団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

宮武東洋

2009年05月12日 | Weblog
 写真家宮武東洋の写真展が川崎市民ミュージアムで開催されていると知り、行って来た。会場の川崎市民ミュージアムは、素晴らしいハコモノだった。しかしこの写真展の会場に観客は、私以外ひとりもいなかった。係員さえいなかった。いくら入場料がタダでも、これだけの貴重な写真資料が人の目に触れないのはさみしい。

 日本国の第二次世界大戦開戦と敗戦が、国内だけでなく海外に住む日本人、日系人にも大きな悲しみをもたらした。日本国内とはまた違った苦難であった。カナダとアメリカの西部に住む日本人日系人は、収容所に強制的に入れられた。宮武東洋もその一人であった。その悲しい事実を宮武東洋は、手製のカメラで克明に記録したのである。収容所へ持込を許されたのは、一人にスーツケース2個だけだった。もちろん収容所内で日系人や日本人が写真を撮ることなど許されるはずは、無かった。ではなぜ宮武は、この写真を撮ることができたのか。偶然が偶然を呼んだとしか言えない。

 アメリカ人全てが日本人と日系人を強制的に収容所に隔離することを歓迎したわけではない。宮武が収容されたカルフォルニア州マンザナ収容所の所長はそういう一人であった。所長は宮武が写真を撮ることを許可はしなかったが、禁止しなかった。宮武は、レンズと少しの乾板を持ち込んだ。収容されていた大工が宮武のために切れ端の板を集めてレンズに合わせてカメラ本体を作ってくれた。乾板を使い切ると、収容所に出入りしていたアメリカ人で宮武に協力する者があらわれ、乾板を密かに持ち込んでくれた。こうして5年近く宮武は収容所の記録を写真に収めることができた。

 東京恵比寿にある東京都写真美術館ホールで宮武のドキュメンタリー映画『東洋宮武が覗いた時代』が上映されている。(前売り1200円当日1800円)アメリカの日本人や日系人が収容所でどのような生活を送ったのかを知るよい手がかりになる。映画の中でアメリカハワイ州選出の上院議員、ダニエル・イノウエの談話が私に強烈な印象を与えた。アメリカに住んでいたアメリカの市民権を持つ日系人の若者が志願して軍隊に入隊した。有名な442連隊は、敵性外国人とされたハワイの日系人を中心に編成された。もっとも戦死者を多く出し、目覚しい戦績をあげた。日系人の若者たちは“アメリカに忠誠を示そう”と参戦した。ダニエル・イノウエもその一人である。そのイノウエが「戦争は人間を変えてしまう。命令もされないのに、敵を倒すことに喜びさえ感じる自分になっていた」正直で率直な告白だと思う。以前日本軍のパイロットだったキリスト教の牧師の話を聞いた。彼は中国で刀で人の首を切り落としたと言う。あの当時、何の罪悪感も持たず、殺すことに快感を覚えたほどの自分の罪深さが、自分の心から消えることがない、と苦しそうに言った。私の父も徴兵され満州へ行った。父は何も私に話す事はなかった。言いたくないというより息子にさえ言えないことをしていたのだろう。

 戦争に良いことなどない。過去に学び、過ちを繰り返さないことを願う。なぜアメリカで私たちと同じ人種が、差別され不当な処遇を受けなければならなかったのか。日本と同盟を結び連合軍に敵対したドイツ人、イタリア人が、アメリカで何の拘束も受けなかったのか。映画も写真展も実に多くのメッセージを発信している。

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