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備前焼 やきもん屋 

備前焼・陶芸家の渡邊琢磨(わたなべたくま)です。陶芸、料理、音楽、路上観察……やきもん屋的発想のつれづれです。

2016始まり (浅草は本日終了)

2016-01-07 09:45:23 | Weblog


2015年からの年またぎ企画『古田織部没後400年 激陶者集団へうげ十作展 ニッポニアニッポン』も、本日にて終了。

クリスマスイヴ搬入から、連日のイベントやワークショップを開催し、まさに釜の湯も滾る熱湯 いや熱闘イベント。初日からの3日間は在廊・お呈茶をし、その盛り上がりに後ろ髪の引かれる思いで帰宅しました。
年末は浅草の賑わいを遠くから伺い、そのまま年を越して『古田織部没後400年プラス1』を迎えました。


思い返せば、昨年の正月は窯詰め中で、窯焚き途中に実家に戻ったり……と波乱な幕開けでありました。
その後も『作って食べて、食べて作って』は相変わらずに営まれて2015年は終了。ブログの写真にも反映されていますなぁ。

2015年、頂いたものたち。(クリックで拡大)



2015年、作ったモノたち。(クリックで拡大)




さぁ、2016年シリーズ開催です。
「1月2月3月は、行く逃げる去る」と言われますが、しっかりとやって行きたいと思います。
あっ、今日ってもう七草の日じゃんか! 早ぇ~~。 ( ̄□ ̄;)!!


ひとまずは窯焚きに向けてアレコレ。
飄々といきたいものですなぁ~~。たぶん無理だけど。


本年もよろしくお願い致します。 m(_ _)m





























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新しい広域農道

2015-12-16 18:08:59 | Weblog


本日は割り木運び。製作期間にはこういう事も含まれる。一番仕事をした気になる内容かもしれない。割り木屋さんと拙宅間を5往復する予定。

割り木を取りに行く道中に、新しい道が出来ているのを思い出した。
かなり以前に途中まで出来ていたが、開通目前に行政がゴミの最終処分場を作る計画を発表し、住民から反対運動が起きた途端に開通中止となっていた道である。当時は「道をつけて欲しかったら、ゴミの受け入れをせぇ」みたいに感じましたっけ。
因果関係は知りませんが、結果として山の中に行き止まりの広域農道という無駄な道が出来ていました。そんな事もすっかり忘れていましたが、それが「最近開通した」との事である。あれから政権が二転三転したから? 

理由は如何にせよ開通したからには通ってみる。
これまでのルートと距離的、時間的には然程変わらない。メリットは信号なし、渋滞なしである。ただし結構な標高まで山道を登るのでガソリンは食う。同時に下りも長いのでその分で相殺か? う~~む、なんとも評価しづらい。

頂上付近にはトンネルがありました。

「予算の都合でこの距離になりました」的な微妙な距離である。(このまま頂上越えでも良かったんじゃ?)


今後通るなら「熊山駅に用事があってから伊部に行く場合は有効」といったところでしょうか。雨天、冬季は通りたくないな。新緑の頃は気持ち良いかも。
気になった点は、側溝が延々と続いている事である。しかも小動物にとっては落ちると這い上がれない深さ。命に関わるトラップになるだろう。
開けた道の両側は日当たりが良いので、植生的にはタラの芽を期待したい。


そんなこんなを思いつつ、割り木運び終了。

よく乾くように、屋根の下で井桁に積み上げます。


さて、これで必要量の3分の1ぐらいか。また運ばなきゃ。

さぁ、仕事した気になっていますが、今日は製作はしていません。コチラをしないとね。ガンバロー。

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20年経つと

2015-12-04 20:41:21 | Weblog


本日のお仕事は土練機で粘土を練る事から。

備前焼の場合、土練機の使用に関しては賛否両論を始めとして諸々の意見がある。「機械で練ると土味を殺す」やら「土が締まり過ぎて表情が固くなる」やら「そんなの関係ねぇ」やら。
小生は、土によって使い分けている。理由はここでは述べない。

