団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

あっ、セミが…。

2019年09月04日 | Weblog

 電車で出かけた。降りる駅に着いた。ドアの前に立った。私の前に女性。ふと彼女の背中に動くモノが!セミ?アブラゼミか。「待てよ」と過去の苦い経験を思い出した。

 東京で山手線の電車に乗っていた。築地の場外市場で友人と待ち合わせていた。新橋駅で降りようとドアの前に立った。女性が前にいた。彼女の背中にタバコがあって、その先端に火がついていて、その火がまるでタバコをふかしているように強く火照ったり弱くなったりしていた。私のお節介の計時針が振り切れた。女性に声をかけた。「背中に火が付いたタバコがついていますよ」 女性、私の足元から頭のてっぺんまで口をひん曲げながら見た。読唇術は知らないけれど、私の感性集音装置が作動した。「バァ~カァッ」と解読。女はプイッと向きを変え歩き出した。顔を横に戻す時、女の口角がさがったように見えた。

 帰宅してネットで「火が付いたタバコ」で検索した。あった。なんとブローチやイヤリングなど他人を驚かせ、突っ込みを期待してこのアクセサリーをつけるのだという。これをユーモアや、ふざけだと呼べるものだろうか。正直腹が立った。世の中には、こんなことで他人をバカにして喜ぶ輩がいるなんて。それにしても見事に引っかかる私が馬鹿なのか。

 女性の背中にセミを見つけた私は思った。火付きタバコの新しいドッキリなのだろうかと。それにしてもセミが動くブローチなんて作れるの?精度良すぎない。本物かも。私はまたぞろお節介感知器が作動したがあとちょっとの所でとどまった。ホームに降り立った。私を追い抜いて一人の女性がセミの女性に近づいた。「背中にセミがとまっていますよ」と女性に声をかけた。絶妙なタイミングと声の調子。さすがおばちゃんは違う。セミの女性、立ち止まった。おばちゃん、すかさず手でセミを振り払った。セミがホームの天井に舞い上がる。女性、「あら、ほんと。どうもありがとうございます」とおばちゃんに言った。おばちゃん、大きくうなずいた。百戦錬磨の余裕が全身にあふれかえっていた。

 結局、セミは本物だった。女性が知らないうちにどこかで背中にくっついただけのことだった。それを過去の苦い経験を思い出し、あれこれ考えているうちにおばちゃんに先を越された。セミがくっついたことで女性に何か危害が加えられというわけでもない。ただセミが女性の背中に止まっているのをおばちゃんはお節介で伝えたかったのであろう。言うなれば、私もおばちゃんも火のついたタバコのブローチをつけて誰かが突っ込んでくるのを待つ輩のいいカモなのだ。親切とお節介は紙一重なのかもしれない。

 帰宅して熱気がこもった部屋の空気を外の新鮮な風を入れて涼めようと窓を開けた。網戸を引いた。網戸にセミがとまっていた。7月は毎日雨が降り続いた。セミがまったく鳴かず、今年の夏はセミが出ないのかなと思った。住む集合住宅の庭はモグラが大発生していてあちこち押し出された土の山ができている。どうやらモグラがセミの幼虫を食べつくしたのではと思い始めていた。長い梅雨が明けると次は猛暑が襲った。それでも1週間ぐらいセミが鳴くこともなく静かだった。ところが8月に入ると狂ったようにあっちでもこっちでもセミが鳴き始めた。まるで今年の遅れを挽回しようとしているようだ。9月に入って、いまだにセミが散発的に鳴いている。モグラにセミの幼虫が食べつくされたのではと危惧していた自分が恥ずかしい。

 川の上にトンボがたくさん飛ぶようになった。秋の気配か、虫の鳴き声もだんだん大きく聴こえるようになった。自然のままが一番いい。火のついたタバコだろうが、もしあったとして動くセミのブローチがあったとしても、やはり自然のままがいい。騙して喜ぶより、騙されるほうが楽。できるだけ他人には親切でありたい。たとえ、それがお節介であっても。


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