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備前焼 やきもん屋 

備前焼・陶芸家の渡邊琢磨(わたなべたくま)です。陶芸、料理、音楽、路上観察……やきもん屋的発想のつれづれです。

シデコブシ

2015-03-23 14:57:32 | Weblog


ちょうど一年前に個展会場に遠路はるばる来ていた母が、会場で興味を示していた花。
「蕾が一番キレイなんだけど」と話したけれど、結局咲いたところは見たんだったっけ? よく覚えていないなぁ。
シデは、紙垂(しで)の事。注連縄、玉串、祓串、御幣、横綱の綱などに垂らしている稲妻形の紙。それと知ると有り難みが増すけれど、やっぱり蕾が綺麗だと思う。
今週の暖かさと日差しで満開になるだろう。


暖かくなったので、アレコレ溜まった事も外仕事もこなさねば。気忙しいなぁ。
箱書きも少々あるし。


さて、本日のおやつはメロンパン。
「頭脳労働(箱書き)には糖分が必要」という言い訳で……、う~~ん、デブまっしぐら。


さて、これを頂いたら書こう。
墨を摺りつつ気持ちを箱書きへシフトさせる。と同時に由無し事を思うなぁ。

「メロンパンは潮風を感じながら食べるのが一番美味い」
これは多分、ノスタルジアだろう。しかし今日は山の中。番犬福助くんとふたり流れる雲の下で頂く。







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ふるさとあっ晴れ認定委員

2015-03-20 14:29:20 | Weblog

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陶心会展開催中ではありますが、別件でのご報告です。JR西日本さんと岡山県のプロジェクトに関わる事になりました。
昨日はホテルグランヴィア岡山にてその記者会見でした。

『吉備之国 くまなく旅し隊 ふるさとおこし』の発表。

プロジェクトは、岡山の観光コンテンツの掘り起こしと全国への発信です。
景色などの「えぇとこ」、工芸品や特産品の「えぇもん」、ご当地料理や食材の「うめぇもん」の3ジャンルが対象。
『いいもの探し隊』が各地から探し出し、『ふるさとあっ晴れ認定委員』で評価・認定、岡山主要駅で試行販売・広報して、好評なら本格展開・定番化するという流れです。
結果として地域活性へつなげるという仕組み。


その認定委員を拝命致しました。
備前に来て以来、人生の半分ちょっとを岡山暮らし。このタイミングでの『ふるさとあっ晴れ認定委員』のオファーも何かの縁でしょう。実際、我が子のふるさとでもありますし。
以前、某県会議員さんから「岡山県人は出身県を隠す」という話をお聞きしました。次世代の人が胸を張って故郷を語れるようにするのが、先の世代の役目でもあるでしょう。
引き受けた以上はしっかりと役目を果たしたいと思います。

ご一緒するメンバーは各業界の次代をしっかり担われている方々。そこに名前を連ねるのは引きこもり陶芸家としては大変面映い場面ですが、中学の恩師からの「男に照れは必要ねぇ」の言葉を胸に、いつも通り『わかもの、よそもの、ばかもの』視点から発言したいと思います。
まぁ、芸術家(!!)枠の有識者(!?)というセレクションなので、それが相応しいかと。

普段は単一アイテム(備前焼)のブランディングですが、今回は幅広くアイテム化する思考。自分の中で相乗効果が出てくるかも知れません。
(個人的には異業種交流的な楽しみもあり)


『くまなく旅し隊』リーダーの『くまなく』と『たびにゃん』に加え、ももっち、うらっち、でんちゅうくんなどのご当地キャラも応援に駆けつけていました。


おかやまのゆるキャラたち。


最後に、フォトセッションも。


ひとまずの目標を来年春の『デスティネーションキャンペーン』としていますが、社長曰く「一過性に終わらないで継続的にやっていきたい」との事でした。



______________

◆お知らせ◆



■「くまなく旅し隊」スタッフ募集

JR西日本岡山支社では「くまなく旅し隊」のスタッフ4名を募集。岡山、備後エリアに在住、通勤・通学している人で5月~来年3月末まで月3、4回活動できることが条件。
高校生以下は不可。
希望者は履歴書と全身写真を同封し、事務局(〒700—0023 岡山市北区駅前町2-5-24)に郵送。4/13必着。

