団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

昆虫採取の虫篭

2023年07月14日 | Weblog

  散歩していると、あちこちで昆虫を見る。生きているのも死んでいるのもいる。特に街灯の周りに多い。昆虫の多くは、光に集まる習性がある。街灯は、光を発しているが、自然界に存在しない人工的な光である。その光は、昆虫に方向を示すものでも、餌を得る手助けにもならないし、ましてや繁殖のための異性に出会う場所でもない。

 私は、街灯の付近を綿密に見回す。時々、タマムシが落ちているからである。私は、タマムシの美しさにぞっこんである。この世でもっとも美しいと思っている。

 妻にタマムシの話をした。妻は、教科書で正倉院の玉虫厨子の写真を見たという。私の記憶に玉虫厨子の写真はない。正倉院と螺旋の枇杷を教科書で見た気がする。

 それはどうでもいい。問題は、タマムシの美しさだ。昔にもタマムシの美しさに心を奪われた人が多くいたことである。そのタマムシを使って正倉院に保管されるような美術品を作ったということが私を感動させる。

 幼い頃、昆虫採取に夢中だった。今考えれば、残虐な行為である。ただトンボを何匹捕った。他の誰も捕れなかったオニヤンマを捕まえた。蝶も珍しいものに価値があった。一種の捕獲競争だったのだ。学術的な意味もなく、ただ太古の昔から私たちの中にある狩猟本能が出て来ただけかもしれない。養老孟司さんのように特定の種類の昆虫を集めて標本にすることもなかった。ただ捕って、いつしか忘れて引き出しやポケットの中で干からびさせた。夏休みの自由研究で、昆虫採取と言って、いろいろ捕ったが、休み明けにきちんと研究の結果など出した覚えもない。昆虫に申し訳なく今は思う。

 数日前、散歩途中、路上で弱っているオスの立派なカブトムシを見つけた。最初、小学校時代に戻ったように「スゲェ カブトムシだ」と即捕まえようとする自分と、「捕まえてどうする?どうせ、すぐ死んでほったらかしにするんだろう」の自分がせめぎ合った。75年の年季がモノ言う。「弱っているなら、家に持ち帰って、何か餌を与えて元気になったら放してやろう。だめだったら葬ってあげよう」

 家に連れ戻った。適当なカブトムシを入れておく籠のような物を探した。ない。日中、買い物に出たついでに虫かごを探した。270円+消費税で297円。さっそくカブトムシを入れた。カブトムシの餌も売っていたが、買わなかった。私に考えがあった。きっとカブトムシは、樹液を餌にしているのだから、メープルシロップなら餌になるに違いない。

 カブトムシは、小さな籠の中でぐったりしていた。カブトムシだけではない。私だってこのところの猛暑でグロッキー気味。寝る前に籠の中にカナダのメープルシロップを容器に入れて籠の中に置いた。

 いつものように4時に起きた。すぐ籠の中のカブトムシを見た。なんと、羽を広げてブーンという音を発していた。元気そう。昨日とは、明らかに違う。思った「放すなら今」。ベランダ側の戸を開け、カブトムシが入った籠の蓋を外して、床に置いた。本当に元気を取り戻したなら、自分で出てゆくだろう。戸を閉めた。

 散歩から戻って虫かごを見た。空っぽだった。


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