前回に続きハマクラさんの曲を取り上げてみました。
「歌えば天国」のアルバムに入っている12曲中、8曲がありました。
最初は彼が多くの作品を提供している守屋浩の6枚、
1959年の「僕は泣いちっち」に続き、翌60年には「有難や節」もヒットしています。
「銀座の子守唄」は同じ60年に和田浩治が歌っていますが、こちらは71年の発売です。
67年2月に発売され、大ヒットした石原裕次郎の「夜霧よ・・・」と「粋な別れ」、
どちらもA面扱いの、素晴らしい詩と曲(もちろん歌も)です。
このレコードは、初盤(左)と、再発盤(中央)がありました。
裕ちゃんには全部で4枚のアルバムを提供しています。
66年5月に「恍惚のブルース」でデビューし、80万枚を売り上げた青江三奈、
続く2枚もハマクラさんの曲です。
島倉千代子の2枚は、67年と87年のヒット曲、
都はるみの「たった一つの愛の星」は、
NHK歌のグランド・ステージの新しい歌として、72年2月に発表されています。
この年は裕ちゃんの「恋の町札幌」も、
ベテラン3人(組)は、
65年のマヒナ、64年の旭、67年のオミズ、
タイトルにいずれも「星」が付く西郷輝彦の歌は、65年、66年、67年発売の3枚、
そして66年「バラが咲いた」のマイク真木、
66年「夕陽が泣いている」、67年「風が泣いている」のザ・スパイダース、
70年「もう恋なのか」の、にしきのあきら、
坂本九の「夢はどこにある」は、67年の映画主題歌(監督 山田洋次)です。
山田太郎が歌う「エンピツが一本」は、元々九ちゃんが67年に歌っています。
最後はいずれもメジャーでのデビュー曲となった3人、
67年「花と小父さん」の伊東きよ子、
69年「みんな夢の中」の高田恭子、
そして73年、台湾出身の方怡珍の「我愛你」で、共に個性ある歌手です。
ここに掲載したアルバムは、ハマクラ・ミュージックのほんの一握りの曲(詩)ですが、
実に幅広いジャンルの歌に、改めてその偉大さを認識しています。
「歌えば天国」のアルバムに入っている12曲中、8曲がありました。
最初は彼が多くの作品を提供している守屋浩の6枚、
1959年の「僕は泣いちっち」に続き、翌60年には「有難や節」もヒットしています。
「銀座の子守唄」は同じ60年に和田浩治が歌っていますが、こちらは71年の発売です。
67年2月に発売され、大ヒットした石原裕次郎の「夜霧よ・・・」と「粋な別れ」、
どちらもA面扱いの、素晴らしい詩と曲(もちろん歌も)です。
このレコードは、初盤(左)と、再発盤(中央)がありました。
裕ちゃんには全部で4枚のアルバムを提供しています。
66年5月に「恍惚のブルース」でデビューし、80万枚を売り上げた青江三奈、
続く2枚もハマクラさんの曲です。
島倉千代子の2枚は、67年と87年のヒット曲、
都はるみの「たった一つの愛の星」は、
NHK歌のグランド・ステージの新しい歌として、72年2月に発表されています。
この年は裕ちゃんの「恋の町札幌」も、
ベテラン3人(組)は、
65年のマヒナ、64年の旭、67年のオミズ、
タイトルにいずれも「星」が付く西郷輝彦の歌は、65年、66年、67年発売の3枚、
そして66年「バラが咲いた」のマイク真木、
66年「夕陽が泣いている」、67年「風が泣いている」のザ・スパイダース、
70年「もう恋なのか」の、にしきのあきら、
坂本九の「夢はどこにある」は、67年の映画主題歌(監督 山田洋次)です。
山田太郎が歌う「エンピツが一本」は、元々九ちゃんが67年に歌っています。
最後はいずれもメジャーでのデビュー曲となった3人、
67年「花と小父さん」の伊東きよ子、
69年「みんな夢の中」の高田恭子、
そして73年、台湾出身の方怡珍の「我愛你」で、共に個性ある歌手です。
ここに掲載したアルバムは、ハマクラ・ミュージックのほんの一握りの曲(詩)ですが、
実に幅広いジャンルの歌に、改めてその偉大さを認識しています。