲の束を杭の所まで運ぶことが仕事でした。
稲刈りは1日で終わらずに、数日を要することが常でした。

 この後、杭返し(稲束を稲穂の部分を内側に掛け直すこと)を行い、稲を十分に乾燥させた後、稲こき(脱穀)をします.
これも、人力によるもので、木製ドラムに太い針金の突起が付いた足踏み式の脱穀機を使っていました。この足踏み式脱穀機は、このあと間もなく発動機による脱穀機に換わりました。
 それから、出来上がった籾やわらを田んぼから家まで、耕運機を購入するまでは、リヤカーで運んだものでした。
 この後は、細かなわら屑やゴミを取り除くために唐箕にかけます。これも人力により手回しをして使う道具でした。
 そして、籾摺りをして籾を取り除き玄米に、玄米を精米して白米にするわけですが、チエちゃん家ではこの作業は専門業者に依頼していたものか、よく覚えていません。チエちゃんが小学校高学年になる頃、でお金を出し合い、籾摺り機と精米機を購入してからは自宅で行なったように記憶しています。

 それにしても、米ほど、その状態や部分によって、名称が変化する穀物は他にないように思います。
 葉や茎が付いている時には「稲」、稲から取り除いた実は「籾」、乾燥した茎と葉は「わら」、籾から殻を除けば「玄米」、玄米から糠を除けば「米」。
米は、日本人にとって、それだけ関わりが深く、大切な穀物であったということでしょう。

第118話 トヨタ・マークⅡ ハードトップ

2007年10月08日 | チエちゃん
 その電話は、修学旅行から帰った数日後のチエちゃんに、突然、掛かってきました。

「チエ~、電話だぞ~」
「うーん、だれ~?」
「てるよしとか言ってるぞ」
「???・・・」

理解できるまで、少しの時間が要りました。

 中学の時、ちょっとの間、お付き合いをしていた てるよし君からでした。
「会いたい」という電話です。
チエちゃんの中では、もう終わった恋でしたから、ためらいもありましたが、取りあえず、会う約束をしたのです。

 数日後の日曜日、チエちゃんは家族には単に友達に会うからと言って、約束の場所へと出かけました。
そこに待っていたのは、黒と見まがう程の深い緑色のトヨタ・マークⅡハードトップの運転席に座った てるよし君でした。

 てるよし君は農家の長男です。
春に農業高校を卒業し、家業を継ぐことになったのでしょう。
ご両親は彼のわがままに負けて、こんなスポーツカーを買い与えたに違いありません。家業を継いだことへのご褒美でしょう。
チエちゃんの村でも、仕事を求めて都会や地方都市へ出て行く若者が多く、地元に残り、農業を継ぐ若者は貴重な存在だったのです。

 カッコイイ車を手に入れたら、次はナビシートに乗せる女の子です。
男の子なら、誰しも考えることです。
それで、てるよし君はチエちゃんのことを思い出したのでしょうか?

てるよし君は、チエちゃんをドライブに誘いました。
チエちゃんは少し話をしたら帰ろうと思っていたので困惑しましたが、スポーツカーに乗って、ちょっとしたデート気分を味わってみたい誘惑に負けてしまったのです。

「どこに行く?」
「A高原に行きたい」
チエちゃんは、紅葉で有名な観光地を指定し、途中の車の中では、お互いの近況や友達の噂話、思い出話に楽しい時を過ごしました。
A高原に着く頃になって、あやしい雲が覆い始めていた空から、ポツポツと雨粒が落ちてきました。そして、とうとう土砂降りになってしまったのです。
目的地に着いても、二人はマークⅡから降りることができませんでした。

 あのよ~、チエ・・・・・

 ・・・・・

見詰め合った二人の間に沈黙が訪れ、気まずい雰囲気が流れました。
チエちゃんは、ドキドキしました。これは、かなり、やばい状況です。

 帰ろっか?

 うん、帰ろう!

チエちゃんは、内心ほっとしました。


 それから、チエちゃんは2~3度 てるよし君からの誘いの電話を受けましたが、二度とその誘いに応じることはありませんでした。
付き合う気もないのに、てるよし君と会うことは危険だと感じていたからです。
チエちゃんは、両親の苦労を見て、農家のお嫁さんにだけはなりたくないと思っていたのです。

 チエちゃんは、まだ16歳。やっと大人の入り口に立ったばかり。
こうして、ひとつ、大人への階段を登ったのでした。