1月9日に受けた心臓検査の結果が出た。
昨夜、夕食が終わった後、妻が神妙な顔をして「話があるんだけれど」という。私は心当たりが何もなく、一瞬戸惑った。妻が通勤に使っているバッグの中から書類入れを出す。離婚届け?また離婚!それとも病院から退職勧告をもらったのか?妻が口を開く。「この間の検査の結果なんだけれど・・・」 私はとうに検査のことは忘れていた。結果が良いものであれば、妻がこんな話し方をするわけがない。「心臓冠動脈の新たな箇所につまっているところがあるの・・・」
去年から始まった心臓近辺の痛みの原因がつきとめられた。私は「やはり」と感じた。糖尿病は厄介な病気である。合併症を次から次へと引き起こす。努力をして節制してきたつもりだ。私は自分に甘い。きっと逃げてごまかしているところがまだあるに違いない。私は別に強い失望感を感じてはいなかった。妻は言葉を丁寧に選びながら言う。なるべく専門用語をはずして、私に妻としてわかりやすく話そうとしている。それが私をつらくする。
「今度の金曜日に細川先生の診察を受けてくれる?」妻はすでに私の主治医と話している。主治医は、あくまで私の健康管理と大きな変化がないかを診てくれている。主治医がすぐに私を細川先生のもとへ連れて行くように言ったに相違ない。細川先生は私の最初の心臓バイパス手術の失敗から私をカテーテル手術で救ってくれた医師である。日本でも有数の心臓カテーテル専門医だ。今まで生きてこれたのは、細川先生がたった一本残ったバイパスを修正治療して血流を確保してくれたからである。そこは非常に難しい場所だった。まかり間違えば、カテーテルが血管を突きぬけ即死する状況だった。
妻は私が相当ショックを受けると思っている。細川先生と電話で話したと聞いて、それを確信した。それはまた妻の気持ちの裏返しでもある。妻がショックを受けているから私を気遣う。妻と私は年齢差が12歳ある。順番から言えば、私が先に死ぬのは当然なこと。妻は潜在的にこの年齢差を気にしている。妻がずっとびくびくしているのは知っている。だから切ない。2001年に私が心臓の手術を受けた時、ある程度の覚悟を妻はしていたと思う。何とか手術で心臓はよみがえった。
この5年間、無理はできなかったけれど、そこそこ普通に生活してきた。妻は私の健康のために外務省を退職し、日本に二人で戻り、温暖な海に近い小さな町で暮らし始めた。穏やかで安全で何でも手に入る、今までの海外とはまるで違った夢のような生活をしている。それはある意味、老いと死への最終章への準備でもあったはずである。永遠に生きられないことはよくわかっている。日々この生活に慣れ、「もう少し、もう少し」と欲をかく。
明日、私は5年ぶりに再会する細川先生とこれからの治療について話し合う。カテーテルによる治療か、薬による治療のどちらかになるはずである。再手術の可能性もあるが、気が進まない。細川先生には『サハリン 旅のはじまり』を渡して、私の感謝の気持ちを伝えたい。私があの本を書けたのは、細川先生が私の命を救ってくれたからである。リンさんとの約束を果たすことができた。本を手にするたびに「私はこれ以上何を望むのか」と自問自答する。
人生はなるようにしかならない。生きている間、ずっと妻との毎日を普通に穏やかに暮らしたい。そのために細川先生の言うことを素直に受け入れたい。結果もなるようにしかならない。2月3日からのハワイ行きも、絶妙なタイミングである。ミセス・ツジにも私の感謝の思いの丈を伝えることができる。2月22日には高校の同級会を我が家で開く。私の後半の人生は、あまりにも素晴らしい人びとと共にある。
天気予報で北海道が大荒れの冬の嵐だと言う。それより北のサハリンはさらにひどい荒れ方であろう。それでもきっと今日もリンさんは、凍てつき吹雪く大地を、獲物求めてひとり歩いているだろう。昨夜、リンさんを追いかけて迷子になった夢をみた。はっとして目を覚ますと、横で妻がスヤスヤと寝息を立てていた。これもまた夢か。
