団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

一期一会 鍵のない食器棚

2007年12月13日 | Weblog
 時々町内にある骨董店へ、休日の楽しみとして夫婦で行く。ある日、そこでベルギーのオーロラ社製の食器棚を見つけた。これは凄いぞとさっそく店の人に値段を尋ねた。店の人の様子が何かおかしい。売り惜しみだな、と勘ぐった。どこでもそうだが、値段の表示のないときは気をつけたほうが良い。店の人が重い口を開いた。「実は鍵が見つからなくて。ずっと探しているのですが。鍵がないのを承知で買ってくださるならお安くしておきます」 「ノープロブレム、問題ありません」 そう私は自分に言い聞かせた。たとえ鍵がなくて開かなくても、この食器棚は残る、と訳の分からない結論を出した。思いもかけぬ値段に小躍りした。もちろん妻は家で、いつものごとく早速インターネットで新品の時の値段調査である。オーロラ社はすでに会社を閉鎖してしまった。妻は目を輝かせて命令口調で私に言う。「どんなことをしても、この食器棚の扉を私のために開けて!」

 私はない知恵を絞った。まずハローページで『鍵開けます』欄から近くで格安のところを見つけようとした。でも建具屋さんならもっと食器棚の鍵に詳しいかもしれないと思った。建具屋のページをめくった。誠実そうな会社名をみこんで電話した。年配の職人らしいおじいさんの声に聞こえた。「とりあえず、見せてください。住所は?」 私はマンションの名前を言った。「ああそうですか。そこの仕事させていただきました。明日その近くに行くので食器棚見せてください」 凄い。これは幸先がいいぞ、と私は手を叩いた。

 翌日、おじいさんが来て食器棚をみてくれた。「こんな仕組みの鍵初めて見ました。お客さん、私にやらせてください。少し時間はかかるかもしれないが、私は開けたい。この仕事もう長くやっていますが、こんな鍵開けてみたい」 さすが職人さんである。私も嬉しかった。「どんなに時間がかかってもいいので、やってください。お任せします」 彼はしばらく鍵穴にいろいろ射したり、寸法を測ってメモ帳に書いたりした。仕組みを図にして書き取り帰って行った。

 それから1ヶ月半くらいしておじいさんから電話が入った。「2,3鍵を作ってみたので、試させてください」 開いたらどうしようと想像し、私は興奮した。何しろ毎日開かない食器棚をレモンオイルで磨きこんでいた。「貴方は我が家の食器棚になるべくして、遠いベルギーから日本へ来た。どんな家においでになったかはわかりませんが、どうぞ御開きください」と語り続けた。おじいさんが到着。運命の瞬間が3回続き、どの鍵も不成功に終わった。おじいさんは肩を落として「もう一度やってみます」と帰って行った。あの様子だとそうとう自信があったのだろう。

 それから2ヶ月後、再び待ちに待ったおじいさんからの電話だった。「私は東京へ3回行きました。知り合いの町工場の友人に私の図の通りの鍵を作ってもらいました」 前回と同じように自信を持って、入ってきた。今度は何と1つの鍵しか持っていなかった。食器棚の前に両膝をつき、神妙な顔をして鍵を差し入れた。「ガチャッ」 あ、あいた!見事!おじいさんと私は固い握手をした。抱き合って踊りたかったぐらい、嬉しかった。おじいさんの目も何となく潤んでいた。 私にふと心配が心をよぎった。すでにお願いしてから4ヶ月が経っている。おじいさんは、鍵を作ってもらうために東京へも行っている。これだけ時間も技術も要した鍵だ。一体いくら請求されるのだろう。恐る恐る聞いた。おじいさんは「1万円いただけますか?」と恐縮しながら言った。「それではいくらなんでも」嬉しそうに私は言った。「いいえ、それでいいんです。私がお願いしてさせていただいた仕事です。本当嬉しいです。何年ぶりですかね。こんなおもしろい仕事。それにしてもこの鍵は良くできています。よほど高価なものを入れる食器棚なんですね」 なんというりっぱな職人魂だろう。日本にはこんな職人さんがまだいるのである。

 この鍵のない食器棚のおかげで、私はまた素晴らしい出会いに遭遇できた。日本の職人は凄い。 (写真:鍵のなかった食器棚)
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