団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

傘と杖

2024年02月05日 | Weblog

  このところ目だけでなく脚も具合が良くない。目は疲れやすく、右脚が痛くて散歩もできない。そんな折、友人から癌が見つかり、手術を受けるとメールしてきた。親友のお兄さんが急に亡くなったとの訃報もメールできた。

 もらっていた年賀状に返事を、母が去年の年末に亡くなったので、出せないでいた。私から年賀状を出すのは、もう何年か前にやめた。その挨拶状を出した後も、律儀にやっと寒中見舞いの葉書で、返事が遅れた説明とお詫びをして、郵便局で出し終わった。先日雨が降ったりやんだりの日があった。車で出かける時、杖は持って出ない。駅の駐車場に車を入れて、傘を杖代わりにして、電車で出かけた。電車を降りる時、傘を地面に圧しつけた。すると取手がグニャと曲がってしまった。ホームで他の乗降客の邪魔にならない場所に移動した。曲がった所を元に戻そうと力を入れた。ポキッと折れた。手に取手だけ残った。下の部分がホームの床に倒れ落ちた。杖代わりにすると思っていたが、どうやら杖には使えない。

 借りている駐車場で私の車と隣同士の車の持主が亡くなった数日後、その人の車のクラクションが突然鳴った。2日連続に起こった。私は迷信も死後の世界も信じていない。それでも偶然としてその現象を看過することができなかった。傘が折れた。私はクラクションの事を思い出した。何か不吉なことが起こらなければいいのだがと思った。友人の癌、親友の兄の死去。私の目の悪化、脚の痛み。取りようによれば、すべて良いことではない。人間は、心が弱ると、余計なことを考えるらしい。

 折れた傘は、杖代わりに使えない。それどころか、取手と傘の下の部分と2つに分かれたモノは、扱いにくい。脚が悪いので歩くのも不自由。2つに分かれた傘を持ち歩くのも楽でない。どこか捨てる所はないかと探した。壊れた傘が入るようなゴミ箱がない。そうでなくても公共の場所のゴミ箱は、数が少ない。テロなどの防犯のためらしい。不便でも安全を優先すべきだ。

 スーパーで買い物した。レジの女性が私の怪しい動きに同情したのか、「どうかなさいましたか?」と声をかけてくれた。砂漠でオアシスを見つけたような気持ち。女神が池から金のオノを持て出てきて、「これはあなたのオノですか?」と木こりに尋ねた時と同じくらい私は、感動していた。「傘の取手が折れて、捨てるところがなくて困っています」と告げた。「こちらで処分しておきますよ」と取手と下の部分を受け取って、レジの下の台に入れた。私は、脚が悪いとは言わなかった。杖代わりにしていた傘が折れた。それを不吉な前触れだと思ったことが悲しかった。折れた傘のお陰で、人の優しさに出くわすことができた。不吉ではない大吉だ。

 人生良いことばかりではない。悪いことが続くと落ち込むが、人生ならしてみれば、良いこと悪いこと均衡が取れていると思う。

 脚は整形外科の医者に診てもらうことにした。待ち時間が長く、3時間はかかる診療だが、動けるうちは、医者の診察と治療を受けようと思っている。妻がいろいろ介助してくれる。妻の負担を治療で少しでも軽くしてあげたいと思う。

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