今日は、土練機を使う粘土である。
この粘土は、20代の頃に原土を精製して粘土にしてから20年以上経ったものである。厳重にビニール袋に入れて乾燥しないように密閉し、幾度かの引越しにも付いて廻った愛いヤツらである。
粘土を寝かせている時に、ビニール袋の使用に関しては賛否両論を始め……。(以下、略)


えぇぃ! 
兎角、諸々のご高説、ご意見は御座いましょうが、これは『20年寝かせた土』である。
粘土にした当初は『さくい(≒可塑性が低い)』土であったが、今日、開けてみると可塑性がかなり増していた。
20年という歳月の成果なのでしょうなぁ。

粘土を練りながら、自然にこの20年に思いが至る。まぁ、特に感傷的なものでもないが……。


ふと、仕事場から外に目をやると数本の椿が目に入った。「これもそうか……」

椿は20代の頃はあまり好みではない花だった。
今となってその理由は「落下する花が、首が落ちるように思えた」ぐらいしか思い当たらないのだが? 後に何かのタイミングで、土門拳の『女人高野室生寺』の石段に散る椿の写真を見て、その良さに気付いたように思う。
「桜にも通じる散り際への情緒? いや、むしろ桜よりも潔いやも知れぬ」とも。香りを発しないのもそこに通じるか?

以来、少々、椿を植えるようになった。ただし、花は何につけ白花が好みではあるのは変わらないのだが。


裏山の藪椿も咲き出した。


日中に肌寒さを感じるこの数日、一気に開花。見上げるほどの大木にチラホラと。
やがて、盛りともなれば足元は赤い落椿で覆われるだろう。


うむ。赤も良いな……。



今年は、新しい椿を植えよう。お茶の花も良いなぁ。


また、次の20年で好みが変わるかも知れない。さてさて……。





























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第3回 ふるさとあっ晴れ認定委員会

2015-11-16 21:05:51 | Weblog


昨日は、尾道へ参りました。
育った土地柄、坂の上から見る海が好きな光景です。ここも同様のロケーション。良いですなぁ。

山を見上げ、

海もすぐそば。

良いねぇ。


で、遠足ではなくて、お仕事で御座います。
JR西日本岡山支社様による『ふるさとあっ晴れ認定委員会』の第3回目の委員会(備後エリア)でした。
岡山県内の『えぇとこ、えぇもん、うめぇもん』の逸品を掘り起こし全国発信するものを認定します。最終的には来年の大イベント『晴れの国おかやまデスティネーションキャンペーン』に大きく関わっております。
今回は、イタリアンシェフ、フラワーエンターティナー、温泉旅館女将、書家、パーソナリティー、やきもん屋の面々で。


開始前の自席から。

真面目モードで臨みますよん。

こんなのや、こんなのや……と、地域性とメッセージ性ある魅力的なプレゼンがされていきます。









触ったり、試食したり、意見を述べ合って……。
それぞれのジャンルの次世代をしっかり担う方々(但し自分は棚上げ)、話の切り口に新鮮な印象を感じて素敵。


結果。
『あっぱれ大賞』としては、瀬戸内しまなみ海道、備後絣、備後府中黒味噌、コロラムプリン。

『あっぱれ認定』されたものは、
えぇとこ : 尾道~鞆の浦、笠岡諸島 
えぇもん : 尾道帆布、府中桐箱
うめぇもん: くわい焼酎、おのみちサルシッチャ、はっさく大福、無花果酢いーと、雑穀物語美人うどん、瀬戸内ど真ん中のり幻紫菜

などが選定されました。


終了後は懇親会へ。「軽食がでます」とお伺いしておりましたが、なかなかしっかりとした分量かつ、和洋取り混ぜたユニークなコースで良かったです。

色々と頂きつつ歓談し、最終的には直近のお茶会&展覧会『備中國足守大茶湯』をガッチリとご案内させて頂きました。


今朝は、審査中の写真も新聞記事になっておりました。

備後絣に興味惹かれているところ。


駅前で仕上げの一杯をして新幹線の終電で帰宅。

楽しい一日でしたが、朝から行けば良かったなぁとも。


次回も楽しみです。 (念のため、繰り返しますが、遠足ではございません)











































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西洋音楽史上、織部っぽい人って? 

