団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ヴェネツィアの洪水と金の首飾り

2018年11月02日 | Weblog

 ヴェネツィアは私が世界で一番好きな街である。10月29日、そのヴェネツィアの75%が洪水で水に浸かっているとニュースで知った。

 ヴェネツィアに初めて行ったのは、旧ユーゴスラビアの首都ベオグラードに住んでいた時だった。当時ユーゴスラビアは経済封鎖されていた。農業国なので食料は、ぜいたくをしなければ食べるものを手に入れることはできた。NATOが空爆すると警告を発していた。現地の人々も私たち外国人も精神的に相当な重圧感を受けていた。ベオグラードからオーストリアのウィーンへは車で8時間、イタリアのヴェネツィアへはやはり7,8時間かかった。ウィーンも良いところだが、私はヴェネツィアにぞっこんだった。ベオグラードにいた3年間に最も訪れた場所である。日本に帰国してから、海外旅行をしても年齢を重ねるごとに時差ボケと老化によるボケとの相乗効果がひどくなった。それで海外旅行はあきらめた。しかしもしもう一度海外旅行の機会が与えられるなら、ヴェネツィアとサン・ダニエーレに行きたい。サン・ダニエーレはオーストリアとの国境に近いイタリア北部の生ハムで有名な村だ。

 ベオグラードからヴェネツィアへ行った都度、ヴェネツィアの街が目に入った瞬間、涙が流れるほど感動した。きっと今行っても同じであろう。車でヴェネツィアには入れない。メストレにホリデイインのモーテルがあった。そこに泊まると車を留め置きできて、ヴェネツィアへホテルのシャトルバスがサンタルチア駅前広場まで送迎してくれた。ヴェネツィアのホテルに泊まるより安い。サンタルチア広場が現実の世界の終点である。ここのボート乗り場で水上バスに乗船すれば、異次元の世界の扉を潜り抜けることができた。

 ヴェネツィアの歴史を知りたければ、ピエロ・ベヴィラックワ著『ヴェネツィアと水 環境と人間の歴史』(岩波書店刊 3100円+税)がお勧めだ。水の都ヴェネツィアと言われるが、この本を読めば都などとは呼べなくなる。壮絶な人間と水との戦場である。それが今も続いている。その証が今回の洪水であろう。

 観光客や住民が洪水で膝上まで水に浸らせてヴェネツィアの小路を歩いている様子がテレビの画面に映った。私は目を凝らす。「もしやあの店のショーウインドウが映るのでは」 と期待した。映るわけがない。あの店とは金の小さな輪をつなぎ合わせてスカーフのように(写真参照)作ってある首飾りを売っていた店である。私がそれを初めて見た時、妻にこれを買ってあげたいと強く思った。その時私は妻とではなく私の長男と一緒にヴェネツィアへ来ていた。値段は15、000、000リラ(日本円で約100万円)だった。そのあと休暇で妻とヴェネツィアへ行った。あの店にまだ首飾りはあった。妻にショーウインドウの前で首飾りを指さして買いたいと伝えた。妻は「冗談でしょう」と言って歩き去った。私は動かなかった。「今日これを買わなければもう絶対に買えない」と思った。

 私たちにとって100万円の宝飾品なんて、どう考えても縁のないものである。しかしである、私に買いたいと思わせるほどヴェネツィアは摩訶不思議な地なのだ。ヴェネツィアという街そのものが金の輪を一つまた一つと繋ぎ合わせるように長い時間をかけて形づくられた。私には金の輪一個がヴェネツィアの海に打ち込まれた丸太の一本一本に思えた。ヴェネツィアの建設が始まったのは6世紀だった。それから延々と“築く”“壊される”を繰り返してきた。問題が多々あってもヴェネツィアは、未だに存続している。私の身の程知らずとはわかっていても、ヴェネツィアの歴史が金の首飾りが重なってしまった。今でもあの店があるかどうかはわからない。それでもヴェネツィアの小路の小さな店で、あの首飾りを見ることができた。妻の首につけてあげられなかったが、つけてあげたいと思った気持ちは今でも変わらない。洪水と地盤沈下でヴェネツィアの行く末が案じられているが、ヴェネツィアは、これからも水と闘ってゆくに違いない。

 「地球を構成する水は破壊的、壊滅的な巨大な力である。浸食により粉砕し、打ち倒し、沈殿によって再び満たし、平均化する。それはまた、崇高さや高貴さ、不平等の敵であり、世界を滑らかに丸くする作用を行うという意味で超民主的な要素である。」 F・ポレーナ

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