団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

糖尿病は治らない

2022年02月18日 | Weblog

  私は40歳を過ぎた頃から、喉に渇きを覚え、ファンタグレープを頻繁に飲むようになっていた。離婚して二人の子供を育てていた。一人は、私立の全寮制高校から私立の大学。もう一人は、アメリカへ留学させていた。二人の教育費を稼ぐために経営していた塾で教え、専門学校の講師や予備校の講師、更には塾で教えた後、家庭教師をした。食生活は、外食ばかり。寂しさと過度のストレスで深酒していた。体重は、85キロを超えてから体重計を避けていた。後で知ることになったが、まさに糖尿病へまっしぐらの期間であった。

  専門学校で教えるために電車に乗っていた時、初めて低血糖になった。冷や汗をかき、めまいで倒れ込んだ。途中駅で降り、待合室で休んだ。その時は、低血糖が糖尿病の症状とは知る由もなかった。

  再婚した妻は、医者。私が糖尿病であることを即見破った。そして糖尿病の教育入院を勧めた。2週間の教育入院で私は糖尿病が恐ろしい病気であることを思い知らされた。担当の糖尿病の専門医が言った。「もう一生糖尿病は、治りません。これからずっと共生しなければなりません。だから今回の教育入院で、徹底的に糖尿病を知ってください。3つの療法をここで学びます。食事療法、運動療法、薬事療法…」

  教育入院していた20人の内の一人が最初の夜、「あれ食っちゃいけねえ、酒はダメ!ふざけるんじゃねえよ。俺は好きなように生きていく」と言って、身支度して病院を出て行った。内心、私も彼のように逃げ出したかった。でも踏みとどまった。なぜなら日中、私たちは、糖尿病患者の透析の現場を見学していた。透析は絶対に受けたくないと案内の看護師の話を聞き、患者の様子を直接見て思った。私は決心した。そして2週間の教育入院を終えた。80キロ以上確実にあった体重は、61キロになっていた。毎日3万歩歩き、プールで1時間泳いだ。教育入院を終えて妻に会った。妻は、最初私を認識できなかった。それほど風貌も体型も変わっていた。

  あの教育入院から30年が過ぎた。幸いまだ透析を受けていない。インシュリン注射もしていない。途中50歳で糖尿病の合併症である狭心症で心臓バイパス手術を受けた。教育入院で講師の専門医が言った通り、糖尿病と一生付き合っていかねばならないと覚悟している。

  先日、ネットで『糖尿病根治可能か!』の見出しに目が釘付けになった。糖尿病が根治!記事を読んだ。「糖尿病の根治へ向け、インスリンを作る膵臓のβ細胞を増やす新たな手法の開発に成功したと、東京大学の医科学研究所が発表しました。… 東大医科研の山田泰広教授らのグループは、…MYCL(ミック・エル)という遺伝子がβ細胞の増殖に関わっていることを発見。MYCL遺伝子を働かせることにより、大人のマウスの膵臓のβ細胞を増やすことに成功しました。 試験管内で増殖させたβ細胞をマウスに移植することでも、糖尿病の症状が改善されたということです。 試験管レベルでは、…山田教授らは5年後をめどに、増殖させたβ細胞を糖尿病患者に移植する臨床応用を始めることを目指すとしています。 …山田教授は「新たな再生治療法になることを期待している」と話しています。」

 コロナのことばかりに気を取られていた。一生付き合っていかなければならないと言われた糖尿病の研究は、ここまで進んでいた。希望が湧く。5年後にこの治療法が実現することを願う。私がこの治療を受けられるかどうかより、医学の進歩を確認できることを願う。気が遠くなるような研究を続けている多くの医学研究者がいる。きっと近いうちにコロナをやっつける研究も実を結ぶに違いない。

 養老孟司が『人の壁』(新潮新書780円税別)に書いている。「…人は適当に感染し、適当に治癒する。…ヒト集団を滅ぼしてしまっては、共倒れになってしまう。…薬剤が開発され、多くの人が免疫を持ち、一種の共生関係が生じて、いわば不要不急の安定状態に入る」 

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