2015-11-10 21:30:29 | Weblog


戦国乱世の頃、古田織部という茶人武将が「数寄を以って天下を獲らん」と活躍しました。信長→秀吉→家康に仕え、利休に師事し、弟子には小堀遠州、上田宗箇などがいます。活躍の結果、現代において尚ひとつの様式として『織部』があります。我々が非対称さに美意識を見出す事が出来るのもその辺りも要因のひとつでしょう。

その人生は、歴史大河ギャグ漫画『へうげもの』として長期連載中です。(まもなく21巻が出ます)
『へうげもの』は剽軽者とでも書くのでしょうが、隙あらば命のやり取りをする日本全国任侠時代において、命掛けで趣味趣向を貫く豪胆さ、それに対して表現の軽さが主題でもあります。そして、一世風靡し、ある時を境に灰燼に帰して忘れられる人生。あくまでも体制側に居ながら新しき事をなすという存在でした。
まさに『桃山に散った』というべき人生で、このあたりに現代人は感化されるのでしょうか。


さて、そんな事を思っていると、ふと疑問が。

「音楽(クラシック)の歴史において、古田織部に当たるのは誰だろう?」


ボンヤリと考えていましたが、答えはすぐに出る。

つまり、いない。

権力者(王、貴族、武家、教会など)があり、かつ体制側の人から探さねばならない。つまり時代としては古典派ぐらいまでである。
しかし、西洋では権力者自らが表現した芸術はほぼ無い。あちらの芸術は発注側と受注側の階層がはっきりとあるので存在しないのである。
織部も発注者側であるが、陣頭指揮をして形式、様式を牽引したという意味では表現者ともいえます。
オペラにおけるバレエ導入を国王が許すとか、そういう程度ではない。価値観やその後の美意識に影響を創出した人……。

となると、思いつかないなぁ。( ← 不勉強は棚に上げて)



ちなみにザックリとした音楽のメインストリームを書いておくと……、(西洋美術史や現代アートは、音楽史に置き換えて覚えました)

●黎明期 
民衆の生活で伝わったもので楽譜はない。吟遊詩人やお祈りの歌など。

●ルネサンス 
スポンサーは教会。
ミサ曲、合唱曲や世俗曲など。現代とは異なる記譜方法。教会旋法(チャーチモード)など現代と音の配列が異なる。

●バロック 
スポンサーは教会、貴族。
現代の調性や和音進行など基礎が出来る。延々と繰り返される通奏低音に主旋律が乗る形式。伴奏と旋律など楽器が分業化。
バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディなど。

●古典派 
スポンサーは貴族から富裕層市民へ。
室内楽メイン。整然とした『起承(転)結』の形式が出来る。現代楽器の基礎が出来る。ピアノの発明により婦女子向けの曲が楽譜として出版される。
ハイドン、モーツァルト、ベートーベンなど

●ロマン派 
スポンサーは市民。
主題に対して物語性をもって表現する。作者の主観が強く「俺の話を聴け」的な曲も多い。
楽器がコントロールしやすくなり、奏法が確立するにつれて楽器編成が大きくなる。オペラやフルオーケストラが誕生。

・前期:メンデルスゾーン、シューマン、ショパン、ブラームスなど
・後期:ワーグナー、ブルックナー、チャイコフスキー、マーラー、シュトラウス(R)、シベリウス、ラフマニノフなど

●近代 (ロマン派末期と被っている)
肥大化するロマン派に対してアンチな立場。印象派、新ロマン主義など。調性の有無、拍子、旋律数、破調した和声進行などの作曲、編成の多様性など、主義主張が乱立する。
ドビュッシー、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチなど

