団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

御呼ばれ

2013年04月15日 | Weblog

  4月13日の土曜日、“御呼ばれ”で高校の同級だった友の家に行ってきた。約束した駅の南口に車で迎えに来てくれた。7人乗りの大きな車だった。2列目の左側の席は電動で座ったまま乗り降りできる。友の説明によると月2回会いに行く故郷で介護施設に入っている母親を乗せるためだという。月2回母親に会いに行くだけでも感心する。歩くのが不自由なので車の座ったまま乗り降りできる装置をつける気遣いにはもっと驚いた。親孝行な息子である。彼は成績優秀で常に学年でトップクラスだった。大学を卒業し、会社で働き定年退職した。その間ずっと農家の両親の手伝いを目いっぱいしながらである。ただ頭が良いという人ならたくさんいる。二宮尊徳を彷彿させる。2人の子供を立派に成人させた。そして私たち夫婦がお付き合いする基準とする夫婦の仲の良さも合格点である。4,5年前ワイン会で私の妻が酔いつぶれた時も、普段からスポーツジムで100キロをベンチプレスで上げる力持ちは楽々と背負って貸切バスにのせてくれた。多くを学び真似たい友である。

  奥さんの手料理ご馳走になり話が弾んだ。酒が強い友と妻は、楽しそうにピッチをあげていた。やがて妻は酔いがまわり、話しに一貫性がなくなった。妻に理解ある夫妻は、妻にソファで横になるよう勧め、上掛けまで用意してくれた。気持ちよさそうに横たわる妻に3人が時々目を向けながら、話に花を咲かせた。

  私は御呼ばれが好きだ。何故だろう。子供の頃からよその家で「ご飯食べていきな」と言われるのが嬉しくてしかたがなかった。遊び友達、親戚、近所の人、誰でもよかった。京都ではそう誘われて断らないと常識のない田舎者と言われるそうだ。何を言われようが自分の家でない場所で食べさせてもらえるのが嬉しいのである。私はどの学校どんな本で学んだことより、招き御呼ばれされた食卓で得たことのほうが多く私の人生の役に立っている気がする。

  主夫になって御呼ばれされるより御呼ばれする側になった。特に海外で暮らしたときは、ほぼ毎日客を招いていた。もてなしの技を磨いた。コツもつかんだ。楽しみの少ない不便な任地でいろいろな人々との交流は、最大の娯楽でもあった。客を招くと御呼ばれされる機会も増えた。主夫になって初めて御呼ばれする側の裏での苦労を経験した。御呼ばれされた時、招待してくれた人たちの裏での苦労が実感としてわかるようになった。献立を考える。料理ひとつ一つの食材の確保入手、下ごしらえ、調理、テーブルセット、食器の選択と続く。客人と共有する時間、ずっと相手を気遣いもてなす。終ったと後の片付けも大変である。妻と深夜まで食器を洗った。苦労で体にも負担があったが、それ以上に招いた客から実に多くのことを学ぶことができた。

  今月の末にまた御呼ばれの声がかかった。奥さんが大病を患った夫妻からの招待である。日時は決まっていないが他の友からの誘いもある。嬉しい。誰もいつ自分の命が終るか知らない。悲しいことはいくらでもある。私は思う。これからもできるだけ御呼ばれをして、御呼ばれをされて、自分がこの世にいる間は、会いたい人と会って時間を過ごし、たわいない話をして手料理を味わい飲みたい。招きたい人を招く。地震、ミサイル、オレオレ詐欺、増税、政治不信、嫌なこと恐ろしいことは山ほどある。どれも私自身にはどうすることもできない。だから一緒にいたい人々、話したい人々、話を聞きたい人々と、さりげなく時間を過ごしておく。たとえどういう状況、順番で消えていくにしても「さよなら」とだけ言える関係でいたい。精一杯下準備してご馳走して後片付けして、遠慮なく招かれご馳走になって後片付けしてもらおうと思っている。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ミサイルか大衆か | トップ | 鯉のぼり »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事