① 守りたい
② 喜ばせたい
③ 褒めてもらいたい
① 「守りたい、喜ばせたい、褒めてもらいたい」(瀬戸内寂聴95歳の秘書 瀬尾まなほ29歳の言葉) これを何かの記事の中で読んだ。29歳の秘書、それも瀬戸内寂聴の本など一度も読んだことがない若い女性が、95歳の瀬戸内寂聴を支えている。瀬尾さんは、ただ寂聴さんを守りたい、喜ばせたい、褒めてもらいたいと思って仕事をしているという。共感した。自分に当てはめてみた。私が離婚して子育てでは①と②、そして再婚してからは夫婦生活に③が加わった。
離婚して私は子育てに目覚めた。私が守らなければ、子どもは生きていけない、と知ったからである。食事は時間になれば黙っていても出てくるものではない。私は決心した。子どもが大学を卒業して自立するまでは、私が守ると。そして13年間が過ぎた。途中坐禅に通って徹底的に自分の解析を試みた。しかし一番私を鍛えたのは、次から次へと起こる子どもの成長過程に伴う問題であった。渡る世間は鬼ばかり。だれも助けてくれはしない。自業自得。子どもを守ることは、自分を守ることでもあった。子育ての難しさを知った。子どもを守ることで、自分が変わった。そして子どもが自立すると、再婚がまるでクリスマスプレゼントのように舞い降りてきた。私は44歳で二度目の結婚式を挙げた。
再婚して、すでに26年が過ぎた。このうち13年間は妻の海外勤務で外国に暮らした。「守りたい」にはガードマンとしての役目も加わった。私は、暴漢や強盗などと闘えるような男ではない。私が心掛けたのは、妻を危険な目に遭わせないようすることだった。それでも危険に遭遇したら、闘えなくても囮オトリになることはできると思っていた。降りかかってくる危険ばかりに目がいっていた。だんだんそれより、きちんと食べるものを食べ、仕事に打ち込めるよう余計な心配をさせないようにすることの重要性に気づいた。その後54歳で狭心症になり心臓バイパス手術を受け、今では守るが守られる側に多く立つ。
② 喜ばせたい。この気持ちがあれば、料理でもどんなことでも張り合いを持てる。子どもを育てている時、台所でジャガイモの皮を剥いていて屈辱を感じた。しかし段々ジャガイモを料理して子どもが喜ぶ顔を浮かべると屈辱は消えた。
今は妻を喜ばせたい気持ちで毎日家を守っている。
③ 高倉健は著書「あなたに褒められたくて」(集英社文庫)の中で、母親に褒められたい一心さを素直に書いている。だれかに褒められたい、という感情は、静かに秘めた、それでいていざという時には爆発するかもしれない程の凄い力があるもののように思う。
私は子育て中、褒められたいという気持ちより申し訳ないの気持ちに支配された。今ではその気持ちが少し薄らいできている。それは妻に毎日喜んでもらい、そして褒めてもらいたいと思うからである。それは生きる力である。