______________


(会見場では「コレカラ、オリコウサンニ シヨウ」と思いましたが、すぐに鍍金が剥げて地金が出るはずなので、今後も今まで通りのキャラクターで通しますわよん)









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与太郎気質

2015-03-13 19:21:43 | Weblog


ここ数日、連日の朝帰り。そして昼間は寝ていた。誰が来ても出ないし、電話は鳴っていても知らない。隣人からは「何をする人ぞ?」と思われていたに違いない。

それでも季節柄、アレをせねばならない。確定申告。知らない振りをしていましたが、さすがにやらねば……。
経理ソフトを信頼して、ひたすら数字を打ち込む。考えたところで経理が判っていないので「ワタシハ、ナニヲ、シテイルノデショウカ?」という状態。
税理士さんのお問い合わせにも……ニコニコ顔で「はて?」 
落語なら与太郎の受け答えである。

そして、なんとか目処がついた~~!(と思いたい)

まぁ、色々な意味で、おめでたいねぇ。


紅白の椿が綺麗だったので、手折って玄関の石臼へ活ける。お雛様のよう。良いねぇ。


そう言えば『お内裏様』と『おひな様』は男雛と女雛の別ではなくて、両方の言葉ともにお二人を指すとか。知りませんでした。
お金の数字を追いかけるよりも、花鳥風月を愉しみたいものです。 (← 現実逃避)
普段から与太郎か。

う~~ん、色々な意味で、おめでたいねぇ。


窯焚き、確定申告終了しましたが、延び延びにしていたアレコレを超特急でこなさねばなりません。
といいつつ、配達、集会、グループ展などの出掛ける案件も累積。本当は引きこもって磨き、水洗い等々の仕事をせねばならないのですが。


まぁ、今日はひとまず良しとしよう。色々とゴメンナサイ。
さぁ、酒器の勉強を始めようか。あぁ、ツライ……。 (← 与太郎な習慣)


「なんでもない日おめでとう」








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今日という日

2015-03-11 19:33:03 | Weblog


今日という日付は、多くの人にとって人生の分水嶺になった日であると思う。

……この書き出しでブログを書いていたが消去した。
まだ、社会を総括的にも個人的なまとめも書けないので。


写真は、一番静かに震災のリアリティーを感じた光景。その年の12月。本格的な冬の到来を前にした気仙沼のとある海岸に立った。表札のある門柱だけがこちらを向いている。ということは……。
思うことも多かった、岡山に戻ってから想いを纏めきれないままアチコチで伝えた。言葉より感情が先立つこともあったか。


今は時間の経過と共に感情の鈍化が始まっている。言い換えるとそれは復興を信じていると言えるのかも知れない。

被災など大きなショックに対して、人は年を経るごとに「忘れないで」と「忘れたい」のアンビバレンスな感覚を持つという。
「人は忘れる事で未来を生きられる」のは事実。「しかし…」という想いも同時にあるという事でしょう。


今日は、これ以上語るまい。そして、今日在ることに感謝します。



___________

神戸の事について

今日の『あの日』 2014年

『あの日』 2012年


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順次、箱書き中

2015-02-16 14:25:17 | Weblog


工芸において桐箱の存在は避けて通れないものである。それに付随して『箱書き』は必須。
普段、筆で字を書く機会がなくとも、ヤキモノ屋は当然のごとく書く。
筆で字を書く事は、素養とも見られていて、それが個人的になかなか辛い。(以前は「かなり辛かった」ので若干進歩しているか……)


弟子の頃、あまりにも悪筆であったので、将来の事も鑑みて書家の先生に師事した事があった。
大人の習字は子供の書道教室のように現場では書かない。家で書いたものを1,2枚持参して衆人環視で講評されるのである。自分以外の他の人が書いたものも先生が講評するのを聞いて学ぶ。

