団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

年末年始狂騒曲

2020年01月06日 | Weblog

  12月31日夫婦二人だけで歳とりをした。妻の13年間におよぶ海外勤務から帰国して16年が過ぎた。

 海外に暮らしていた時、もちろんNHKの『紅白歌合戦』は観られなかった。妻の海外勤務に同行する前から、『紅白』は観られなかった。仕事が大学受験生高校受験生に英語を教えていたからである。年末年始は、特別講座を企画して、旅館に泊まりこんで受験生と過ごした。『紅白』は、私の子ども時代の思い出でしかない。

 今は有り余る時間を持つ。テレビは大切な時間つぶしとなる。好きな番組も多い。それでも『紅白』を観て歳とりをしたいと思わない。私が観る番組のほとんどは、芸人やタレントの出てこない番組である。自然、動物、ドキュメント、スポーツ。スポーツ中継を観てから、芸人だらけの番組を観ると気分が悪くなり、テレビを消す。漫才、漫談、落語、コントどれもそれ相当の準備を積んで視聴者の前に立つ芸人たちが好き。年末年始は、忙しすぎるのだろう、生放送の番組に出て来る芸人たちは、疲れ切っていた。芸というよりただの顔見世だった。それで済めば良かったが、とちったり掛け合いが途切れたりで聴くに堪えなかった。働き方改革は、テレビ界ではずっと以前から実施されていたようである。正月番組を録画早々撮り貯めて、実際の正月時、ハワイは日本の芸能人たちで賑わうという。正月三ヶ日のテレビ番組はひどかった。過去の番組の一挙放送とか言っていたが、体の良い穴埋め時間埋めでしかなかった。コンビニの営業時間の短縮であれだけ大騒ぎしたマスコミが、ダンマリを決めているのは、民放テレビ局はほとんどが新聞社系列だからであろう。

 私は、年末年始にサッカーやラグビーなどのスポーツ中継を期待した。しかし高校サッカーの予選、準々決勝が放送されただけで、ラグビーの実況中継は、なかった。なにやらスポーツ専門チャンネルでは観られるらしいが、我が家は契約していない。だからスポーツ観戦もほとんどできなかった。スポーツ中継はなかったが、ラグビーワールドカップの日本チームで闘った選手やスポーツ選手が大挙してお笑い芸人やタレントたちと番組に出演していた。これもあまり好きではない。やはり選手は、自分たちが活躍できるスポーツで本領を発揮して欲しい。しかし日本のマスコミは、麻疹にかかったように一時期話題の選手たちをチヤホヤするが時間が経つと忘れ去る。だから今まで日の目を見ることができなかった選手が一時的であれ脚光を浴びることに反対はしない。

 6日の朝、高島秀武がラジオのニッポン放送で言った。「それにしても年末年始のテレビ番組はひどかったですね。」 嬉しかった。私だけではなかった。

 狂想曲の定義は、形式にとらわれず空想的で技巧に富んだ器楽曲とある。狂騒曲は、実用日本語辞典に「クラシック音楽で自由形式の曲を指す狂想曲にかけて、社会的な大騒ぎ、騒乱・狂乱といった意味で用いられる表現」とあった。

 世の中が多様性であることに異議はない。そんな時代に男と女を紅白に分けて歌合戦はもう古いのでは?私は自分を含めて日本人であることに不安を持つ。ゴーン元日産会長がまんまと年末に日本脱出を成功させた。日本中が年末年始の狂騒曲に浮かれているのを知ってか知らずか法を犯して逃げた。法律に年末年始はないはず。この国では、どこか法律を破る者を見逃して、遵守している人を疎かにしている気がしてならない。

 日本のテレビが狂騒曲でなく狂想曲いや協奏曲の発信元になることを願う。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« もういくつ寝るとお正月 | トップ | 千両万両 子孫繁栄 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事