今回ミセス・ツジから聞いた話のひとつだ。
ある日、日本からシアトルの私の娘宛に、小包が送られてきた。ミセス・ツジが私の娘に誰が小包を送ってきたか尋ねた。私の娘は「私のおじいちゃんの娘さんから」と答えた。ミセス・ツジは「それってあなたのお母さんのこと?」と聞き直した。娘は黙って首を縦に振った。ミセス・ツジは「なぜお母さんと呼ばないの?」と尋ねた。「彼女は私を捨てたから」と言ったそうだ。
私の育て方、教え方が間違っていたのだろう。それを聞いた時、私はそう強く感じた。私は娘に申し訳ないと思った。私の娘の心に癒せぬ深い傷をおわせていた。
ミセス・ツジは私の娘に「どんな理由があっても、絶対に母親を怨んではいけない」ことを解ってもらおうと願い、懇懇と諭したという。私の娘には言ってないがそれはミセス・ツジ自身への語りかけだったと言う。自分の母親に対して、母親の夫、つまりミセス・ツジのお父さん、そして4人の子供たちに対して決して良い妻でも母親でもなかった、とミセス・ツジは思っていた。
2007年、92歳で他界したミセス・ツジの母親は、死の直前、「私はあなたにとって良い母親でなかった」と言って息を引き取ったそうだ。母親は日系人の婦人団体で活動し、遂にはアメリカ政府に日系人を戦時中収容所に監禁したことに対して、謝罪と賠償金の支払いを求め、勝訴した。おそらくその活動は家庭を犠牲にして行われたのは想像に難くない。幼いミセス・ツジは、両親が大声でお互い責め口論する姿を見るたびに、洋服ダンスに隠れ、クレヨンでタンスのうち壁に『I hate my mother!』(私はお母さんを憎む)と書きなぐったという。自分の母親を反面教師に、自分は夫と子供たちにとって彼らが望む存在になろうと生きてきた。失敗も失望も挫折も味わった。そのたびに心の中で、『I hate my mother』の過去を消そうと立ち上がった。
私の娘がツジ家でお世話になった期間、一度としてツジ夫妻が声を荒げたり、怒ったのを見たことない、と私の娘が言った。私は短気の見本のような人間だ。信じられないことだった。年齢と共に夫妻は信仰を深め、問題はすべて声に出して祈ることで乗り越えてきたという。
私の娘の小包事件以来、私の娘は、ミセス・ツジを他の実の子供たちと同じく『マミー』と呼ぶようになった。ミスターツジを『ダディ』。私を『パパ』。妻を『お母さん』。実の母を『?』。現在、私の娘は実の母親とも会っているらしい。私はそれは私の娘の自由だと思っている。内心、もやもやはないとは言えないが、私が何かを言えることではない。ただミセス・ツジのおかげで私の娘が、私をも、娘の実の母親をも許していてくれるのなら、それ以上のことは望むべくもない。それにしても私の罪はあまりにも深い。
(写真:ハワイのストロベリーパパイヤ)。
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