カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

行って良かった度

2008-01-26 23:40:59 | ひきこもり・不登校

ぎりぎりまで悩んで、半年ぶりくらいの○モの集まりへ。



「心の病って何?」というタイトルで講師は心療内科医のA先生。
○モが立ち上がった頃、彼とは某掲示板で1、2度お話しさせて頂いたことがあるのだが、お会いするのは初めてだった。


盛りだくさん過ぎて、素人には速い気もしたが、その後の質疑応答などに答える感じは、なかなかの好印象を持った。
親御さんの話もよく聞いてアドバイスも的確だったように思う。



聞きながら、どうしても自分や両親のことを考えてしまった。
30年前に、こういう考え方に両親や自分が触れることができていたらなぁなどと。。。



でもそういう時代ではなかった。
まだひきこもりや不登校という言葉もなかった時代。
今更そんなことを悔いても仕方のないこと。


自分には何か必要があって、今世の修行があるのだろう。
だからといって、納得できるものでもないが。



その後、講演会後のお茶の時間になって僕がしゃべったら、絡んでくれなかったけれど。



母親からの無条件の肯定というのは、確かにそれは望ましいが、現実にはとても難しいことではないかと思う。子に何度でも謝るというようなことをおっしゃっていたが、そうできる親は少数だろう。口先だけで言えば逆効果だし。



子どもを産むということは大変なことだなぁと思った。



自分のことも支離滅裂ながら少しはしゃべれたし、まぁ行って良かった度は最後の最後まで90点くらいだった。



ただ・・・散会直前に皆で廊下でそれぞれ情報交換をしていたのだが、「(まだ使っている部屋があるので)声に気を付けて。」って僕に突然注意した人がいた。(知らない人)
結構きつい言い方のように聞こえたわ。
僕だけしゃべっていたわけでもないのに。


と、そんなささいなことで、一気に点数は下落。20点。
帰りの車の中であぁ~~~~って叫んじゃったよ。



でもまぁ、こんなに自分はダメなんですよって話しても、興味を持って話しかけて下さる方、新しい学校を作ろうとされている方、懐かしい方々との出会いもあり、50点というところでしょうか。



受け入れるという言葉、昔からよく使われているが、僕はそれができないのだなと改めて思った。
白か黒か、0か100かという思考は30年以上たってやはりなくなってはいない。それが自分を苦しめているのかも、とはずっと以前から知っていても。



人はなかなか変われないもの。
いったん落ちてしまった自己評価をあげることがいかに難しいか、それは自分がよくわかっている。



自分を一番厳しく裁くのは実は自分(子ども自身)なのだ。
世間の目を家族が家庭に持ち込めば、子ども自身も世間の目で自分を裁くようになる。
親ばかが一番なんだよなぁ・・・と自分が求めて得られないことを改めて思った。




色々思うところもあったので60点。。

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