団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

若い命と水難事故

2023年07月26日 | Weblog

   7月21日、福岡県宮若市で小学6年生の女子児童3人が、川で遊んでいて溺れ、亡くなった。

  水難事故があるたびに、私は、自分も死んでいたであろう2つのことを思い出す。ひとつは、私がまだ小学校に上がる前だった。私は、自分でこのことの記憶がまったくない。親から聞いた話だ。近所を流れる矢出澤川の脇に農業用水があった。田植えの季節が来ると、用水に、矢出澤川から取水した水が、満々と流れる。ある日、私は、その用水に子猫が流されているのを見つけた。当時、猫でも犬でも生まれた子を川に流すのが当たり前のように行われていた。その子猫を助けようとした私は、川に落ち流された。たまたま用水で水を汲んでいた田中の叔父さんが流されている私を見つけ、救い上げてくれた。私は、子猫をしっかり抱いていたそうだ。水を飲み、気を失っていたそうだ。田中のおじさんは、私の家の裏に家があった。国鉄を退職して、家の畑で野菜を育てていた。田中さんの家には、用水で水を汲めるように、用水の水面まで降りられる階段があった。田中のおじさんは、用水で水を汲んで、畑の野菜に水をやっていた。偶然田中さんが用水で水を汲んでいた時、私が流れて来た。あの時あそこに田中さんがいなかったら、私は水死していた。

 あとひとつは、カナダのブリティッシュコロンビア州のオカナガン湖で起こった。夏休みに知人家族とキャンピングカーでサクランボを採りに行った時のこと。たくさんサクランボを収穫して、途中のオカナガン湖で泳いでいくことになった。オカナガン湖は、大きな湖で、英国のネス湖の怪獣ネッシーのように、オゴパゴという恐竜がいると言われている。私は、オゴパゴを見つけられるかもしれないと、沖合まで泳いで出た。突然、脚が攣った。湖の水に層があって、急に水温が低くなっている場所がある。そこで私は、脚が攣って、沈み始めた。もうダメかと思った時、私は、近くに居た人に助けられた。近くに人がいなかったら、私は溺れて、オゴパゴに食べられていたかもしれない。

 私は、自分の経験から水に対して恐怖感を持っている。水泳も得意ではない。運動神経は、もともと悪い。勉強もできなかったが、運動もこれというものがなかった。そんな私だが、今年76歳になった。

 日本は、少子化が大きな問題になっている。政府は、特別予算を計上して、あれこれ策を講じているが、効果は出ていない。期待も希望もない。そんな中、今年の夏も、水難事故があちこちで起き、若い命が失われている。少子化の中での若い命が失われることは、悲しい。日本にとって子供や若者は、宝である。

 親や家族が子どもを殺したり、無謀な運転で通学途中の子どもが事故に巻き込まれて命を奪われたりしている。事件や事故の前まで、普通に暮らしていた命が、突然失われる。病気で、治療の甲斐もなく、手をつくした末の死ではない。防ぎようがあった事故事件で、命が失われるのは辛い。

コキロクは、切ない。76年間、喜怒哀楽こもごもの人生。大きな功績も結果も出すことはなかった。普通に生きた。ギリギリに生き延びた。それなのに子どもや若者が、私のようには、生きられなかった。失われた命は、戻らない。無念である。申し訳なく思う。

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