団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

お犬さま

2012年03月14日 | Weblog

 電車に乗った。ガラガラに空いていた。海が見えるように進行方向の右側の7人掛けのベンチシートの真ん中に座った。ドアの脇の席に60~70歳ぐらいの女性がひとり座っていた。このベンチシートに座っていたのは、私とこの女性だけだった。私はチラチラっと海に目を投げながら、カバンから原稿用紙をだして読み始めた。声が耳に入る。隣の女性が私に話しかけてきたと思って原稿から顔を上げ、女性の方を見た。女性は膝のバッグの中から犬を抱き上げ、犬に話しかけている。「○○ちゃん、もうすぐ着くからね。お家に帰ったらお風呂に入りましょうね」「ごめんね。疲れさせちゃったね」 溺愛関係のようだ。

 私は電車にペットを持ち込めるのが合法かどうか知らない。知りたいとも思わない。以前フルムーンで妻と日本一周駆け足旅行をした。フルムーンはグリーン車を利用できる。贅沢な旅だった。ぎこちなく座る私たちの数列向こうの席に若い男性が犬を専用バッグに入れて座っていた。車掌が検札にまわってきた。男性が「○○ちゃんに切符ください」と人間の名のような犬の名を言った。グリーン席の料金さえ払えばペットも一席占有できることを知った。料金を払ったあと男性は、犬を席に直接出して座らせた。

 この3月3日、山口県周南市で、警察は53歳の男を道路交通法違反容疑で逮捕した。容疑は、小型犬のトイプードルを膝の上に乗せて運転したというものだ。私の住む町でも、時々犬を膝に抱いて運転する人々を見かける。数日前に妻を駅に送る時、信号のない交差点に止まって、安全確認をしていた。向こうからホンダの赤いフィットが来た。そのフィット交差点の前で急にふらつくように蛇行した。車窓から運転している女性の膝に小型犬がハンドルに脚を置き立ち上がって前方を向いていた。

 昔、日本人は、犬を虐待していると英国の新聞に写真と記事が載った。当時のことを思えば、日本人も豊かになり、庶民の生活にペットを飼うことが普及浸透したことは喜ばしい。何事も行き過ぎは、よくない。ご他聞にもれず、この町も住民の高齢化が進んでいる。それが理由かどうか分からないが、とにかく犬を飼う人が多い。犬や猫、いかなるペットでも人を癒し情操を豊かにするのであれば、有益である。

 ある経済研究所の調査では、犬を1匹、子犬から老犬になるまで飼育すると平均800万円経費がかかると試算された。最近ではペットの任意健康保険さえある。どこのスーパーにもペットフードの特設コーナーがあり、よく売れている。人それぞれの価値観や嗜好趣味、経済状態でペットを飼うなら私に異論はない。

 私が散歩する道のあちこちに犬の“落し物”が散乱する。大変な数である。電柱、街灯ポール、標識柱には、犬の縄張りを示す尿の跡がある。一匹の犬が縄張りを主張すると、他の犬は、本能的に自分の領域であることを、にっくき他の犬の尿に新たに自分の尿を重ねることで示す。イタチごっこである。異なる犬が通りかかるたびに、同じ場所を目がけて、放尿が続く。やがて鉄などの金属だと、腐食して折れてしまう。そんな鉄柱が何本もある。まさに“点滴 石をうがつ”の実証だ。犬は本能のままに生きる。犬の責任ではない。飼う人の責任である。犬に癒される人は、それ相当の規則道徳を守り、犬をこれからも大切にしてあげて欲しい。そろそろ犬を飼う人は、犬権を堂々と弁護保護するために犬頭税を払われたら、いかがなものかと、今朝の散歩で踏んでしまった“犬の落し物”を靴底からこそげ落としながら、私はおとなしく吠えてみた。

 


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