●現代
やったもんがち。現代アートとの連動でコンセプチュアルなものもある。「音楽なのに楽器を弾かない」などは有名すぎる。
ジョン・ケージ、アルバン・ベルク、武満徹など


という事で、権力者かつ表現者は……、いない。

しかし、それではつまらないので作曲技法だけで考えてみると、『エリック・サティ』かな? 時代は古織様からずれて19世紀末から20世紀に達するが。


サティーは奇行が多い変人であったけれど、『家具の音楽』を自認する作風でBGM業界の創始者である。
伝統的な規則性や規律から生まれる安定した心地良さを根底からひっくり返し、調性、リズム、和声進行を崩壊させた。いわば『歪みの心地良さ』である。
印象派といえばドビュッシーが有名だが、その人に影響を与えた意味では印象派プロトタイプを生み出した人である。
その後は、記譜も独自のものになり、調性記号、拍子記号、小節線が放棄され、『そこにあるなら、あるんじゃね?』というありのままな形となる。

百花斉放、百家争鳴なロマン主義の中で、伝統を破壊し、新しい表現を創造し、やがて様式となる。
超人的作為を通して無作為を装う技巧。流れていく旋律に対する和音の諧謔性。

『破調の美』であり『乙』であります。

あと、曲のタイトルも一興。
タイトルと曲の関連性を持たせない為にあえて言を弄するスタイル。『無題』という風にテキトーに投げていないのが乙です。


な~~~んて事を思いながら、本日は『Préludes flasques <pour un chien> =(犬のための)ぶよぶよしたした前奏曲』から始まりました。
























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東京出張 その2

2015-11-06 19:46:32 | Weblog


さて、今回の東京出張のもうひとつの目的は、『横浜の仇を江戸で討つ』で御座います。
前回、横浜出張でのフリーな移動日は秋の月曜日ということで、美術館関係が休館または展示入れ替え中でありました。

その為、特に何をするわけでもなく……いや、酒は呑んだな。こちらは休肝日ではありませんでした。
「ミズダコを香住鶴で」という東京で呑む必要の無い……いや、だからこそ相応しいのか? という逡巡を山場として一日が終わったのでした。
何も見れなかった仇を返さねば。

という事で前乗り。当日は月曜日で美術館は休みですが大丈夫。(←何が?)

見たいものは美術館だけにあるのではない。まずは、落語でお馴染みの増上寺。

まずは参堂から伺います。鐘楼を横目に「ここの鐘は海風に乗ってくるンで鈍い音……。ぐぉぉぉぉ~~~ん」と独り言。
お参りした後は、今年オープンした宝物展示室へ直行。大殿の地下に潜る格好。


お目当ては、狩野一信の『五百羅漢図』です。

全100巻を20巻づつ入れ替えながら展示。今回は21~40巻までで、地獄から人々を救済する羅漢様がメインのシーン。
キャプションも判りやすく見ごたえ充分。平面的な構図のレイヤーを重ねて奥行きを表現。緻密な細い線、気配のあるぼかしなど遠くからも近くからも見飽きない。う~~~ん、良いなぁ。
『地獄八景亡者戯』的な緩さではなくガチンコ表現で、怖さと有難さの波状攻撃に見入ってしまう。


見終わって地上へ。ふと門を見上げると、なにやら可愛らしい図案を発見した。

魚?

そのまま、視線を上げると……。

『魚がし』とある。魚屋の親父さん達からの寄進でしょうか。

トラックが通行していた門には、高さ制限の枠のようなモノが異彩を放っていた。視認性を高めるビビットな色が現代アートっぽい。いや、このお寺なら現代アートかも。 

道の反対側から「現代的な襲の色目とするなら、名前はどうするかなぁ」とボンヤリ眺めていましたが、個人的に『711』と命名する。( ← まんまですな)
( ← のちほど『エニートーキョー 2015』というデザインイベントと判明しました)


次は現代作家の描いた五百羅漢図を見に六本木へ。

見上げても見上げても曇り空 ( ← 山頭火風に )
どちらも高い蜘蛛と雲    ( ← ??? )

