気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

新聞歌壇あれこれ

2007-11-22 22:50:49 | つれづれ
虐待にて死ぬ子にも皆名前あり名づけし日には愛のありしを
(安達美津子)

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先日買った短歌往来5月号を読んでいる。新聞歌壇の現在と未来という特集が特に面白い。
私もこのブログで、今日の朝日歌壇というのをやり始めたのが、おととしの5月。
馬場あき子さんの「朝日歌壇の現在」という記事に引用されている数首に、見覚えがあって懐かしく思った。
↑の歌は、記憶にあるのに引用しなかったのは、なぜだろうなどと考えていた。

短歌を始めたころ、京都版の短歌のコーナーに投稿して一度掲載してもらったことがあったが、なんとなく新聞に投稿を続ける気が起こらなくなって、そのままになってしまった。
短歌研究詠草や、角川公募短歌館には、投稿しているが、つい結果にばかり目が行って苦しくなってしまう。特に短歌研究は点数が加算されていく仕組みなので、うまく行っているときは、うれしいが、そうでないときはつらいものがある。調子の良かった年もあったが、今年はまあまあというところ。
結果や点数の出るところで短歌を作るのが、しんどいと思う今日このごろである。
結社には、今のところ欠詠せずに投稿し続けているから、それで充分だと思う。

新聞歌壇については、読むこと自体は続けるだろうし、それをきっかけに自分の歌も作るが、投稿はしないだろう。○○さんの歌は選ばれているのに、私のは載ってないなどと、イライラして、歌作そのものに集中できなくなるだろうから。この負けず嫌いの性格はなんとかならないものだろうか。品格が足りないのだ。

努力することと結果を出すことの微妙なズレを運と呼ぶのか
(近藤かすみ)