気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2005-10-10 19:36:58 | 朝日歌壇
日日に(にちにち)にくだる坂みち秋量る法馬(ほうま)のようにアケビ垂(しだ)れる
(浜松市 松井惠)

逢うことのまれとなりたる親族をなつかしめども逢いには行かず
(山形県 小山田子鬼)

豊水とう梨がこんなに甘くってふっと気になるこの国のこと
(夕張市 美原凍子)

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一首目。「法馬」とは分銅のことだと、はじめて知った。「秋量る法馬」と思ってみると、アケビはそのとおりの実に見える。
二首目。親族というのは、そういうものかもしれない。親族の少ない人はその少なさを気楽と思い、多い人はにぎやかで良いと思う。どちらにしろ、自分の立場を良く思っていないと、やってられない。ところで「子鬼」というのはペンネームなんだろうか。
三首目。豊水というのは、豊かな気持ちになる言葉。「二十世紀」より甘く、人々の願望をかなえてくれる味わいがある。だけど、その甘さに酔っていていいの?ってふっと気になる。

きのうの歌会でも、他の歌会でもよく聞く言葉は「既視感があるから、取れません」「歌としてきれいに仕上がっているが、インパクトが足りない」。
「素直な歌です」というのは、「下手です」の別の言い方でもある。
私もときどき「よその会へ行ったら、高得点かもしれません」などと生意気なことを言ってしまう。
しかし、歌会で鍛えられると、よそ(例えばスポーツクラブ)で多少いやなことがあっても「これはここだけのこと」と、割り切って考えることが出来るようになった。これも歌会の効用かな?