団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

桜の花見と暁斎展

2017年04月07日 | Weblog

①    高田城 新潟県上越市

②    上田城 長野県上田市

③    アインドラハム チュニジア  

①    私が4歳だった3月6日に母が死んだ。しばらく私は母の妹が嫁いだ新潟県の直江津の親戚に預けられた。当時の思い出はあまりない。鮮明に覚えているのは、高田の花見に連れて行ってもらったこと。桜の名所は、日本各地にある。どこも見事だ。桜は一本だけで咲いていても美しい。4歳の私は、高田の桜、何千本もの桜が一斉に咲いている光景に圧倒された。ともすれば母を亡くした悲しみに打ちひしがれていた私を別の世界へ招き入れてくれた。満開の桜は、無条件に私を受け入れ、包み込んだ。あの高田の桜は、私の心に焼き付いた。

4月5日水曜日、友人夫妻に招かれて渋谷東急文化村のザ・ミュージアムで開かれているゴールドマン コレクション『これぞ暁斎!』を観た。素晴らしかった。こうした日本の美術品が外国の収集家の手に渡ってしまっているこがさみしいと思った。平日にもかかわらず、多くの人が観に来ていた。ただ展示法に問題があり、観覧順序がはっきりせず、逆行するは割り込みする人が多く不愉快な思いをした。美術鑑賞にわざわざ展覧会に出かけて来るほどの人達なのだから美術品に負けない品行を示して欲しい。

暁斎展の後、歩いて代々木公園の花見に連れて行ってもらった。たくさんの人々がそれぞれに桜を愛でていた。私は多くの外国人観光客がカメラ片手に嬉々として桜を背景に写真を撮っているのを見て嬉しかった。この桜の写真はやがて世界中に拡散して彼らの家族親戚友人知人に彼らの感想とともに伝えられるに違いない。キリスト教徒もイスラム教徒も仏教徒も宗教、イデオロギー、文化すべてを飛び越えて桜は人をひとつにしてくれる。

②    上田で育った私は、春になると上田公園の堀の周りをぐるりの取り巻く桜が満開になるのを多くの人々とは、違った角度から楽しんだ。小学生だった私は、堀での釣りに夢中になっていた。狙うはただ一匹、堀の主と呼ばれていた体長1メートルを超す大きな鯉。堀の周りの桜は枝をぐっと堀の水面に近づけ垂れ下がる。堀の水面から土手の上までは、7,8メートルあった。4月下旬ともなれば、水もぬるむ。堀の下から見る満開の桜、それを見て歩く大勢の人。釣れるはずもない大鯉を釣ろうとしていた私。

③    海外に暮らして4月になると桜の花見が無性に恋しくなった。日本は海外にも桜を寄贈し続けて親善に役立てている。アメリカのワシントンD.Cの桜は有名である。私が3年間暮らした北アフリカのチュニジアにも日本は桜並木を贈っていた。そこはアルジェリア国境近い標高800メートルを超す高原で桜には適している。アインドラハムの桜は、日本の桜と咲く時期がずれるが、それでも海外で日本の桜を見られるのは嬉しいものだ。

 家の前の桜並木も満開である。あいにく今朝は雨が降っている。それでも窓から桜が見える。日本に帰国したので、一年に一回必ず桜を見ることができる。桜はあっという間に散る。すると私はまた来年も、と活力が湧く。

 


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