気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

短歌の読み

2006-01-14 19:42:45 | つれづれ
暗がりにたれか立つたり 徐々にほとけになりたまひけり

黒人のごとき唇をゆつくりと引き上げてわらふ救世観音は

あめつちにわれひとりゐる楽しさに面を上げて雨を飲むなり

(寺川育世 心の花 1月号)

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ちょっと縁があって、心の花京都歌会にちょくちょく参加させていただいている。お世話役の塚本瑞江さんに短歌人の見本誌が送られたようで、そのご縁で心の花の1月号をいただく。読んでいるうちに、それぞれの結社の特徴、持ち味、やり方が徐々にわかってくる。
寺川さんとは、題詠マラソンなど、ほかのネット上の歌会で知り合いになった。

一首目。3句目がぬけていて、その分が一字あけになっている。大胆で、なかなか出来ない作品だが成功していると思う。
二首目。比喩がよくわかる。私なら「黒人」という言葉を使いたくても、別の意味でだれかに反発されそうでこわくて使えない。やはり大胆。
三首目。正直な人柄があらわれている。

短歌を読むとき、歌そのものとして読むべきで、自分の経験にひきつけて共感するという読みをしてはいけないとは、知っている。あるところで、フロッピーが溝に落ちていた・・・と解釈できる歌を見て、個人情報の公開をやかましく言う今の世の中で、フロッピーを溝に捨てるなんて無神経だと、その点に反応して一票を入れなかった。こういう読みはやはり、浅いのだろうか。

通り庭に蝋梅の黄(きい)見つけては母に告げたり幼き春に
(近藤かすみ)