一緒に習っていた生徒さんは、ヤキモノ屋以外は書道の先生方などキャリアの長い本気の方々ばかり。並んで習うのが恥ずかしかったなぁ。
周りの皆がショパンの練習曲をバリバリ弾いている中で、ひとりバイエルをヨチヨチ……みたいなレベル。もう開き直るしかないさ。
ハイレベルな生徒さんへの講評は、字そのものから、余白、墨、硯、紙、筆、呼吸、時間にまで話が及ぶ。作品の扱い。
「この余白のグラデーションの対比がな……」とか言われてましたが、先生、未だにそういうの見えませぬ。
言ってる事は辛うじて判るが、「その全てを自分で判断して書けないな……」と茫洋とする世界。いや、大抵は正座したまま気絶してたんじゃないかな。

もっとも、小生への講評は筆の持ち方からスタートだったけれど。先生は見ていないのに書いている姿勢から手の動かし方まで全てお見通し。参りました。


場違いながらも師事してそれなりの期間経って、褚遂良(ちょすいりょう)の『孟法師碑』『雁塔聖教序』をやっていた頃に「あっ、なんか変わってきた?」という瞬間が来た事もあった。
それは少し筆に慣れてきた時期だったのかもしれないな。それにこの字は好きだった。面白くなってきたけれど、独立を機に辞めてしまいました。
それで、まぁ、元の木阿弥。
なので普段書かない字と馴れた字の出来の差は歴然である。それが練習量の問題とは判っているけれど。

今でも書道関係者と話しても師事した先生の名前は出さない。言うと『書ける人』と誤解されて、無駄に箱書きへの期待値が高まってしまうので。
実際はバイエル終了した? という程度だし。


さて、準備が終わると配達へ。桐箱を風呂敷で包んで街を歩いていると、骨董屋さん気分になる。古からの伝統の形ですなぁ。



「よっ、茶金さん!」てなもんだけれど、中身に値打ちが出たのは、やんごとなき方々の筆によるものであったなぁ。

そのあたりが、中身の作者としては辛く、箱書きしている我が身としてもまた辛い。


最近は、ギャラリーでの芳名録がやっと平気になったかな。名前の最後はいつも書いている字だしね。というか、個人情報保護の関係で他人に見られないようにしてある場合が多いからか……。


「字を書くのが好き」と言える人が、本当に羨ましい。








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ボチボチ窯出し中

2015-01-28 19:18:50 | Weblog


ボチボチ窯出し中。窯焚き中に気掛かりだった場所に関しては、う~~ん、まぁ、セーフ……。しかし、大きいモノの破損が精神的に痛い。

さておき。
まずは、2月の展覧会で必要になるであろう目ぼしい(?)モノのセレクトが重要なミッションである。この為に正月から窯を焚いたんだし。
窯から出したら、砥石と紙ヤスリを使って埃や灰を落として、引っ掛かりが無いように磨き作業。そのあとは水洗いする。
ザラザラしたものを素手で扱うので指紋が無くなり、冷たい水で洗うので手がかじかみ……「この辛さこそが修行なのじゃ」との自己暗示によって妙な充足感が生まれる。変なテンション。
そして、熱い湯呑や茶碗が持てなくなるお決まりのパターンになる。これぞ、やきもん屋ですな。

水洗いの後は、水漏れチェックである。正しくは『水漏れしないチェック』であるが……。水を満たして概ね一晩放置する。
徳利などの首の狭いモノは、中の水が凍ると破損する事もあるので、凍らないように室内で少しずつ検査する。冬は何かと面倒が多いなぁ。
でも、洗う為に水に入った最初の瞬間の綺麗さったら! いつも新鮮な美しさを感じる。この瞬間が幸せ。

という訳で、辛さと幸せを行き来する仕事がこまごまと続く。


そして、作業しながら2月の展示を取り留めなくイメージする。厄介なのは百貨店は季節が先取りである点。会期中は春を意識した雰囲気になっているだろう。
いずれにせよ季節感の問題のひとつは『花材』である。庭を見渡したところ、椿、水仙以外はまだまだ厳しい雰囲気である。露地なので当然。
春は遠いなぁ。というか、毎朝、氷が張ってるんだからなぁ。
スーパーの野菜売り場で菜の花が出てたのは確認済みである。あれは花材として使えるな。あとは御近所の梅、桃あたりを狙うか。

