ひろポンの“わたしにも作れますぅ” 

60’sオヤジのブログへようこそ。模型、モータースポーツ、イラストなどクルマと乗り物を中心に気ままに書いていきます。

1/12 タミヤ タイレル 003  :  3

2023-08-14 | 1/12 TYRRELL 003 :  TAMIYA
お盆休みを台風が直撃ということで、遠出や帰省されてる方もみんな例年よりずっと早めに予定を繰り上げている様子。
5年前の9月の台風では大阪市など大変な被害がありましたが、今回も同様の危険が迫っているので特に近畿や東海の皆さんは、くれぐれもお気をつけになってください。

昨年からお盆の高速道路の渋滞に巻き込まれる事もなくなって、ようやくひと安心。
ようやく心穏やかに(笑)盆暮れ正月を過ごせる日々が訪れ、このままずっとこうありたいものだとしみじみ思いながら、いつもよりチョイとばかり良い酒を飲み飲みチマチマとあれこれ同時進行で作っている盆休みです。

何作ってるかというとですねえ………..。

その1: 〝依頼品〟のバンダイのブースカです。
    全部バラしてラベンダー色に塗り変えたところ..........。







その2 : Nゲージのミニジオラマ...........。
     KATOのフレキシブルレールにバラストを撒いて踏切を製作。こちらも秋には仕上げなくては。







その3 : ペガサスホビーのスピノサウルスもパテ埋めサフ吹きを終えました。
    下地にミッチャクロンを吹いたら、その上にサフを吹いてもいつまで経っても表面がわずかにベトつくので、全部落として直にサフを吹き直し。
PVC製はミッチャクロンは不可ですね。






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でもってタイレルのほうはというと………..。

フロントサスのアッパーアームはボディ下部とバルクヘッドで挟んで取り付けます。
この部分、モナカ割りの接合面に段差が出てしまうので最初に接着しておきます。
ここは重みがかかる場所ですが接着シロも少なく、小さなツメ(赤丸)も折れてしまいそう。
強度を持たせるためバルクヘッド根元でカットして丸アナを開けたプラ板に洋白線(赤線)を埋めてガッチリ接着。
アッパーアームはあとから取り付けるため、赤く塗った一部を金属線に置き換える為にカットしました。









 ボディのアッパーカウルは裏側に6本のピンが出ていて、実車同様モノコックの四角い突起の穴に刺さるようになっています。
仮組みしていて外すときにピンを1本折ってしまいました。

幸い救援物資があるので、ここは洋白線に置き換えたほうが安全と思いピン6箇所を全部カット。
1.2mm洋白線をシアノンで根元を固めて固定。
一回り径が細くなって脱着がスムーズになりました。

アッパーカウル表面まで穴を開けていますが、ここは最後にエッチングのファスナーが付くのでそれほど目立たないためOKです。







カウルの後部にあるNACAダクトですが、カウルにはポッカリくさび型の穴が開いているだけです。
実車を見るとちゃんとこれに繋がる小さなダクトが出ていますので、まずはプラ板でカウル穴の裏側を塞いで成型。
このあと黒いシートパーツにダクトを作ります。

ということで今日はここまで。









スティーブ・マックイーン : 〝Day of the Champion〟

2023-08-04 | Motorsport
先日チラッと書いたブラッド・ピットが主演のF1映画。
ハリウッドの俳優組合の大規模なストライキの影響で中断しているようですが、ブラピがいなくても撮影は進んでいるようですね。
ただいつまで長引くか全くわからないので公開は大幅に遅れそうな気がします。

ところで少し前にebayでスティーブ・マックイーンのF1映画についての記事が載っているイギリスのMotorsport Magazineを見つけたので入手してみました。
知ってる人は知ってる、知らない人は全然知らない(笑)スティーブ・マックイーンの F1映画〝Day of the Champion〟
この作品のフィルムが2年前にSkyのドキュメンタリーとして編集され公開されて、ちょっと話題になったのでご存じの方もいるかもしれません。

今回は長文(笑)ですが、いつかこの映画についてアップしようと思っていてなかなか出来なかったのですが、ようやくまとめられたのでちょっと書きますね。

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1966年、当時のホンダをモデルに三船敏郎が日本のチーム監督を演じた事でも知られているMGM映画の大作〝Grand Prix〟
ここでもMotor sportのカテゴリーで何度か書いているので内容は省略しますが、不幸にもこれとバッティングしてしまい泣く泣く製作を諦めたマックイーンが〝こん畜生め!〟との思いで後年〝栄光のルマン〟を作ったのは有名な話です。

〝Day of the Champion〟の頓挫したフィルムがどこにあるのかは長年不明でした。
2021年にイギリス人のアーキビスト(いろいろな組織が活動する上で作成した文書を保管、保存し、後世に伝えていく仕事)のリチャード・ワイズマンが、元FIA会長のマックス・モズレーに関するSkyのF1ドキュメンタリー番組にとり組んでいた時、アメリカの図書館から送られてきたニュルブルクリンクの映像を発見。

モズレーは60年代後半にレーサーだったので、その映像についてモズレーに訊いたところ〝これ、知っとるで!!マックイーンの作っていた映画や〟と言ったかどうかは不明ですが(笑)どうもそうゆう事だったらしい。
そこから全容が明らかになり2021年にネットTVのSkyでオンデマンド配信されました。