このビルの高いところの美術館へ。この方は実物を見たことが無かったので。喰わず嫌いはイケナイしね。

で、やはり……。感想はさて置き、色々な音が気に障る会場でした。

「商用でなければ写真撮影OK」という海外の美術館スタイルは良いのですが、シャッター音がやかましい。
全てをスマホで撮っていた兄ちゃんは、目の前の実物よりもスマホ画面を見ている時間の方が長かっただろうなぁ。
「あとで本でも買えば?」と何度言いそうになった事か。その方が写真もより良いし。モノより空間体験という人か。

観客の話し声も大きかったし多かった。普段、美術館へ行かれない層もご来場かな。展望台からのお流れ? 
パステルカラーのジャージ・ケミカルなサンダル・ピカピカしたスマホの団体さんは「Youは何をしに美術館へ?」って感じ。
展示室を本当に駆け抜けて、ミュージアムショップで大騒ぎ。それで廻る経済もあるという事でしょうか。


さて、翌日。
三越入りする前に、東京駅丸の内側へ。

綺麗になったドームを見上げて、読んだ事はないけれど『点と線』をふと思ってプラットホームを見やる。

駅から出て中央郵便局跡地の商業ビルへ。

ここでの目的は、日本郵便・東京大学産学協働プロジェクト『インターメディアテク』にある。簡単に言えば、東大の学術標本の一部が展示してある場所。しかも入場無料。素晴らしい。
出来た当初から行きたかったけれど機会が無かったので、やっとこさであった。

館内は撮影禁止。(←こういうところだよっ! 日本は)
入場無料ではなくて、「部屋ごとに寄付金箱を置いておけば良いのになぁ」とも。鉱物、数理模型、機械の教育模型の展示にはお礼がしたいぐらい!!
一番の驚きは、貨幣コーナーで赤瀬川原平氏の『大日本零円札(本物)』があったこと。『千円札裁判』の最中に作っていた作品で、思わぬ場所での初見となりました。洒落の効いたキュレーターさんですなぁ。
前日に新宿で『純粋階段』の発見&体験したこともあり感動もひとしお。出会う時には出会うんだなぁ。

そこから三越まで歩いて、館内をグルグルと。それはそれで楽し。

という訳で、「東京では色々見たよ」という報告まで。


で、実は、他にもテーマもあったりして……。

「まだ、あるのかよ!」という向きも御座いましょうが……、はい、続きます。 (^。^ゞ













































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東京出張

2015-11-05 18:41:13 | Weblog


ひょいとお江戸に参りまして、昨日遅くに帰宅しました。今回は、三越本店5階で行われておりました『剽軽大茶会』がその目的。

会場に向かう途中は天気がよく、汗ばむ程でありました。



大茶会というタイトルながら、今回はお茶を点てることも無く、在廊していらっしゃる陶芸家の皆様とワァワァとやっておりました。
SNSのお陰でチラチラとお見かけする事もあったので、初めてお会いしても初めてでないような不思議な感覚もありでした。
共通点は、ヤキモノ屋かつ漫画『へうげもの』読者ということであったのがフレンドリーさの要因かも知れません。

ほぼ釉薬の方々なので、作品の展開が華やか。

焼〆作品も鮮やかなビードロで、やはり華やか。


その中で、我らが赤いリヤカーも存在感を放っておりました。「おぅ、頑張ったな!」と褒めたいところです。

これまでは、お茶を飲みつつヤキモノの話をするステージとしての活用が主でしたが、今回は物言わず展示に尽力した健気なヤツです。

お客様からの評判も良かったようで、特に日曜日のお茶会は盛況だったようです。

いつかは、銀座のど真ん中、歩行者天国で引きたいものですな。

さて、最終日でしたので片づけをして終了。
解散まで時間が掛かったけれど、その多くは搬出のエレベーター待ちでした。流石、日本を代表する物欲の館で御座いました。周辺道路の大混雑な事。


