団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

爆弾低気圧

2013年01月15日 | Weblog

  孫が所属するサッカークラブが小学校5年生の第20回静岡新春サッカー大会に出場した。1月13日(日曜日)に妻と車で応援に出かけた。会場は静岡市清水区蛇塚にある清水蛇塚スポーツグランドだと教えられた。車のナビに住所を打ち込んで出発した。良く晴れていた。東名高速道路から富士山が綺麗に見えた。

 会場に9時半ごろ到着できた。元清水エスパルズの練習場だった所だけあって整備されたサッカーグラウンドが2面あった。息子一家と駐車場で偶然出合った。彼らは清水駅前のホテルに投宿していて、ちょうどホテルから会場に着いたところだった。

 孫は先発出場した。古い大きな双眼鏡で孫の動きを追った。息子に「双眼鏡がなくてもすぐ近くで見られるよ」と言われた。しかしこの大会では少年サッカー規格ではなく、ずっと大きな正式規格の競技場が使われている。やはり双眼鏡は役に立った。晴天とはいえ、やはり海に近い丘の中腹にあるサッカー場の観客席に吹く風は寒かった。防寒特別下着と防寒着にひざ掛け毛布、妻は頭巾まで被って完全装備での観覧だった。前半の20分はあっという間に終った。1対1の同点だった。孫はディフェンスというキーパーの近くで攻め入る敵を防御するポジションを真剣にこなしていた。

 後半攻撃サイドの交換があったので孫は私たちの目の前にいた。双眼鏡で孫の表情までよく観察できた。2対1でリードしていた残り5分で孫は交代した。結局孫が所属するチームが1点差を守り抜き勝った。孫はチームと行動するので会う事も叶わなかった。時間的に1試合しか観られなかった。後の報告で、残り2試合で孫が所属するチームは1勝1分と知った。孫も3試合に出場できた。私たちは来た時と同じルートを通って帰宅した。

 大会は12日から14日までの3日間だという。息子一家はホテルに2泊する。孫はチームで貸し切りバスを使って移動し、別のホテルに泊まっていた。ざっと計算してもこの大会の費用は大変なものだ。全部で24チームが参加していて、韓国からも選抜チームが来ていた。それも小学校5年生という限られた年齢のチームだけである。どんなスポーツでもすそ野が広ければ広いほど、隆盛をきわめることができるものだ。私が子供の頃、サッカーはそれほど盛んなスポーツではなかった。中学校で所属した野球部には90人部員がいた。サッカー部はなかった。孫が所属するのは、学校外の私的クラブである。ピアノ、学習塾に通うのと同じように毎月それなりの月謝というか参加費を親が負担する。二人の男の子を持つ息子夫婦は、毎日毎週毎月を子育てに時間を奪われている。私ができなかったことだ。私は働いて稼がなかったら離婚後二人の子どもを育てられなかった。仕事と子育てを両立させている息子のほうが私より上をいっている気がする。

 14日(月曜日)朝から雨が降り風も強かった。テレビの天気予報では太平洋側は爆弾低気圧の影響で大荒れの天気になるという。サッカーは雨が降ろうが、雪が降ろうが、風が吹こうが、余程のことがない限り中止にならない。メールで息子に問い合わせるとお昼には静岡を出ると言ってきた。私の住むところでさえ外に出るのが嫌になるほどの強風と大雨となった。テレビでは東京も雪になり、積もり始めたと伝えた。午後7時に息子一家は,いくらなんでもすでに東京の家に到着しただろうとメールを打った。返事が来た。「お昼に静岡を出ましたが、現在海老名付近です。まったく動きません」 雪に弱い大都市東京は大渋滞で外からの進入を受け付けられないに違いない。結局息子一家が東京の家に帰宅できたのは午前3時を過ぎていた。16時間かかった。孫はバスでさらに遅く到着。チームメイトの家に泊めてもらったそうだ。3連休の遠征の後の今日、疲れと睡眠不足のまま、孫は学校、息子は会社がある。

 サッカーで孫がこれから先、活躍できるようになるかも知れないし、できないかも知れない。正直、将来の結果はどうでもいい。サッカーに打ち込むことで学ぶことは、人生を生き抜く芯となるだろう。体罰や不当な扱いを受け,不条理と感じたら、大阪の桜宮高校のバスケットボール部のキャプテンのように顧問だろうが誰であろうと面と向かって話し合いを持てるような人に成ってもらいたい。ただ相手を理解できず、受け入れることができなければ、関係を絶てる勇気も備えて欲しい。前進だけが人生ではない。立ち止まったり、後退することを決めるのも策である。その日その日を懸命に生きぬいて欲しい。家族が助け支えあって毎日を生きることは、大切なことだ。傍で見ているとハラハラドキドキする。しかし形態は違っても私も周りをそうさせて二人の子どもを男手ひとつで育て上げた。

 
昨日の爆弾低気圧による突然の大荒れの天気も息子一家は、どうやら乗り切った。私は平常を装いながら、おろおろして安全と無病息災を願うしか能がない。昨日の悪天候が嘘のように空をオレンジ色に染めて、夜が明けてきた。新しい一日が始まる。


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