気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2006-02-20 20:37:37 | 朝日歌壇
歌うたう声を合わせて歌うたう時のみ父に戻るあなたと
(行橋市 木村葉子)

「くつした」と呼ばれ靴下ならぬわれ夫のものへと靴下もちゆく
(沼津市 森田小夜子)

退社時に日の残りいるうれしさのわずかな幅を吾が生きており
(徳島市 荒津憲夫)

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一首目。年老いてわけがわからなくなり始めたのは、作者のお父さんだろうか。一緒に声を合わせて歌うときだけ、父は作者を娘だと認識するということか。それとも、子供と歌をうたうときだけ、父親らしくなる夫を歌ったものだろうか。どちらにしても、作者は常に娘であることか、母であることを意識しているのに、結果として男の方はときたましか、父親をしないのだ。

二首目。夫という人は、お体が不自由なのだろうか。そうでないのに「くつした」と呼べばくつしたが来るなんて、冗談じゃない。夫婦の依存関係はお互いのためにならない。たまには、そういう演技をしてみるのも一興かもしれないが・・・。

三首目。日が長くなってきたので、そう忙しくない職場なら、日のあるうちに退社ということがあるかもしれない。しかし、作者は家に帰れば、夫や父親の顔をしなければならない。その束の間の幅が生き生き出来る貴重な時間なのだろう。

日曜の夕べ平たきテレビにて観るサザエさん わけがわからぬ
(近藤かすみ)