団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

あわてんぼうのクリスマス

2017年12月25日 | Weblog

①    24日と25日の早とちり

②    お寺の保育園でのクリスマス

③    1950年代我が家のクリスマス

①     10代後半でカナダの学校へ入学して初めてのクリスマス休暇を迎えた。学校が空っぽになった。私はずっと一人で他に誰もいない寮にいた。カナダと日本の学校の一番の違いは、年間登校日数であろう。カナダの学校は、とにかく休みが多い。土日祭日が休み、夏休みが3か月、クリスマス休暇が2週間、春休みが2週間だった。クリスマス休暇は、皆が一番楽しみにしていた。学校が休みに入ると2000人以上いた学生が一斉にいなくなった。残ったのは学校内に住んでいるスタッフとその家族だけだった。クリスマスは、家族が集まる1年でとても大切にしている休暇である。日本の盆と正月を合わせたような休暇だ。

 当時私は24日がクリスマスだと思い込んでいた。寮に一人残っていた私は、休暇中学校内でのアルバイトをした。直接金銭は支払われないが、次年度の学費寮費から相当額を減額してくれる。貧乏留学生にはありがたいアルバイトだった。教室の床掃除、窓ガラスの補修などが主な仕事だった。それも24日25日は休みになった。24日の夜、英語教師のランディーン先生の家へクリスマスプレゼントのバラの花を届けに行った。先生は、英語がわからない私を優しく丁寧に根気強く教えてくれていた。おかげで英語はずいぶん上達できた。心の中で、もしかしたらクリスマスの食卓に招き入れてくれるかも、という打算もあった。先生は小学校の教師をしている夫と二人暮らしだった。ドアのチャイムを鳴らした。エプロン姿のランディーン先生が旦那さんと玄関に現れた。居間に通された。もしかしたら・・・。その思いはテーブルの上を見て消えた。ごく質素な普通の食卓だった。厳重にクリスマス包装された赤いバラ一本を渡した。とても喜んでくれた。後にわかったことだが、クリスマス・イブの24日は、日本人が思っているクリスマスではない。25日午前中に教会へ家族そろって行き、帰宅してからクリスマスが始まる。あわてんぼうの私は、とても恥ずかしい初めてのカナダでのクリスマスデビューをした。

②     私が通った保育園は仏教の寺が経営していた。クリスマスには、園長である住職が、サンタクロースの支度をして大きな白い袋にたくさんお菓子の袋をいれて園児に配ってくれた。日本は八百万の神の国。仏教も神道もキリスト教もどんな宗教も区別なく受け入れられる。

③     私の父は、毎朝、太陽に向かって神妙に頭を下げ、神棚に柏手を打って参拝し、仏壇のローソクを灯して線香をあげ、神妙に手を合わせた。そんな父もクリスマスには、モミの木を買ってきてクリスマスツリーを飾り、おもちゃのプレゼントを4人の子供に贈った。クリスマスは、カステラの切れ端でなく、本物のフランスベーカリーのデコレーションを食べた。家族6人の暖かいクリスマスだった。

    妻と形だけのクリスマス・イブを過ごした。カナダ人のように家族が集まることもなく静かないつも通りの夜。七面鳥もケーキもない。いつもの時間午後10時きっかりにベッドに入った。昨夜、カナダで24日の夜ランディーン先生の家に、もしかしたらクリスマスの豪華な食事にありつけるかもしれないとちょっと思ったことが、更に何倍にも大袈裟にされた夢をみて寝汗をかいた。

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