丁度、室内で『水漏れしないチェック』をしている事でもあるので、放置しているレンギョウの枝をバシバシ切って花器に突っ込んでみる。
室温で「春が来た!」と思って蕾が膨らんでくれば良いんだけど。少し黄色が覗くだけで花材として使える筈。
何日掛かるか不明なのでタイミングを数日単位でずらして実験中である。


さてさて、仕上げがひと段落したらリストやテキストをガシガシっと書いて~~の事務作業をせねば。
ステイトメントも書かないと。それにしても「何故、あのタイトルにした?」 あの時の自分を小一時間問い質したい。
あと、思いついた展示小道具もあるのでそれも作りたいな。


あっ、今日、確定申告の封筒が来ていました。また、あの季節か。┐('~`;)┌
今年も早いねぇ。








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年末年始のあれこれ

2015-01-16 16:05:06 | Weblog


え~~と、最近の動向はですねぇ……。

年をまたいでの窯詰め、窯焚きというスケジュールで御座いました。
まぁ、年が改まるだけで普段と変わらないはずですが、不思議と気が急くものがありますね。展覧会に向けての追い込みなので、当然といえば当然では御座いますが。

年末の仕事納めが大晦日23:50。徒歩30歩で窯場から帰宅してテレビの『行く年来る年』を眺める。
寺から神社へという映像で年が改まったのを確認して、再び窯場に戻り今年の仕事始めが0:00過ぎでした。


今年はここからスタート。初日の出を迎える直前で遭難しそうな冷え込みを感じたので終了。布団へダイブ。
少し寝て起床。新年定番『梅昆布茶』を頂き朝風呂と雑煮。う~~ん、正月やねぇ。
そして、また窯場へ。敬虔なる心によってお屠蘇を窯へ持参する。窯の神様へお供えである。しかし寒かったので直会が多めだったのは内緒。
結局、正月中はずっと仕事ながら、意外と辛いとは思わなかったし、むしろ、正月は誰も来ないという安心感があって集中出来たのは新発見でした。

3日には中学校の同窓会がありましたが不参加。時折SNSで上がってくる写真を見ていましたが「さっぱり判らん……」と思いつつ仕事。
自然と中学時代の事に想いが至りますが、自分の事を振り返ると「若干、厨二病やったんではないか」と……ハズカシイ。
流行の音楽は聴かないし、ひとり防波堤で寝転がったり、通学鞄には西田幾太郎の『善の研究』が入っていたな。

読売新聞のお正月特集に掲載頂き、アチコチから連絡が入ってくる。

予想外に大きな取り扱いに感謝。紙面4分の1。
「これに応えて、今年はがっつり仕事せなな」とも。

窯詰めが予定より掛かり、やや遅れて窯焚きが始まる。しかし想定外の事が色々と発生。中でも「ネタやろ」というぐらいの初歩的ミスにお手伝いメンバーから失笑。
そのお陰で窯焚きは体力的にしんどかったけれど、いつもより大量の自然釉があったらしい。2度としないけれどね。香炉の蓋が心配……つか、あきらめた。
懸念のオルトンは不思議な反応をする。薪窯で使うものでは無いなぁ……という感想。しかし、これが世界基準なら仕方あるまい。窯出しで検証せねば。
次回からは大丈夫? いや、不安やなぁ。
差し入れも沢山頂きました。ありがたや~~。


という事で、怒涛の窯詰め、窯焚きが終了。
今回は本当に多くの人に助けていただいた。改めて皆様に感謝で御座います。


現在は事務的なアレコレ。
関係各位には非常にご迷惑をお掛けしておりますが、順次やっていきます。


母が好きだった『ボレロ』でBGMスタート。




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血は争えぬか

2014-12-22 12:10:36 | Weblog


「この親にしてこの子あり」と言いますか……。

小生ご幼少のみぎり、外で遊ぶ時には常に手帳を腰から紐でぶら下げていたお子様であった。
それにはアリから見た地図だったり、図鑑から抜書きした花、昆虫、動物の情報をメモしていた。
要は気になるアレコレを書いて満足するという癖。絵よりも文字情報が多かったのも特徴。
これがその後、何かの役に立ったか?といえば特に思い当たる事は無い。


