イタリアへ仕事で行っていた友人が年末の21日に一時帰国した。友人は東京の自宅マンションの駐車場を留守の期間解約して、私に車を預けている。イタリアから発注元の会社幹部を連れてくると言った。友人は一旦会社を定年退職している。いわゆる企業戦士と呼ばれる仕事人間である。嘱託という肩書きで会社に残って働いている。友人は、昼ごろ日本に着いたら、まずイタリア人の顧客を東京駅の近くのホテルに案内して、その足で電車に乗り私の家のある町まで車をとりに来るとメールして来た。車で東京へ戻って、イタリアの客を夕食に案内するとも書いてあった。丸一日かけてイタリアから飛行機で帰国して、すぐこの強行軍では、いくら頑強な友人でも、辛いだろう。その時、私は車を東京に届けようと考えたが、自信がなかった。だから、車を私が届けるとは、メールしなかった。
私は“時間持ち”である。友人のように屈強ではないが、できる範囲で、人の役に立ちたいと思っている。21日の朝、妻を駅に送ってから、一人で家を守る友人の妻に電話した。「これから車を届けるので、旦那さんから電話があったら、車を私のところに取りに来ないよう伝えて下さい」ただ友人が奥さんに連絡をいれず、私のところに直行する危険はある。飛行機が日本に付く前に車を届けることにした。もし空港から電話が奥さんになかったら、私は、イタリア人が泊まる予定のホテルを知っているので、ホテルに伝言を頼もうと考えていた。車を無事届け、私は藤沢へ習い事のクラスに出席した。
30日から妻は、年末年始の休みに入った。正月と言ってもいつもの通り二人で静かに過す予定でいた。つまらぬテレビ番組を観ずに、DVDと読書三昧しようと話していた。午後、友人が電話してきた。「イタリアからの客人を空港へ見送りに行ってきた。ところで明日大晦日の予定ある?なかったら俺がすべて食料用意して持っていくから一緒に年越ししよう」私は「いいけれど、紹介したい人がいるんだけれど一緒にいい?」「いいよ」早速私は、同じ町にいる友人たちに連絡した。皆、喜んでくれた。4組の夫婦で総勢8名が集ることになった。
31日、東京からの友人夫婦は、普段なら40分で来られるところを、渋滞で3時間かけて、午後6時半に到着した。車いっぱいに料理を運んできた。あっという間にテーブルにイタリア帰りの友人が作った料理が並んだ。全員がそろい、イタリアから買ってきてくれたワイン、以前から預かっていた“石原裕次郎ワイン”、買って置くように頼まれた清酒久保田を次々に空けた。話し、食べ、飲み夜が更けた。イタリア帰りの友人は、年越し蕎麦まで取り寄せて持って来ていた。蕎麦通のイタリア帰りの友人は、武蔵野市と横浜の蕎麦屋、2店の蕎麦を茹でてくれた。私はあまり蕎麦の違いとかうまさが判らないが、ただ無性に嬉しかった。12時15分前に散会した。妻はすっかりいい気分になり出来上がってベッドにもぐりこんで寝ていた。片付けを少しして寝ることにした。イタリア帰りの友人が「車、ありがとな。お前らしいな。嬉しかった。お休み」そう彼が言って客間に消えた時、近所の寺の除夜の鐘が鳴った。
14日に彼はまた車を私に預けて、イタリアに戻る。
「良き友達と、良き本と、眠たい良心」 マーク・トウェイン