気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2006-01-16 22:30:39 | 朝日歌壇
枯庭に一輪咲きし鼓草(つづみぐさ)黄泉より吾子の訪いてくれしか
(堺市 鳳みさお)

師走この電飾の街嘘っぱちのひかりうつくし星空よりも
(和泉市 長尾幹也)

落下する滝を巻き上げ掛軸を七福神へ替える極月
(堺市 紺田強)

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一首目。枯れた庭の寒々としたところにぽっと明るいタンポポが咲いたのを見て、亡くなった子供を思い出したという歌。鼓草がタンポポだということをはじめて知った。黄泉という言葉のなかに「黄」があり、これがタンポポの色とも符合している。堺市の方だが、このお名前は、与謝野晶子にちなんだペンネームだろうか。
二首目。クリスマスが終っても、電飾は形をかえて美しく街を彩っている。星空を見失うほどの明るさだ。「嘘っぱちの」という3句目に勢いがある。
三首目。落下する滝は、掛軸だったというオチの歌だが、情景が目に浮かびおもしろい。

震災の復興願ふルミナリエ神戸の惨よりはや十一年
(近藤かすみ)

空合 花山多佳子 

2006-01-15 13:07:48 | つれづれ
こんなところにあつたと言つて家になき大皿取り出す夢の夕餉に

小学校の前を通りて制服の娘(こ)は歩みゆく過去ある感じに

<あの人つて迫力ないね>と子らがささやく<あの人>なればわれは傷つく

会ふたびに<お別れだね>といふ祖母の所作はしだいに歌舞伎めきたる

日曜の昼餉あらねばふたたびを蒲団に入りて子らは眠るも

(花山多佳子 空合)

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図書館から延々と借りているこの歌集をいよいよ返さなければならなくなり、またパラパラめくる。
作者の40代前半の歌集で家族詠が多く、面白い。十代の子供の居る家は、たいてい異なった形のややこしさを抱えている。しかし、礼儀として「あなたのところは安心ね」という会話をしてしまう。私は、子どもたちが20歳をすぎて本当に楽になった。でもこのごろ、あの子たちが何かうまく行かなくなって、また帰ってきたら、困るだろうと不安になる。そうなったら、こちらの生活も変えなければならないだろう。成人した子供に振り回されるのは、よほどのことがない限り不必要である。いまは嵐の前に静けさか、それとも・・・

カレンダーを家族の予定で埋めし日々終はりていまは詳しく知らず
(近藤かすみ)

短歌の読み

2006-01-14 19:42:45 | つれづれ
暗がりにたれか立つたり 徐々にほとけになりたまひけり

黒人のごとき唇をゆつくりと引き上げてわらふ救世観音は

あめつちにわれひとりゐる楽しさに面を上げて雨を飲むなり

(寺川育世 心の花 1月号)

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ちょっと縁があって、心の花京都歌会にちょくちょく参加させていただいている。お世話役の塚本瑞江さんに短歌人の見本誌が送られたようで、そのご縁で心の花の1月号をいただく。読んでいるうちに、それぞれの結社の特徴、持ち味、やり方が徐々にわかってくる。
寺川さんとは、題詠マラソンなど、ほかのネット上の歌会で知り合いになった。

一首目。3句目がぬけていて、その分が一字あけになっている。大胆で、なかなか出来ない作品だが成功していると思う。
二首目。比喩がよくわかる。私なら「黒人」という言葉を使いたくても、別の意味でだれかに反発されそうでこわくて使えない。やはり大胆。
三首目。正直な人柄があらわれている。

短歌を読むとき、歌そのものとして読むべきで、自分の経験にひきつけて共感するという読みをしてはいけないとは、知っている。あるところで、フロッピーが溝に落ちていた・・・と解釈できる歌を見て、個人情報の公開をやかましく言う今の世の中で、フロッピーを溝に捨てるなんて無神経だと、その点に反応して一票を入れなかった。こういう読みはやはり、浅いのだろうか。

通り庭に蝋梅の黄(きい)見つけては母に告げたり幼き春に
(近藤かすみ)

うどん

2006-01-13 22:53:05 | おいしい歌
すきとほる汁のそこひにしろじろと夢のまたゆめ大阪うどん
(小池光 滴滴集)

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買い物に行けなかったら困ると、冷凍うどんを買い置きしている。いくつかの方式があるが、きょう食べたのは、汁と麺をレンジでチンして、熱湯を250cc注ぐというもの。ああこれなら、鍋のない人でも作ることが出来るのだと妙に納得する。味はまあまあ。おうどんには必ずとろろ昆布を入れる。

大阪うどんという言い方は、身近では聞かない。汁が透き通ったものしか食べたことがない。関東のうどんは本当に汁が濃くてにごっているのだろうか。
興味津々。新年歌会で上京する予定なので、そのとき試してみたい。

身のうちにするりとうどん入るるとき喉(のみど)たしかに悦びふるふ
(近藤かすみ)


歌会始

2006-01-13 01:17:22 | つれづれ
やはらかき春の日差しに笑まふなる小さき草の花見むと思へや
(森岡貞香 2006年歌会初)

猫のする正坐のかたちに韻(ひびき)あり森岡貞香をつとおもはしむ
(小池光 滴滴集)

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午前中、ちょっとテレビをつけたら歌会始をやっていた。独特の詠み方に感心する。
現実の歌会、ネット歌会、ML歌会、あれこれ参加しているが、ここは伝統のある雅な世界。斎藤史が召人だった年もあった・・・
小さき草の花ってなんだろうと思う。

品性の良き招き猫の居住まひに召人森岡貞香笑まはむ
(近藤かすみ)