しかし、東京は本当に良く歩きます。特に地下鉄は……。
きっと「田舎もんがヨロヨロとしてらぁ」と思われていたのでしょうが、そんな事にも気が回らないほど疲れました。

以上、お江戸出張話は終わり。


「え? 終わりなん?」と思われた方は、ご明察で御座います。
これだけで終わる訳が御座いません。長くなるので分割です。

ひとまず今日のところはこれにて。m(_ _)m




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破格 --桃山備前--

2015-11-01 10:38:32 | Weblog


昨日、ボチボチ会期が終了する展覧会へ行きました。
「東京出張の前か?後か?」と思っていましたが、後顧の憂いのないように『前』を選択。

改めてフライヤーを見ると、ちょうど博物館学芸員による列品解説日である。「おそらく話をするのはあの人であろうな」と決めてかかって行く事に。
これまでに、我々(備前焼作家集団けらもす)が企画したイベントやフランス講演でゲストスピーカーをして頂いた方である。
時間を狙って博物館へGO~~~。

途中で所用で伺った先で、「今日はどっち行くの?」と訊かれる。何の事かと思いきや、ほぼ同時刻にアチコチで備前焼トークがあるとか。
お伺いすると人間国宝の先生から始まり……。おぉ、なるほど。
「お客さんが分散してしまって勿体無いなぁ」とも思うが、秋の企画にはさもありなん。


博物館に10分前に着いて、ひとまず展示ガラスの前を流し見していく。歩むスピードを緩めずに行きたいが、しばしば立ち止まる事多し。フムフム確かに名品揃いである。
久しぶりに見るもの、初見のもの……など色々。「岡山でこのレベルが揃うのはちょっと無いな」という感想である。内容が濃い。事前交渉の大変さを推察します。
コストパフォーマンスで言えば、いやコスパで言わずとも『見ないと損! というか、後悔するかもよ』というレベルです。

個人的には武家茶人である上田宗箇の茶碗に興味を惹かれた。お気楽に「あっ、お茶飲む?」というレベルからは遥かにぶっとんだ気迫ある面取りでありました。


定刻直前。
おや? 知り合いの奥様がいらっしゃる事に気付く。
ふと会場を見回すと、おぉ! ウチのメンバーの半数が。フランス事業でお世話になった方も!「今日はお祭りですか?」
お互いに打ち合わせもなく同時刻に集まるとは、流石というか、例によって滑り込みというか……。たぶん、後者。


定刻に解説開始。
学芸員さんは流石に話慣れている。内容と同時に話の構成にも注目する。展示趣旨、時代区分、背景、その比較と続く。なるほどね。

今日行ったのはトークそのものも目的であるが、ちょっと仕込みの為の参考もあっての事。
11月に予定しているグループ展の中でトークイベントをする。しかし、どうやら周囲は「貴方がお話するよね」的な雰囲気である。
なんだ、このプレッシャーは……。

お茶も点てて、トークもして……という段取りになりそうだなぁ。う~~む。まぁ、受けて立つか……。
またしても例によって『返事のなべちゃん』『いっちょかみ』が発動である。要請に「YES」と返事してから「さぁ、どうしよう」といういつもの流れ。


さて、もろもろ頭を耕しておかねば。


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タイトル : 『特別展 破格 --桃山備前--』
会場 : 岡山県立博物館(後楽園横) 
会期 : ~11/8(日)

 土曜日14:00~15:00 学芸員による解説
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まだの方は、是非! 


