気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

銀耳 つづき

2007-11-30 19:26:27 | つれづれ
軽い鬱が突然に来た くれなゐのネクタイにして詩の集りへ

嘘泣きの涙をためてエヴィアンは2番ホームのキオスクに立つ

外を向いて俯いてゐるひとたちが綺麗だ 風の夜のローソン

木雨のやうなひとの言葉に目頭のあたりが熱い無論泣かない

また昏くこころの襞を織りながら容すのだらう神の仕種で

(魚村晋太郎 銀耳 砂子屋書房)

***********************

また、『銀耳』を読んでいる。短歌人12月号と並行して読んでいる。
「銀耳」「空席」は、それぞれ短歌研究新人賞次席、角川短歌賞次席になった連作。そこから、勝手に引用して申し訳ない気がする。優れた歌を読みながら、自分の歌を呼び出そうとしているときが、私にはとても楽しいひとときなので、赦していただきたいのです。
風の夜のローソンの歌は、現代的でとても好きな歌。

いつまでも一緒にをれぬ母と子の暮らし支ふるセブンイレブン
(近藤かすみ)


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
『銀耳』よりもう一首 (あづまはや)
2007-12-01 09:01:10
中華スープの銀耳(しろきくらげ)が生えている場所をある日の憧れとして

言うまでもなく、歌集『銀耳』の典拠となった作品で、作者とって、かなり思い入れの深い作品と思われます。だが、これをことさらに採り上げて論じた場面を、寡聞にして私は知りません。中国料理の世界で「銀耳」と賞せられて珍重されている茸「シロキクラゲ」は不老長寿の薬ですから、この歌を中国の不老長寿伝説の世界と重ね合わせて鑑賞すれば、その魅力と奥深さは倍増・三倍増することと思われます。深い山の奥の奥の陰湿な谷間に立ち枯れている木に寄生しているシロキクラゲは、その希少性や幻想的な生態からしても、一人の料理人のある日の憧れの対象とは、充分になり得ましょうが。以前このブログで魚村作品を採り上げた時、「魚晋というお店を発見」と書いてありましたが、あれは、一乗寺の会席京料理店「魚晋(ととしん)」のことでしょうか。「魚晋(ととしん)」と魚村晋太郎さんとの関係・無関係はどうなのでしょうか。ご存知でしたら教えて下さい。
返信する
Unknown (かすみ)
2007-12-01 12:51:10
あづまはやさん こんにちは。
一度ご本人に尋ねたことがありますが、無関係なようです。魚村というのは、ペンネームだそうです。ぴったりですね。
返信する