団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

年末の大掃除

2017年12月27日 | Weblog

①    1950年代の私の家の大掃除

②    海外の大掃除事情

③    2017年12月の大掃除

①     子どもの頃12月に入ると、♪もういくつ寝るとお正月♪がメロディから時計の針へと気が移る。なんと時計の進み方が遅いのかと苛立った。父親から大掃除の号令が下った。それは天気で決まる。畳を外で叩き、日干しするからだ。12月の中旬の学校が休みの日だったと思う。手伝うのを嫌だと思ったことがない。それはこの大掃除が終われば、いよいよ正月だという期待だった。そして何より、自分の成長に伴って、手伝いの質が毎年向上する実感が嬉しかった。去年は父親と畳を部屋から庭へ出すとき、よろよろしたが今年はしっかり支えて運び出せたとか。母親が子ども全員に手拭いで姐さんかぶりにしてくれた。格好も大掃除の気構えを高めた。5部屋全ての畳を上げ、床の新聞紙を取り替え、DDTだったか薬を撒いた。障子戸も庭に運んだ。紙を剥がす前に、子どもたちは、障子紙をブスブス、バシバシと穴をあけた。快感。母親、姉、妹二人が水で障子紙と糊を洗い落した。障子紙を貼るのは器用な父親だった。本職のようにきれいに貼った。みんなで見惚れた。両親と子供4人計6人が、力を合わせて大掃除に取り掛かった。同じ日、近所のあちこちの家から畳を叩く音が聞こえてきた。アフリカのセネガルのトーキングドラムのように各家庭の小さな物語を伝えていた。

②     私は今年70歳になった。このうち20年以上を海外で暮らした。高校からカナダへ渡った。全寮制の高校だった。驚いたことに生徒全員による教室などの掃除はなかった。掃除は、すべて業者まかせだった。公立だと業者は、外部への委託になるが、私が在籍した私立学校では、希望する生徒がアルバイトとして請け負うことができた。学費寮費を軽減することができた。日本では小中高すべて生徒全員が学校内の掃除をする。この経験は役に立った。ただ妻の海外赴任に同行して海外に暮らした時、戸惑うことが多かった。ネパールのようなカースト制度がいまだに残る国では、掃除はカーストが低い人の仕事とされている。カーストによってできる仕事とできない仕事が分かれている。掃除が低い仕事と言っているうちは、清潔な暮らしはできないだろう。日本の学校には、掃除に関して更に科学的に改善して、生徒を訓練して欲しい。これは役に立つ。

③     23日(土)24日(日)の二日間、妻の休みを利用して大掃除をした。我が家には畳の部屋がない。子どもの頃のように畳を外に運んで叩くことはしなくて済む。人が暮らせば、家は必ず汚れる。普段目を向けないところが大掃除の対象となる。ダイニングテーブルの下がカビで汚れていた。妻冷蔵庫冷凍庫の整理と掃除をしている間に私は、テーブルの下に潜り込んでカビをふき取り、蜜蝋を塗った。テーブルは大きく重いのでひっくり返して作業できない。仰向けになって背中を移動させながら作業した。しばらくすると眩暈がして心臓に異常を感じた。中断して休憩を取った。妻が聴診器で心臓の音を聴き、血圧計で血圧を測ってくれた。もう無理はできないようだ。一時間ほど休憩してテーブルを仕上げた。テーブルが、子どもの頃の一家総出の大掃除の日のように清々しく光っていた。

 日本には良い伝統がたくさんある。それがひとつ、また一つと消えてゆく。改革、革新と政治屋と役人が騒いでも、結果は良くならない。失われつつある日本人が受け継いできた宝ものを再検証して取り戻していかないと。日本は世界のガラパゴスで良い。ガラパゴスが世界標準になる時代が来るかもしれない。たとえ来なくてもガラパゴスには、ガラパゴスの誇りがある。

 


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