団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

桜と愛車

2015年03月25日 | Weblog

  自転車を多用するようになった。整形外科に月一回通院している。脚の筋肉の衰えを指摘され、教えられた筋肉増強の体操をこの数か月続けている。前回の医師の測定で2センチ太ももが太くなった。歩くのと同じくらい自転車も脚の筋肉を鍛えると言われ、自転車に乗るようになった。散歩中心だった運動に自転車が加わった。

 住むところは坂が多い。行きはヨイヨイ帰りはコワイ。いくらアシスト自転車でも帰りの上り坂は息がはずむほどペダルをこがなければならない。寒い日でも汗をかくことがある。自転車で行動していると歩いているときとは、違った景色や世相が見えてくる。

 先日赤信号になり道路脇で自転車を止めていた。するとイタリア製のフェラーリが横にいた。運転していたのは70代と思われる私より年配の男性だった。身支度も良かった。私の自転車は特売で6万7千円だった。私が身に着けていたのは妻の甥にもらったお古の黒いダウン、黒い皮手袋、マスクに毛糸の耳当て。フェラーリの老人の視線が冷たかった。おそらくフェラーリは2千万円以上であろう。

  人一人の生涯収入は平均的な一般人ならさほど格差はなく、個人の性格嗜好価値観により金の使い方に違いがでてくる、が私の持論である。私だって家も持たず欲しい物の多くを諦め無理に無理すれば、フェラーリを買えたかもしれない。しかし、確実なのは絶対に維持できない。税金、保険、燃料代、車検代などなど。個人の豊かさというのは、物品を購入することではなく、その維持の仕方にある。そんなことを考えながら次の信号に差し掛かった。今度は私の6万7千円の愛車の隣に金色のベントレーが止まった。5千万円はする車である。運転していたのは、私と同年輩の普通のおじさんだった。私はフェラーリに乗っていることもベントレーに乗っていることも羨ましくない。あれだけの車をごく当たり前のように維持できる経済力と価値観に驚嘆するのである。

 私は身の回りの整理を始めている。90歳ちかくになった母親に倣う。母親は60歳で自動車免許を返納した。70歳までに身の回りのモノを整理して風呂敷包み2つにまとめ、「私が死んだらこの風呂敷包みを処分して」と言った。私はまだ運転免許証も返納してない。モノの整理も始めたとはいえ、遅々として進まない。

  昨日、私は決心した。3ナンバーの今乗る普通乗用車を処分して、リースの小さな車にすることを。そして知り合いの業者に頼んで手続きを開始した。3月末までに廃車の手続きをすれば、来年度の自動車税を払わずに済む。大きな節約となる。車をリースにしておけば、私が運転できなくなってもリース会社が始末してくれる。今度乗る車のパンフレットに車椅子がそのまま積み込めるとあった。私は「いいな」とガッテンした。後でよく考えると、私が車椅子に乗ったら誰が運転するのだ、と笑った。

 私は金持ちではない。でも時間持ちで本持ちで調理道具調味料持ちにはなれた。我が家はエンゲル係数が異常に高い。これも私たち夫婦の価値観の故である。これからも気の合う仲間に家に来てもらって、私の足を使って、あちこちで買い求めた私の目で選んだ材料で料理してモテナそう。

 今朝も天気が良く青い空が美しい。家の前の桜並木が一斉に咲きだした。桜のトンネルを自転車でさっそうと駆け抜けるぞ。

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