団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

社会問題 電車文化

2007年08月01日 | Weblog
 日本の現代の都会の人びとの道徳観、倫理観は電車の中で組成されていると思えて仕方がない。

 世界のいろいろな国で暮らしたが、日本の都会ほど暮らしが電車に依存している国はなかった。それも東京などのラッシュアワーの混雑は、筆舌につくしがたい。世界でも悪名高い日本のイメージになっている。また毎日のこの繰り返しが、日本の現代風情を醸し出す。電車を利用するたびに、新しい発見、観察がある。

 アメリカ、カナダで暮らしていると、移動はほとんど自家用車で行われる。家族単位、夫婦単位となり、他人の行動、言動からは隔離されている。見たくないもの、聞きたくないもの、触れたくないものを避けることができる。すくなくとも欧米社会で、日本の満員電車の中のような他人との接触は有り得ない。欧米の個人主義はきっとこんな環境が醸し出した文化なのであろう。

 私が暮らした発展途上国の多くも鉄道の発達は遅れていた。人々が国内を旅行などで移動することもあまり行われていない。人の移送の手段として、バスや改造トラックにギュウギュウ詰めされて安い運賃で都市内を移動する。これも日本の都市の電車移送に比べる規模のものではない。

 電車に乗ってくるのは、老若男女、多種多様な人びとである。同じ空間に不特定多数の人間が閉じ込められる。空いていればまだしも、多くの場合、混み合っている。そこで限られた空間の中に軋轢が生じる。お化粧、リュック、ランドセル、携帯電話、i―Pod、股開き、居眠り、覗き見、飲食、おしゃべり、体臭、痴漢行為。

 海外勤務から日本に戻り、中央線で通勤している友人は、両腕の筋肉痛に悩まされている。痴漢に間違えられたら全てを失うと、両腕を降参スタイルに挙げて、疑いを断ち切っている。涙ぐましい努力をしている。

 電車は走る人物世相博物館である。こんなにわかりやすく、ありとあらゆる人物の世相現状を見せてくれる国はない。ある意味日本はひらかれた国でもある。あけっぴろげ、というのかそんな感じである。長い海外生活から日本に戻り、私の浦島太郎状態からのリハビリに一番役にたったのが、この電車博物館であった。いまだに学び続けている。そして楽しく、時々不愉快になる。

 地球の人口はすさまじい勢いで増え続けている。この日本の電車博物館もいつかは、世界が学ばなければならなくなる時、きっと役立つ実績となる。これから電車の中が、世界に誇れる成熟した文化の証になれればよいのだが。

 長い間満員電車で通勤し定年を迎える団塊世代の皆さん、ご苦労様でした。これからはゆっくり空いた電車で、時間に追われることなく自由に移動してください。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« セカンドライフ問題 写真 | トップ | 社会問題 末は博士か大臣か »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事