団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

田んぼ絨毯とアジサイ

2013年06月21日 | Weblog

  19日午前中、電車に乗って歯医者へ行った。低気圧と梅雨前線の影響で風が強く雨も降っていた。電車の窓から田園地帯が見えた。風が吹くたびに田の苗が模様を描いた。苗が踊るように揺れ動く。半端な面積ではない。全体が緑の絨毯のような一面の草原のようだ。

 高校生の時カナダの高校へ転校した。学校は大平原の中にあった。7月はあたり一面地平線の向こうまで小麦の緑に包まれた。水田と小麦畑の違いは、水田は、水をたたえるために、まっ平らな小分けの区画とならざるを得ない。麦畑に水を張る必要はない。地表に沿った起伏あるどこまでも続く面での栽培が可能となる。

 やっと根付いた苗は、なびき、たなびき、しなり、うねり、流される。風の向きが変わり田に張られた水面が現れる。そうだ水田は夜になるとカエルの合唱のコンサート会場になる。またあのカエルの合唱を聴きたい。空には太陽の姿はなく、鉛色の厚い雲が覆っている。水面は雲を通過した重い光線を反射して水銀のようだった。水面が現れてはじめて苗が水に植えられていることがわかる。ただデタラメに植えたのではない。苗が植えられる間隔はおそらく長い年月の試行錯誤で現在のようになったに違いない。近年田植え機の発達でますます等間隔になり列も整然としている。地中海沿岸のオリーブ畑のオリーブの木は前後左右6メートルの間隔で植えられている。何処からどう見てもオリーブの木が一列に揃って見えて感動した。日本の水田の田植え後もオリーブの木の整然さに負けていない。歴史と農民の知恵に圧倒される。

 まだ20,30センチしかない苗の列の間をシラサギが餌を求めて歩いている。長い脚、細い首、小さい頭、真っ白な羽。緑と銀色と白。美しい。さらに畦道にアジサイが咲いていた。アジサイほど雨に似合う花はそうはない。

 梅雨時は気圧のせいか頭痛に苦しめられる。ましてや今日は10数年ぶりに見つかった虫歯の治療である。あの歯科用ドリルには抵抗がある。そんな重い気持ちを美しい景色が癒してくれる。

 思った通り歯科医院での治療は、ずっと両手の拳を握りしめ続けさせた。治療が終ると肩が張っていた。麻酔もまだ効いていた。昼時だったが空腹を感じなかった。一刻も早く家に帰りたかった。もうろうとしていた。電車が田園地帯を通過する頃は車窓から田んぼ絨毯、シラサギ、アジサイに気を奪われて、歯医者帰りであることを忘れた。この光景は、アフリカの砂漠地帯に暮らした時、もう一度見たいと渇望した光景である。砂漠と水田、両極端である。今どっぷりと砂漠の対極の光景の中にいる。嬉しい。満足に歯の治療も受けられない所だった。最先端医療機器と歯科医療陣の技術、医薬品、医療機器何もかも比べらないほど日本は進んでいる。こうして日帰りで治療を受けることができる。私の体のあちこちガタがきているが、それでも恵まれた医療環境に支えられて生かされている。

 家に戻った。住む町は緑がいっぱいだ。私は梅雨を感謝し、緑と水と花を愛でる。神経ぎりぎりまでドリルで削って詰め物を充填した歯は、麻酔が切れても、なんとか痛みもせず落ち着いている。雨も風もまだ強い。裏庭のアジサイが雨に打たれ、風に揺れて活き活きしているように見えた。こんな時強く、私は日本に戻っている、戻れてよかった、と思う。


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