
やきもん屋はヤキモノを作る故、世間の認知が斯くあるわけですが、現在は職人の如く製作だけを日々続けられる環境にはありません。
発表の場を持つ為に、アレコレの企画や実行など多岐にわたります。ややもすれば会議やイベントが続くと自分でも「何屋さんだっけ?」という感覚にもなります。まぁ、そういうのも嫌いじゃないですが。
そういう場面では「飛ばねぇ豚はただの豚だ」という気分になっています。
しかし、同業者との雑談で「なべちゃん、この前のあれって……」と諸々の活動についての感想、意見を求められ、万が一に感嘆や賞賛を得られようものなら、ついつい照れ隠しもあって格好をつけてしまいます。
「飛んだところで豚は豚だぜ」 というシニカルな表現。
自分の中の『豚』の在り様は、その時々の状況次第で変わるということです。
其々にハッピーな場面や度合いもあり、そういう気分の振れ幅を抱えつつ生活しております。
現在は、飛ぶことを想定しつつ引きこもり。これぞ、やきもん屋のあるべき姿……のはず。
で、アチコチ飛んでいる間に今年も半分が過ぎたとか。
昨日は半夏生だった。田んぼの稲の根が張る時期。まだ苗が小さく水面に空が映る風景が好きです。
ウチの周辺は緩やかな段差の田んぼが多いのですが、棚田ほどの数では無い。よって『田ごとの月』とはいきかねますが、それでも夕空を映す様は美しい。
こういう時期にこそ家に居ないとねぇ。夕空の綺麗なタイミングで番犬福助と散歩をユルユル。
「飛ばない豚の幸せ」です。
酒器の勉強タイムには、真ダコが山ほど登場。

岡山でも『半夏生のタコ』を言うようになったのかな?(もとから?)
中学生の頃に理科の先生(兼業農家)が、半夏生のタコの由来話をしていて「そういうものか」と記憶していたけれど、実際は頂く習慣は無かった。(街の子やからね)
関西のどれ程のエリアでの謂れかは知らないけれど、まぁ、商魂に乗っての一献。良いですな。
あと、夏の間には、鱧、虎魚、鯒、鯵、障泥烏賊、槍烏賊、穴子、鰻、栄螺、藻付、鮎……。忙しいなぁ。う~~ん、家に居ても忙しい。
酒器の勉強がはかどるのも引きこもり陶芸家の特徴か。
気分良く勉強に励むために、仕事をせねば。あと、はっきりしているのは「豚もおだてりゃ木に登る」というところでもあるな。
さぁ、心地よい誉め言葉を夢想して作るよ。( ← 飛べていない豚)