さてさて、そのような事を特に子供達に話した事は無かったはずなんだけど、下の子が何やらメモしているノートを発見した。
メモ魔の血は争えぬのか……。

ノートを机に広げたままだったのでヒョイっと覗くと食べ物カテゴリーのノートらしい。
内容は先日頂いたイタリアンのコース詳細と、シェフが発した言葉、その場での会話などをダイジェストに綴ってある。
「隠し味はアミの塩辛」「イタリアの魚醤と最後に和える」「肉の付け合せは梨のソテー」「桃にピンクペッパーが合うらしい」という小耳情報。
ワインやお酒についての会話の断片などもあった。
大人しくしていたと思っていたら、その場で色々と記憶していたらしい。なるほど。

まぁ、これが今後、何かの役に立つのか?は判らないけれど……「へ~~~」という感じ。
何にせよ体験や感情を言葉にして残すトレーニングは大事だし。


ただ、こういうノートがあるって頃は……今後、色々と書かれる?
「こちらもそれなりにキチンとしなきゃ」って事なのか?
希望としては、ダメ出しは書かないで欲しいなぁ……。

良いようで新たなプレッシャーか?

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ジェネリック・ミッド・センチュリー

2014-11-25 11:48:55 | Weblog


先日、ネットで家具を見ていると気になったサイトがあった。サイトの作りもお洒落で上品かつ清潔な印象。
そして価格が安い。
20代半ば(ミッドセンチュリーの再ブーム時)にデザイナーの椅子に興味があって、集中的に見たり本を買ったりしていたので相場が薄っすらと記憶に残っている。

「ミッドセンチュリーの巨匠がこの価格?」というオドロキの価格だ。
ユーズドではない。しかも使われている色やファブリックに初見のモノまで沢山ある。
「あら、オシャレじゃん」と食い入るように見ていたが、次第に違和感を覚える。
足、接合部、縫い目、フォルム、部品数……。
今度は疑心暗鬼にサイトを見ていく。作っているのは某大国製が多いようだった。

やっと判った。
世に言う『ジェネリック家具』……少し前は『リプロダクト家具』とか言ってたっけ。

ジェネリックという言葉自体は、後発医薬品の名前で知っている。それの家具バージョンという位置付け。お洒落に聞こえる言い換えか。
不正コピーではなくてデザインの版権期間が終了したものなので違法性はない。
もっと言えば「意匠権が無いデザインなので誰でも使える」とも言えるか。
しかし、アノニマスなプロダクトなら兎も角、個人デザイナーの『作品』へのリスペクトが希薄である。
サイトの上品さや清潔さを透かして逞しい商魂がより大きく見えてくる。

そのままページを閉じた。


時代を振り返れば、版権期間中には似て非なるコピーは多く出る。それとこれとを同一に比べるものでもないとも思うが……。
良く言えば『似て非なるデザイン』は、その時代の様式へ発展する可能性があるムーブメントでもある。
しかし、ジェネリック家具には工夫する気すら無いように見られる。言い切れば『ただ乗りデザイン』である。しかし違法ではない。
いずれ世界を席捲するネズミのデザインも……。

繰り返すと、ジェネリックは悪いわけではない。
ただ、リスペクト以上に商魂を隠して上品ぶるから、くぁwせdrftgyふじこlpうわっ、やめっ……
もし、こういう販売がきっかけでミッドセンチュリーブームの再々ブームが到来したら、是非『ジェネリック・ミッド・センチュリー』と名づけて頂きたい。

まぁ、でもね、ジェネリックの製作側・購入者側の双方の気持ちは判らなくもない。
だって、同じ価格なら良いデザインのモノが欲しいし。100円均一ショップでもデザインの良し悪しで買う時代なんだし。


