団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

カニ

2009年05月25日 | Weblog
 住んでいる集合住宅の玄関ホールで蟹を見つけた。ちょうど金田一秀穂著『人間には使えない 蟹語辞典』ポプラ社刊を読み終わった後だったので、何となく親しい友にあったような嬉しい気分になり、しばらくじっと観察した。

 蟹語辞典の中では、“前向きに考える”という人間語を蟹語で“横向きに考える”と置き換えている。その解説に“意味:一般にカニ界において進むべき方向は横向きということから、物事に対する姿勢が積極的、建設的であるということ。人間の前向き、後ろ向きという観念自体がカニ界においてはナンセンスであり、無為である。カニがそこまで考えているかどうかはさておき、ある意味ポジティブ。どこまでもポジティブ!”とある。

 玄関ホールへは、おそらく床の水抜きの穴から入り込んだのだと思う。このところの雨で裏山の沢から下りて来て、迷い込んだのだろう。五月も中旬になるとこうして多くの蟹が湧くように出てくる。家の前の市道には、車に轢かれたペチャンコの無惨な蟹の死骸が目立ち始めた。こんなところに人間が山を崩してまで集合住宅を建てなければ、人知れずに一生を全うできたはずだろう。自然破壊に罪悪感を持ってしまう。蟹が横向きに歩こうが、前向きに歩こうが構わない。蟹が人間のように精神を持ち、考えることができたり、喜怒哀楽を感じるとは思わない。金田一秀穂氏が人間の言葉を、蟹をはじめ多くの動物に身を置き換えて、書き直しているのが、この辞典の面白みである。

 日本に帰国して5年が経つ。安い料金で海外に住んでいた時ほどゴルフはできない。しかしどんな本でもすぐ手に入れられるこの幸せは、何ごとにもかえがたい。日本では毎年実に多くの本が出版されている。表装のデザインやキャッチコピーに騙され、お金を捨てるような本も多いが、先を読み進むのがモッタイナイと感じられるほどの面白い本もある。日本から離れて住み、そこで日本のことを書いてある本を読むと、想像と過去の体験の思い出だけの世界になってしまった。蟹の本を読んでも、今回のように読んだ直後に、蟹との対面など有り得なかった。こんな小さなできごとでも、私には嬉しくてたまらない。海外での生活は、我慢と耐久の連続であった。その体験が、今の日本での生活を感謝と喜びにしてくれる。やはり喜びは、苦労のあとの報酬なのだろう。

 蟹を見ながら私は、とても満足感を持った。そんなことを知ってか知らずに、蟹は入ってきた水抜きの穴の中へ、横向きに何かを考えながら(?)もぐりこんでいった。 (写真:迷い込んだ蟹)

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