気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

アーモンド

2005-10-20 10:51:13 | つれづれ
オーブンの捨て火に入れるアーモンド焼けるを待ちてけふを終はりぬ

「手づくり」のクッキー店とふ不自然が眼にちらつきて歩む街なり

「ふくろ」とふ言葉の自在一枚のふくろとなりて眠りにつかな

柔らかに喜怒哀楽も示せとふ教師のこゑが母の吾を打つ

「好きなのだそれで足らぬか」ぎこちなく視線ゆれあふ湾口なりき

(林悠子 湾口 ながらみ書房)

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林悠子『湾口』を読みすすむ。
先日紹介した歌は新かなで、それ以前(歌集の後半)は旧かなで作られている。

一首目。捨て火という言葉に引かれて調べると「物を煮るとき、今まで使った火をけがれがあるとして捨てて用いないこと」とあった。それとも残り火をも「捨て火」というのだろうか。なんとも趣のある言葉。アーモンドの香ばしさが伝わってくる。
二首目。クッキーは「手づくり」と言っても、やはりどこかから既成の材料を仕入れて作らざるを得ない。製菓を仕事とする作者は余計にこの「手づくり」にひっかかったのだろう。林さんの歌に、コンビニの店員の言葉つかいが気になったという内容の歌があった気がする。私も同類だ。
四首目。母親として、周囲の期待に応えねば…というプレッシャーから出来た歌だと思う。以前、PTAの講演で「親が変われば子が変わる」というテーマがあった。たしかにそうなのだが、子の出来の悪いのは、母親の努力が足りないからだと責められているようで辛かった。ここでも同じ気持ちを代弁してもらって納得した。
 
内容に共感するという短歌の鑑賞は浅いかもしれないが、やはりこれが歌の吸引力だと思う。