団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

早飯

2015年02月05日 | Weblog

  孫が東京から電車で一人でやって来た。現在中学一年生である。何でも“入試休み”という聞き慣れない1週間の休みだそうだ。私が住む町の駅に10時21分に到着すると連絡があったので迎えに行った。電車が到着して乗客が改札口を通過し始めた。平日である。たいした人の数ではない。それでも見逃してはならずと目を凝らす。だいたい中学1年生くらいの若いのが見当たらない。正直、私に彼を見分ける自信はない。年に数回しか会わない。子どもは成長が早い。会うたびに変化に驚かされる。数分で人影が途絶えた。駅はホームから地下道を通って改札口に至る構造になっている。地下道を通る以外に出口はない。心配になってきた。「あやつ、乗り過ごしたか」 両親から毎朝彼を起こすのに苦労していると聞いている。電車の暖房とポカポカ陽気で眠ってしまったのか。「来た」 他の乗客から明らかに離れて一番ビリだ。レースで言えば周回遅れのランナーのように姿を見せた。ひと安心。

  孫が私を訪ねた理由は孫の父親が私に英語の勉強をみてやって欲しいと依頼があったからだ。私は息子が子供の頃、特別な方法で英語を教えた。あの学習法がとても役に立ったので孫にも教えてやってほしいと言う。豚もおだてりゃ木に登る。悪い気はしなかった。引き受けた。孫は中高一貫校に去年合格してしまった。両親は奇跡だったという。どうも聞くところそうだったらしい。サッカー少年で明けても暮れもサッカーにご執心で勉強は学校だけだった。塾に行くこともなかった。合格は彼に大きな負担となった。中高一貫の進学校はとにかく授業進度が早くついて行くのが難しいという。サッカーは相変わらず学校外のクラブチームに所属して学校が終わると夜遅くまで練習している。現在の学業成績は思わしくないらしい。両親が心配し始めたという訳である。

  まず2時間、私の書斎で英語を彼の学校の教科書を使って教えた。理解力は悪くはないがずば抜けて明晰とはいえない。おっとりしている。日本の学校で成績を良くするには、勘の良さ、一を聞いて十を知る、目から鼻に抜けるような才気、暗記力が不可欠である。孫に必要なのは教える側の忍耐と寛容であろう。ゆっくりでも理解させるまで見放さない。自信がつけば、こういうタイプの子は伸びる。

  昼飯を行きつけの蕎麦屋で食べることにした。孫に「食べたいものある?」と尋ねた。モジモジしていた。「カツ丼と蕎麦のランチセットでどう?」「僕カツ丼好き」とボソッと言った。孫は蕎麦を食べ始めた。ほとんど一本づつ箸でつまんで食べる。ゆっくりゆっくり噛んで食べる。私は、ものの5分もかからずに掛け蕎麦を食べ終えていた。思い出した。孫の父親が小学生の時、担任教師から私に電話がかかってきた。「おたくのお子さん、給食を食べるのが遅く、他の生徒に迷惑がかかっている」と言われた。私は謝り「家で私からよく言い聞かせます」と言った。内心嬉しかった。私は日本の高校からカナダの学校へ移った。小学校で先生から給食を早く食べるように指導された。早食いである。そのおかげでカナダで困った。皆話しながらゆっくり食べる。私は息子にカナダでの経験を話した。食事はゆっくりよく噛んで食べるようにさせた。

  その息子が孫にどんな躾をして育てているのか知らない。蕎麦を少しづつゆっくり口に運ぶ孫。遺伝というのだろうか?家風なのか。どちらでもよい。早食いでなければならないきまりはない。

  午後、3時間休みなしで勉強した。孫はずっと座りっぱなしで私の話を聞いた。なかなかできることではない。感心。辛抱強い。この歳だった私にはとてもできなかった。私は安心した。きっとこの孫は近いうちに勉強のしかたを見出し、自信を持てるようになるだろう。勉強は解らないことを見つけて、解るようにすることだ。時間がかかってもよい。勉強机に座り続けて、投げ出さなければいつかは結果があらわれてくる。要領は自ら見つけるまで待つしかない。

  駅まで送り、私が彼のためにこの1週間かけて作成した大学ノート一冊と本日のレッスンの模様を録音したUSBを渡した。来た時と同じように孫はのったりうつむき加減に地下道を歩いて家路についた。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« テロ | トップ | 怪電話 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事