冬の日 西村美佐子

2006-01-11 22:11:05 | つれづれ
ひとひらのはがきに向かふゆびさきのゆるき動きのなににためらふ

秋晴れとはこのやうな具合ですとおしつけがましき笑顔に空が

洗はむと日にいくたびも指先は蛇口の下(もと)に水待つかたち

(西村美佐子 冬の日 短歌人1月号)

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西村美佐子さんとは同年代で、何度か短歌人の会でお会いした。
物事に向かおうとするとき、なんとなく真直ぐ進めない感じがよくわかる。
二首目。明るい秋晴れを見たとき、素直に見ることができずに「いかにもな」秋晴れと思ってしまう感性。歌を作る感性は、物事を常識的に見て対応していく能力とずれていく。そのズレ具合が、歌の才能のある人の生きづらさなんだろうと思う。いや、それを作者は演じるのかもしれない。何はともあれ、読んで心が動いた。

情熱を持つてまわつて腰をふるブエナ・ビエスタ・ソシアルクラブ
(近藤かすみ)

旅客機

2006-01-10 22:38:04 | つれづれ
目に見えぬ無数の脚が空中にもつれつつ旅客機が離陸せり
(塚本邦雄 日本人霊歌)

牛の肉おなかいっぱい詰め込んで海原をゆく船に手を振る
(斉藤斎藤 渡辺のわたし ブックパーク)

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日本人霊歌を読みすすむ。それで思い出したのが、斉藤斎藤のこの歌。
歌の構造としては似ている。旅客機、船を外から見ているという点。

飛行機は苦手だ。おととし、台湾から帰りの飛行機が揺れて、ものすごくこわかった。あのとき、斜め前に座っていたのは吉岡生夫さんで、平然として歌集を読みつづけておられた。私は、恐ろしさのあまり隣の久保寛容さんにしゃべり続けたのだった。

地獄へと堕つればもろとも右前に「辞世の風景」吉岡生夫
(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2006-01-09 21:18:16 | 朝日歌壇
箸裂けば杉のかおりのかすかなり大食堂にふるさとの在り
(東京都 民辻善史郎)

電飾の庭木二本を光らせて隣家の若き家族はしずか
(岡山市 岡田ゆり)

拾われて老女を数年楽しませ施設入居でまた野良犬に
(岸和田市 久吉英子)

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一首目。作者のふるさとは杉のかおりのする山の地だろうか。大食堂で割り箸を割ったときに、ふと匂った杉にふるさとを思った一首。
二首目。このごろ、クリスマス前になると普通の家に電飾を施してあるのを見かける。「浮かれ電飾」という言葉もあるらしく、近所で競って飾りつけをする地域もあると聞く。まだ若い家族だから、家もこじんまりしていて庭木の飾りもつつましい。その静さ、控えめさに好感を持った。
三首目。野良犬から拾われて飼犬になり、また飼い主の事情で野良犬になる運命を歌っている。その背後の飼い主の事情もほの見える。

朝日歌壇のコメント、やはり習慣になって読んで書いてしまう。
月曜日は、お決まりになっているから、ブログのねた探しが楽という気持ちもある。やはり続けたい。

マイホーム(中は見えない)暖かさ競ひかがやく「浮かれ電飾」
(近藤かすみ)


2006-01-08 22:12:51 | おいしい歌
蒼き黴ふきたる餅をすこしづつ減らして愛し合はざる家族

(塚本邦雄 日本人霊歌)

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きのう三月書房で買ったのは、短歌新聞社文庫『日本人霊歌』。この文庫は、字の配置がゆったりしていて読みやすい。一冊700円という値段も手ごろ。字のしっかり詰まった短歌雑誌に比べて目が楽。

この歌集は1956年から1958年にかけて書かれた歌もまとめたもの。当時は、パック入りの餅などなく正月をすぎて何日かすると、黴が生えはじめる。これを防ぐために、水につけたり包丁で黴の部分を削ったり、いま思えば懐かしい苦労があった。薄く切って干して、かき餅にするのが一番おいしかったが、手間がかかる。大切な食料である餅が、だんだん負担になってくる。気取って見える塚本邦雄も、やはり家族とぶつぶつ言いながら、お正月の残りの餅を消化していたと思うと、なんだかおかしい。

透明の膜に包まれ青かびと恋せぬ餅は表情持たず
(近藤かすみ)

牡蠣

2006-01-07 22:44:56 | おいしい歌
酢のなかに生きゐる牡蠣と疼むわが胃と脱出の機を狙ひあふ

(塚本邦雄 日本人霊歌)

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塚本邦雄のことをよくわかっていない。去年亡くなられてからますます評価が高まるようだが、奥が深くてわからない。
この歌、酢牡蠣を食べたあとどうも吐き気がする・・・ということを言葉を尽くして詠っている。三句目の「疼むわが」が句跨り。

『塚本邦雄の宇宙』を買いそこねていて、やはり買おうと思って三月書房へ向かう。いつもの路線のバスに乗っていてふと見ると、永田和宏が丸太町で下りようとしている。それとなく見ていると、角を曲がって鴨川の方へ歩いて行かれた。丸太町の東洋亭で、塚本邦雄の歌集出版記念会があったと、どこかで読んだ気がする。
三月書房のガラス戸棚に、ほかの本に隠れて、塚本邦雄の宇宙はあった。しかも、新装復刊ハムレット(千円)がおまけについてきた。すごく得をした気分になった。

遠き海のおもひで捨てよおほ粒の牡蠣を大根おろしに洗ふ
(近藤かすみ)