団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

梅雨の晴れ間に思うこと

2021年05月18日 | Weblog

  今年も梅雨入りした。五月晴れが続いていた。青い空の下、日課の散歩も楽しい。雨の中の散歩もそれなりに楽しめると思う。でも散歩しない。肺炎を恐れるからだ。新型コロナも肺がまずやられるらしい。雨の日はおとなしく家の中で過ごす。私の右脚の血管が狭窄している。良くなることはないらしい。現状維持のためには、運動しかない。一日最低5千歩が医師から勧められた目標歩数である。雨の日は家の中でウォーキングマシーンの上を歩く。30分歩く。でもちっとも楽しくない。私は子どもの頃から道草とよそ見の達人だと自負していた。家の中のウォーキングマシーンでは道草もよそ見もできない。テレビを観ながらでもと思うが、テレビは午前も午後もワイドショーとかいう詰まらない番組ばかり。観ていると腹がたつので、観るのをやめた。

 今朝は朝から青空が広がっていた。陽の光が気持ち良い。家の周りの木々も雨の後は緑が綺麗。雨上がりの空気の色も匂いも好き。アフリカのセネガルにいた時、日本の梅雨を懐かしんだ。セネガルは1年中雨がほとんど降らなかった。乾燥して空気も砂っぽかった。草も木も少なかった。その少ない草や木の芽や葉を家畜が競って食べつくしていた。多くの家畜がゴミとして舞ってくる、ビニール袋などを食べて腸閉塞を起こして死ぬと聞いた。日本では草は厄介者である。抜いても抜いてもまたすぐ生えてくる。私は日本に帰国して、元気にはえる草を見るたびに、セネガルのあの痩せこけた家畜に食べさせたら、どんなに喜ぶだろうと思う。

 生まれ育ち暮らす国も親を選べないのと同じで選ぶことができない。コロナ禍で1年以上普通の生活から引きはがされている。政治や行政がいけないと言う。でも彼らを選挙で選んだのは私たち国民である。故郷の長野県でも国会議員の補欠選挙があった。相変わらずただの世襲選挙であったようだ。コロナによる国難への対応が悪い。ワクチン接種が遅い。あらゆる今日本が抱える問題も、すべて私たち国民が選んだ結果である。だから私は文句や不平不満を言うのをやめた。自分に腹を立てるより、散歩で友人知人のこと、以前暮らした国のこと、出会った人々、動植物、食べ物を、得意の道草とよそ見をきっかけに思い出すほうが楽しい。そうしていると日本にも良いことがたくさんあると気づく。それが私を後押ししてくれる。私はもうどこへも行かない。日本で果てる。

 

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