この何ヶ月、こいけともめたとき何度も僕が使ってしまった言葉。
冷たい言い方だと自分でもわかって使っていた。
普通の人は思っても言わないだろう。
けれど、そこに尽きると言うのが一方で正直な気持ちでもあった。
自分の子供を持ったことがない僕には、こいけの娘たちへの思いが本当のところはわからない。
それでも第三者でいられれば、もっと素直に祝福できただろうにとも思う。
その赤ちゃんというのは、更に僕にとっては、情として遠い感じがしてしまう。結婚式にも行ってない訳で、だんなさえもよく知らないわけだし。
今日はこいけが仕事。
しかも雨。作業もできない。
やめてくれよ~と思いながら、やっぱり息をひそめて、姉妹たちには「なんかあったら言ってくれな、手伝うから」とだけドア越しに声をかけて、表面上は静かにしている。
こいけには悪いけれど、あと何日と指折り数えているような毎日。
人間、時と場所を選んで話さなければってものがある。
集落の飲み会などでは、ずいぶん気を使って、しゃべってるつもりだ。
思ってもすべてを正直には言えないし、言わないのが、大人だろう。
だから言いたいことの何分の一かしか言わないように努力している。
まぁ酒入るから、その口もおじさんらしくだらしなくなり、小さくは失敗してるのだろうけど、向こうも酔っ払ってるわけだし、男同士だから、なんとかなっているんだと思う。
しかし、とっさのとき、ふと思ったことを相手に答えてしまって、
「あそこまで正直に長々と答えることなかったなぁ」なんて思うことは、実は日常茶飯事であって。
昔こいけと知り合って暮らし始めた20年前、あるショッピングセンターで買い物していたら、いつも僕が行っていた(そこしかいけなかった)田舎の小さな床屋さんのおばちゃんにばったりと会ってしまった。
で、ちょっと立ち話。で、おばちゃんが「奥さん?お若いわね」みたいなこと言われて、
僕「いやぁもう40歳なんですよ」みたいにとっさに答えてしまったことがあって、そのことは、その後何度もこいけにちくちくといじめられている。苦笑
そういうことはたくさんあるんだ。
そう、時と場所を考えないで、とっさに思ったことを馬鹿正直に言ったりすることがあったのだ。それが大したことだとは長いこと思わずにきた。
何年か前、両親がアスペルガーであること(推測に過ぎないが)、自分にも弟にもその(出方は違うにしても)傾向があることにたどりついた。
しかし、その後もあまりそのことにこだわらずに来てしまったが、再びそのような「変な自分」というものと、嫌だが向き合わざるを得なくなってしまった。
「こうあるべき自分」と「実際の自分」とのギャップ。
そういう方のブログを読んでみたりしようと思う。
本も注文してみた。
アスペルガーと定型を共に生きる: 危機から生還した夫婦の対話