町内の公共物でお気に入りの物件がある。
常々「我が町内のミッド・センチュリー・モダン・デザイン」と思ってる古い街灯。


他にあるものに付いている商店の看板から推測すると、恐らく設置されたのは本当にミッドセンチュリーの頃か、その後だろう。
重ねる形、シンプルな構成、表面の加工技術、プラスチック素材などに時代の雰囲気が出ている。
しかし、いずれLED照明と取替えになるかも知れない……不要になったら欲しいなぁ。


このデザインが、オリジナルなのか、似て非なるなのか、ジェネリックなのか……は置いといて、気に入ってるのは確か。


閑話休題。


翻って我々の業界。
日本には昔から『本歌取り』や『写し』という表現方法がある。
現代では、桃山や江戸時代の『写し』は多い。時代が下がれば『個人作家のあの形』が定番化している事もある。
その製作現場にはリスペクトがある筈だ。
「しかし、これらは油断するとジェネリックになってしまうのではないか。そうならない為には……。いや、ジェネリックは悪いわけではないとすると……」

暫く『写しとジェネリックについて』一考してみようか。


まぁ、願わくば、写されたりコピーされる本歌の側になりたいな。














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今日はブラームスから

2014-11-07 22:31:53 | Weblog


朝、子供達は学校へ。番犬福助は朝御飯。ルーチンワークを片付けつつ、朝の冷気に一際季節の変化を感じる。
一日の寒暖差や、釣瓶落としの夕暮れに戸惑う季節でもある。

あれほど勢いのあった夏草も今は成長を止め静けさの中。
刈り残した叢の混成具合を見ていると、活花のような趣きもあるなぁ。感傷的に過ぎるか……。
有体に言えば、コムラサキシキブにエビヅルなどの蔓性の草が絡みつき、傍にススキが立っている光景である。
距離感のない青空にジョウビタキの甲高い声が響く。ひんやりとした空気が心地良い。ずっと深呼吸をし続けたい気分。(←過呼吸になるよ)

アースカラーを眺めつつ、コーヒー片手にしばし。「いいねぇ」
近くに遠くに目を移す。



今年の初嵐は花付きが良いなぁ。


朝のサンシュユも艶やか。

朝露と霧が作る片隅の風景。
何となく「今日の始まりはブラームスからにしよう」と思いを定める。


日本は湿潤の国。その気候の中で綺麗に見える自然の色は自ずとある。
春の霞、梅雨の窓越し、夏の陽炎、真夏の入道雲、晩夏の夕立、初秋の朝露、晩秋の鰯雲、初冬の川霧、冬の霜柱。
おぼろげな景色、メランコリックな雨、遠い記憶の地面、遊びまわった海、蝉の声、濡れた草の香り、蜻蛉の群れ、凛とした冷気、透明感ある朝の通学路。

湿気と風景の記憶は直ぐに結びつく。そして、それぞれに美しさと儚さを持つ。
山は笑い、滴り、装い、眠る。


その中でも秋は格別。そして秋はブラームスが似合うと思う。

霧の如く変幻していく主題は、日本人の無常観に沿うのだろうか。
愁いを帯びる響きは、湿潤の記憶を誘うのだろうか。
あるいは情緒的にあるときでも、論理性を崩さない真面目さが気質に合うのか。

「何となくブラームス」の理由はそのあたりなのかも……。


由無し事を思いながら、今日の始まりの一曲へ想いを廻らす。「まずは弦楽から始めてシンフォーニーへの流れだろうな」
穏やかな気持ちの変化を意識から少し切り離してフワフワと遊ぶ如く。
取りとめない緩さで曲を選びつつ、仕事へと気持ちを徐々に切り替えていく時間でもある。

さて、その視野の端に番犬福助くんが。
「頂くものは頂きましたよ」って顔をして伏せているが、横目でこちらをチラチラと見るのは「何か素敵なものが来ないかしら?」という期待に違いない。


大音量でブラームスをたっぷり聞かせてやんよ。 Ψ(`∀´)Ψ


ロクロ座からの風景もまた良し。















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