気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

口紅供養

2006-01-03 13:15:25 | つれづれ
ゴンドラにひとりゆられて着きたるは口紅供養する冬の岸
(阿部久美 夢の端 短歌人1月号)

身寄りなき老夫婦いま自らを焼く火葬場もアスベスト壁
(八木博信 右手 短歌人1月号)

潰れたる黄色い箱から取り出せばキャラメル少し泣き笑いする
(高野裕子 キャラメル日和 短歌人1月号)

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ここ数日読みすすんでいる今月号から、アトランダムに好きな歌。
阿部さん。口紅供養という言葉に惹かれた。ほんとにこんなことがあるのだろうか。使わなくなった口紅はむかし唇を重ねた相手であり、情もあって捨てにくい。そうか、供養に出かければいいんだ。ゴミ箱にポイとするには抵抗があったのだ。
八木さん。いつも悪意、毒のある作品を書くひと。こういう歌に抵抗を示す人がいるというウワサを聞いた。それって、すごい褒め言葉なんだろうな。
高野さん。同人欄なので最大8首掲載されている。8首がそれぞれおもしろく連作として楽しい。構成に工夫がある。キャラメル日和という題も素敵だ。

お正月も三日。どうということもない。そのことに感謝しなければならないのだろう。なんとなく家族のためにスタンバイしては、その気持ちを外されるのが、ワタシの年末年始(いや、年がら年中)。切れ切れの読書は辛うじてすすむ。

さやうなら鞄に詰めるお正月
(近藤かすみ)