団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

政治と宗教

2022年07月28日 | Weblog

  私がまだ子供だった時、近所の大地主で資産家の一家のことが話題になった。子供だった私には、難しかった。その家族の一人がある宗教に入った。その人が家の財産のほとんどをその宗教団体に奪われたというのだ。まわりの人々や私の父などが、その家がどれほど金持ちか話していたので、私はその一家を特別視していた。しかしその後その一家は、見る見るうちに貧しくなり、終いには、どこかへ越していってしまった。たしか、その宗教は、今テレビのワイドショーやマスコミで騒がれている安倍元首相暗殺に関係があった宗教団体の名だった。他にも近所では、仏壇、位牌、神棚、御札などを家の外で焼き、その家の年寄りと息子夫婦が取っ組み合いの喧嘩をしていたことがあった。夜なべする父親のところに毎晩のように折伏にくる人もいた。敗戦後の混乱した世相の中、宗教が大きく動いていた。

 父は、朝、顔を洗った後、東に向かって手を合わせ、神棚に手を合わせ、仏壇に線香を立て頭を垂れていた。別所の北向観音への2年参りや八日堂のダルマ市や山梨県の三峰神社へも毎年欠かさず参拝していた。八百万の神々を信仰していたようだ。子供への強制はなかった。私は、縁あってカナダへ留学した。カナダで最初に入った学校は、キリスト教の厳格な全寮制の高校だった。普通の教科の他にキリスト教の聖書を学んだ。カナダやアメリカで多くのキリスト教の教会の礼拝に参列した。

 カナダで生活しているうちに、キリスト教にもいろいろな教派があることを知った。その教派が我こそは正当であり、真実だとうたっていた。子供の頃、日本で経験した近所の宗教紛争と変わりないと思った。英語のreligiousという言葉が、「狂信的」という意味で使われていた事にも驚いた。宗教は、狂信的に信じるものでは、ない気がする。

 カナダから帰国して結婚した。この結婚は、7年しかもたなかった。2人の子供を引き取った。精神的にボロボロになった。2年間毎朝3時に起きて、長野の寺へ坐禅に通った。自分に向き合うことができた。何とか最悪期を脱した。子供たちも大学を卒業して、自立した。44歳で再婚できた。再婚相手の仕事の関係で、海外で14年間暮らした。私の子供たちも、結婚して家庭を持った。

 宗教は決して悪いものではない。私が出会った宗教そのものは、どれも尊い教えを持つ。ただそれを関係する人間たちが、汚しているとしか思えない。私は、宗教の腐敗は、日本においては宗教法人という特別扱いにあると思う。宗教法人などという認可をやめるべきだ。許認可制ならば、その認可した側に、宗教を取り締まり管理する責任があるはずだ。しかし認可を与えただけで、取り締まることも管理することもできない。宗教は、八百万あってかまわない。自由に布教し集金すればよい。ただし、一般法人と同じように、納税義務などの社会的な義務は、負わなければならない。そして政教一致大いに結構。これも憲法改正に加えて欲しい。政教一致を法律で禁止しておきながら、放置している現在より、ましな日本になるに違いない。安倍元首相がある特定の宗教団体がらみで暗殺されたことで、特定の宗教団体だけがやり玉にされている。他に追及の手が及ぶことがない。上皇の病名は、こと細かく報道されても、ある宗教のトップの消息は、まったく報道されない。これって異常事態ではないのか。日本には誰も入り込めない宗教聖域がすでに存在するのだろうか。

 


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