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自らも熱心なレースファンで実際才能もあるアマチュアドライバーのマックイーンは、ケン・パーディの脚本で〝荒野の7人〟や〝大脱走〟の監督ジョン・スタージェスと決定版レース映画を作りたいと考えていました。
1961年に戦争映画『戦う翼』(原題The War Lover)の撮影のために 3 か月間英国で過ごしたマックイーンは、近くにスネッタートン・レース場やジム・ラッセル・レーシングスクールがあることを知り、撮影の合間にそこを訪れていました。

1963年、著名なジャーナリストのロバート・デイリーが『残酷なスポーツ(The Cruel Sport)』を出版したことが、1960年代の自動車レースの現実を忠実に捉えた映画を作りたいというマックイーンの背中を押しました。
当時のモータースポーツの危険な側面と真実を知らしめたこの有名な本は物議を醸しましたが、映画の題材としてはまさにビンゴ!なネタでした。





この本にインスピレーションを得てマックイーンはスタージェスに意見を求め、ワーナーで映画を作ろうと著者デイリーの代理人と契約を結んだのですが………..実は他にも同じ事を考えていたところがあったと言うわけです。

当時余り知られていなかったJ・フランケンハイマーを監督に、MGMがロバート・デイリーと直接取引をして同様の映画製作に着手することが判明。
ハリウッドの2社がほぼ同時にレースの映画を作るという訳で、いくら何でもそりゃ無理だっぺ、どちらが先に完成させるかよね?という醜い話に。

〝Day of the Champion〟の撮影開始は1965年5月。
この時のモナコGPには両方の撮影クルーがバッタリ顔を合わせていたようです。
イギリスのアランマン・レーシングを訪れてカメラカーのローラT70など撮影のための諸々を依頼。
ニュルブルクリンクでスターリング・モスがカメラを積んだブラバムで、ジョン・ウィットモアもローラT70で走り始めました。
話題を呼んでサーキットには数万人の観客が集まったと言われています。






この頃〝Grand Prix〟のプロデューサーのエドワード・ルイスとフランケンハイマーから、スタージェス監督と撮影契約を結んでいたドイツ自動車クラブ(ADAC)に対して契約の有効性について横やりが入り、すったもんだの挙げ句に裁判で契約は有効との判定が下りて無事撮影は継続されました。
〝Grand Prix〟もニュルで撮影をしたという話も聞きますが、映画にはドイツGPが一切出てこないところをみると本当かどうか判りません。

当時マックイーンはあの〝砲艦サンパブロ〟(原題 Sand Pebbles)に主演していて、製作が大幅に遅れていました。
撮影の遅れとストレスで体調不良になり、台湾での撮影は6週間の予定が7ヶ月にも及ぶ始末。
マックイーン不在のままDay of the Champion〟の撮影は進み、オウルトンパークでの素晴らしい映像も彼の代役が勤めています。

思うように進まない製作、そのうちMGMが66年夏に〝Grand Prix〟の劇場公開を発表!
もうMGMには勝てないしスタジオの売却も予定していたワーナーのボス、ジャック・ワーナーからついに〝Day of the Champion〟の製作を止めろという電話が………..。

結局〝Grand Prix〟がこの〝レース〟に勝って、翌年砲艦サンパブロ〟と同じ週にアメリカで劇場公開されるという皮肉な結果になりました。
〝Day of the Champion〟で主演ヒーロー、マイケル・ ピアースを演じる予定だったマックイーンの心境やいかに?です。





〝大脱走〟で共演した〝Grand Prix〟のジェームズ・ガーナーと同じマンションの上に住んでいたマックイーン。
フランケンハイマーによると〝Grand Prix〟のピート・アロン役は、最初マックイーンがほぼ決まりかけていたとか。
ジェームズ・ガーナーから直に電話で主演することを聞いたマックイーンは〝あのクソ野郎!!〟と激怒し、その後2年ほどガーナーと口をきかなかったらしい。

5年後、マックイーンはスタージェス監督とリベンジとばかりに〝Le Mans〟の撮影に入ります。
しかし商業的な成功には強力なストーリーラインが不可欠との意見を崩さないスタージェスと、余計なドラマ性を極力廃してレースを前面に出したかったマックイーンの意見が対立。
ついに嫌気のさしたスタージェスは途中で監督を降りてしまいます。
日本ではレースファンの間で評価の高い〝Le Mans〟ですが、世界的には商業的に完全に大失敗でした。

と言うわけで、見つかった〝Day of the Champion〟の当時撮影されたフィルムや写真、関係者のインタビューで構成されたドキュメンタリー作品として「Steve McQueen: The Lost Movie」というタイトルで 2021年、ネットTVのSkyでオンデマンド配信されました。





You Tubeにこの映画の短い動画もアップされています。
ニュルブルクリングを走るクリス・エイモンのロータスBRMと追いかけるモスのブラバム。

そしてイギリスのポッドキャスト〝Factual America〟のチャンネルにもこのドキュメンタリーのディレクター/プロデューサーのAlex Rodgerと上記アーキビストのRichard Wisemanがあれこれ語っていますので、英語の堪能な方はもちろん字幕も出ていますので見てみてください。

35mmフィルムに残された1年後の〝Grand Prix〟にも劣らないカラーの鮮明な映像。
栄光のルマンも悪くないけれど、もしこの映画が完成していたら〝Grand Prix〟や〝Le Mans〟は果たして存在したのでしょうか?




Watch Stirling Moss drive the Nürburgring in footage for Steve McQueen's lost F1 film


Steve McQueen: The Lost Formula 1 Movie