団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

孫の受験

2024年02月01日 | Weblog

  2月1日孫の一人が中学受験する日だ。事前に鉛筆3本と消しゴムとネスレの『キットカット』一箱を送った。鉛筆は、3本を削った。自分の子ども二人が受験した時も、鉛筆を削って渡した。メモを付けた。「この鉛筆でいつもより、少しキレイな字で答えを書いてみてください」 孫にも同じことを書いたメモを送った。孫の手紙の字は、字というよりは、デザインの模様のようだ。『キットカット』は「きっと勝つ」と掛けているらしい。九州の方言で「きっと勝つとぉ」が「きっと勝つよ」に聞こえるので、受験生の間で広まったらしい。孫がこのキットカットを爺さまのダジャレとでも受け止めて、口角を下げてくれればと思って送った。甘い物は、脳の働きを良くするとも聞いている。

 私は、カナダから帰国して、日本人が英語を話せるようになるのを手助けしようと、英会話教室を立ち上げた。それがだんだん受験科目としての英語を教えるのが主になってしまった。中高生の生徒が増え、遂には大学受験専門の塾になってしまった。今でも受験の季節が来ると胃が痛くなる。受験生の入試結果に一喜一憂する日が長く続いた。以前は、新聞に合格者名簿が載ったので、毎朝、新聞で結果をチェックした。結果を直接報告するために、親子で来てくれるのが嬉しかった。不合格だった生徒の相談も多かった。

 離婚して二人の子どもを引き取った。仕事と子育ての両立は、難しかった。子供たちが、落ち着いて勉強できるように生活を変えようとした。長男が小学6年生の時、東京の中学校を受験させた。帰宅した長男が、「算数、学校で習ったこと全然出なかった」と言った。つまり0点だった。これが長男の勉強態度を変えた。中学で英語を塾で他の生徒と一緒に私が教えた。高校は、全寮制の高校に合格した。大学も国立はダメだったが目指していた私立に合格した。長女は、小学校2年生で、アメリカの友人に預かってもらった。高校は日本でと思って長野県の私の出身校を受験させた。社会の試験の後、「一つも答解らなくて書けなかった」と言った。兄に続いて0点の経験を妹もした。ずっとアメリカにいて、日本語が不自由にならないように思ったが、結局はアメリカの大学に進学した。

 コキロク(古稀+6歳=76歳)になって、もう受験とは何の関わりもないと思っていた。私が苦労した頃の経験を、今、私の子どもたちが直面している。孫の受験である。別に意見を求められたり、経済的な援助を求められているわけではない。ただ爺さまとして、結果の報告を受けるだけである。気楽と言えば気楽である。私の子どもたちも、自分の受験経験で、不合格と0点を取ったことが、親となって自分たちの子の受験に対する考え方に、良い影響を与えていると思える。

 受験は、人生に大きな変化をもたらす。大横綱白鵬が「横綱になるには、運命と宿命が必要である」と言った。大横綱でなくても、受験には、運命と宿命が込められている気がする。考え方を変えれば、たとえ受験に失敗しても、それも運命と宿命だったように思える。小さな存在であっても、次に来る展開は、運命と宿命かもしれない。人生、決して思うようには進まない。それでも目標と希望を持って、挑戦を続ける。人を本当に強くするのは、経験だ。経験が、運命と宿命をもたらすのではないだろうか。白鵬は、自らの天性に稽古と経験を努力して加えて、運命と宿命を手にしたに違いない。受験は良い経験である。

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