(『後』にも行こうかな……。)





















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下見ツアー on誕生日

2015-10-28 10:24:19 | Weblog


昨日は、小生の誕生日に沢山のお祝いのお言葉有難う御座居ました。

朝起きると怒涛の如くメールが……。誕生日を忘れていたので「何事ぞ?」と思いましたが、SNSさんのご親切な告知の結果でありました。
かくして、SNSの通知メールも通常のメールボックスにも入るので、「緊急のメールが紛れていないかな?」と目を皿のようにして見ましたが……特に御座いませんでした。 (`・ω・´)ゞ
まぁ、通常も無いんだしっ。

「急用やのに返信無いやん」という方いらっしゃいましたら、ゴメンちゃい。m(_ _)m


さてさて、誕生日の朝。

拙宅から丁度1時間ほど離れたお茶室までのドライブから始まりました。誕生日をお茶会で……という事ではなくて、仕込み中の『展覧会&お茶会』の会場下見ツアーであります。

今回の企画ではご縁があって、勝手に狂言回し的中間管理職を担っております。
集ったメンバーは、作品製作以外に適材適所で能力やアイデアを発揮する方々にお願いしました。
そういう事で人数が多いにも関わらず、物事がサクサク決まり、実に気持ち良い打ち合わせとなりました。全員が前のめりでなくては面白くないのだ!

ただし『職業的に扱う素材に人格が似る』という自説に従うと、ヤキモノ屋が大部分ですから、現場合わせな部分もかなり残っております。
流石に、ライター、デザイナー、フォトグラファーのメンバーは事前打ち合わせからして理路整然としています。
ヤキモノ屋は……まぁ、最終的に納まるべくして完成するハズですわ。( ← ホメてるよ!)


こうして、庭を見ながら、「11月を踏み切らねばな」とアレコレ思うのでした。

そして、枯山水をアレコレ蹂躙するご不孝をお許し下さい……。


お昼過ぎに終わったので「昼食でも…」という流れ。
人数が半端だったので、そのままお誕生日席に座り……、周囲の方々からオメデトウやら、生メロンジュースやら、コーヒーやらを頂戴して……。
あぁ、あとがオソロシヤ……。しっかりとイベントで働きますよ。


子供たちからは、日付が変わる2分30秒前に「おめでとー」と言われました。
まぁ、目出度いのは小生そのものではなく、産んだ事で母になったその人をねぎらうべきなんだしな。良い良い。


さて、瓢軽て参りましょうぞ! 


そして、いつも言いますが、『おいしい一年になりますように』 ( ̄ε ̄)~♪

































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鹿の頭骨

2015-10-23 18:56:19 | Weblog


過日の夜。色々お世話になっている某氏が来られました。

「渡邊家にはこれが要るでしょ」と、車から鹿の頭骨の登場である。無論二つ返事で頂く。半年ほど、土に埋めていたとか。角が大きくてカッコイイ。
闇夜に浮かぶ乾湿どちらとも言えない独特な質感と色。良いねぇ。

翌日、たまたま歯科医の先生が拙宅に来られて「見て見て~~」と見せる。(←ほとんど子供の自慢)
流石に医者だけあって静かに観察。「歯が磨耗してますねぇ」「この穴に神経が通ってて、ほほぅ、脳はこのサイズか…」「鼻腔が長いね」
ふむふむ。勉強になります。

概ね、この話に対するリアクションは、「うわぁ、ええなぁ~~」か「うげぇ、やめて」のどちらかである。
拙宅の子供は「うひょ~~」と喜んでいる。まぁ、誰に似たかは言うまでも無い。

記念撮影もしっかりとやった。


さて、それから数日後、遠方の弟弟子くん夫妻がご来宅した。またしても例によって「見て見て~~」である。

奥様(陶芸家)が「うひょ~~」で、旦那君が「……」
奥様の感動っぷりが良かったので、頂いた方の許しを得て進呈することにする。しかし、旦那は他の話をしていても事あるごとに「要るん?」「要るん?」と奥様に訊いている。
その温度差がかなり面白くて、「これは是非持って帰って頂こう」という使命感に変わる。ヤル気スイッチが入ったな。 Ψ(`∀´)Ψ

その後、旦那の困惑顔を完全無視して袋に入れて渡すと、奥様は大事そうに抱いて車に乗り込み、骨はヒザの上に。(←荷物が多くて、そこしかスペースが無かった)

かくして、弟弟子くんは骨と並んで帰って行きました。


さて、今頃どうしてるんだろうなぁ。

いつか見に行ってやろうっと。( ̄ε ̄)~♪
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