昨夜、夕食が終わった後、妻が神妙な顔をして「話があるんだけれど」という。私は心当たりが何もなく、一瞬戸惑った。妻が通勤に使っているバッグの中から書類入れを出す。離婚届け?また離婚!それとも病院から退職勧告をもらったのか?妻が口を開く。「この間の検査の結果なんだけれど・・・」 私はとうに検査のことは忘れていた。結果が良いものであれば、妻がこんな話し方をするわけがない。「心臓冠動脈の新たな箇所につまっているところがあるの・・・」
去年から始まった心臓近辺の痛みの原因がつきとめられた。私は「やはり」と感じた。糖尿病は厄介な病気である。合併症を次から次へと引き起こす。努力をして節制してきたつもりだ。私は自分に甘い。きっと逃げてごまかしているところがまだあるに違いない。私は別に強い失望感を感じてはいなかった。妻は言葉を丁寧に選びながら言う。なるべく専門用語をはずして、私に妻としてわかりやすく話そうとしている。それが私をつらくする。
「今度の金曜日に細川先生の診察を受けてくれる?」妻はすでに私の主治医と話している。主治医は、あくまで私の健康管理と大きな変化がないかを診てくれている。主治医がすぐに私を細川先生のもとへ連れて行くように言ったに相違ない。細川先生は私の最初の心臓バイパス手術の失敗から私をカテーテル手術で救ってくれた医師である。日本でも有数の心臓カテーテル専門医だ。今まで生きてこれたのは、細川先生がたった一本残ったバイパスを修正治療して血流を確保してくれたからである。そこは非常に難しい場所だった。まかり間違えば、カテーテルが血管を突きぬけ即死する状況だった。
妻は私が相当ショックを受けると思っている。細川先生と電話で話したと聞いて、それを確信した。それはまた妻の気持ちの裏返しでもある。妻がショックを受けているから私を気遣う。妻と私は年齢差が12歳ある。順番から言えば、私が先に死ぬのは当然なこと。妻は潜在的にこの年齢差を気にしている。妻がずっとびくびくしているのは知っている。だから切ない。2001年に私が心臓の手術を受けた時、ある程度の覚悟を妻はしていたと思う。何とか手術で心臓はよみがえった。
この5年間、無理はできなかったけれど、そこそこ普通に生活してきた。妻は私の健康のために外務省を退職し、日本に二人で戻り、温暖な海に近い小さな町で暮らし始めた。穏やかで安全で何でも手に入る、今までの海外とはまるで違った夢のような生活をしている。それはある意味、老いと死への最終章への準備でもあったはずである。永遠に生きられないことはよくわかっている。日々この生活に慣れ、「もう少し、もう少し」と欲をかく。
明日、私は5年ぶりに再会する細川先生とこれからの治療について話し合う。カテーテルによる治療か、薬による治療のどちらかになるはずである。再手術の可能性もあるが、気が進まない。細川先生には『サハリン 旅のはじまり』を渡して、私の感謝の気持ちを伝えたい。私があの本を書けたのは、細川先生が私の命を救ってくれたからである。リンさんとの約束を果たすことができた。本を手にするたびに「私はこれ以上何を望むのか」と自問自答する。
人生はなるようにしかならない。生きている間、ずっと妻との毎日を普通に穏やかに暮らしたい。そのために細川先生の言うことを素直に受け入れたい。結果もなるようにしかならない。2月3日からのハワイ行きも、絶妙なタイミングである。ミセス・ツジにも私の感謝の思いの丈を伝えることができる。2月22日には高校の同級会を我が家で開く。私の後半の人生は、あまりにも素晴らしい人びとと共にある。
天気予報で北海道が大荒れの冬の嵐だと言う。それより北のサハリンはさらにひどい荒れ方であろう。それでもきっと今日もリンさんは、凍てつき吹雪く大地を、獲物求めてひとり歩いているだろう。昨夜、リンさんを追いかけて迷子になった夢をみた。はっとして目を覚ますと、横で妻がスヤスヤと寝息を立てていた。これもまた夢か。