あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

佐藤允彦の初期のアルバム

2013-03-31 | JAZZ
佐藤允彦がレコーディング・デビューしたのは1968年に録音された「パラジウム」で、ボストンのバークリー・スクール・オブ・ミュージックを同年8月に卒業し、帰国してすぐのことです。(LP発売は翌年)
同時期にバークリーで学んだベースの荒川康男と組んで、デュオで活動を始め、やがてドラマーの富樫雅彦の参加によりトリオとなって、当時としてはジャズ界屈指のピアノ・トリオとなりました。
このアルバムではレノン=マッカートニーのコンビが作った「ミッシェル」が演奏されており、ベースの導入部から始まってピアノが1コーラステーマを弾きアドリブに入りますが、その演奏はカッコいいです。
途中でベースのフリーなソロに絡んでドラムとの掛け合いもあり、14分51秒が長さを感じず、あっという間に終わります。
このようにビートルズの曲をジャズ化したものは他にも沢山ありますが、この曲に関してはこれがベスト・プレイであると思います。
今回このパラジウムを取り上げたのは、3月20日にレコード盤が再発売され、チョッと話題になったことで、当時の佐藤允彦のアルバムを改めて聴いてみたからです。

この再発盤のセールス・ポイントを販売元のチラシから記載すると…
1)オリジナル・マスターテープからのデジタルを一切介さずにカッティング
2)マスター盤から直接プレスする「マスター盤プレッシング」
3)オリジナル盤同様の「赤盤」を再現


そして、マスター盤プレッシングについては…
通常のレコードは、カッテイングされたラッカー盤からマスター盤 ⇒ マザー盤 ⇒ スタンパー盤という製造工程でプレスされるが、今回はマザー盤、スタンパー盤を製作せずにマスター盤から直接プレスし、2度のコピーを省くことからカッティング時に近い溝が形成され、よりダイレクトでリアルな音の再生ができる。
デジタルを一切介さず、オリジナル・マスターテープから全工程アナログ処理でカッティングしている。


ということで、録音当時から40年以上経過しているためドロップ等の問題はありますが、オリジナルテープが残っていること自体が素晴らしいことでもあり、再発盤の意義もあるため、早速購入し聴き比べてみました。

「PALLADIUM」 東芝 EP-8004
(再発盤はEMIとなっていて、レーベルの上部の文字が当時のものと異なります。一方ジャケットは再発盤のほうが少し色濃く、反対にレーベルの色は薄いです。)
   
1. OPENING
2. MITCHELLE
3. DER ZWEIG VON SALZBURG (ザルツブルグの小枝)
4. PALLADIUM
5. SCROLLIN’
6. CLOSING
佐藤允彦(p) 荒川康男(b) 富樫雅彦(ds) 1968年録音

私が以前から所有していたLPは、最初に発売された時期のものですが、黒盤であるからして全くのオリジナル盤ではありません。
オリジナル盤は、静脈血のようにドス黒い血の色の赤盤です。
また再発盤は、当時の染料がないため動脈血のような鮮血な赤盤であるとの断りがありました。
よって全くのオリジナル盤と再発盤との比較という訳にはいきませんでしたが、再発盤の音の全てがとてもクリアで、特にピアノの音が素晴らしく、40年以上に前にこのような録音がされていたことに改めて驚きました。

このアルバムは、発売当初から好んで聴いていたので、CDで発売された時も購入していました。
最初は1996年に東芝EMIから、次は2005年にブリッジから…
 
こうして色々比較してみましたが、今回の再発盤LPが最も好みの音でした。

またこのLPの再発売を記念して、6月1日に秋葉原のTUCで「パラジウム・セッション」というライブがあります。
残念ながら富樫雅彦はここに参加できないので、代わりに村上寛が出演することになっています。


それから上記のパラジウムと、以下に紹介するドイツでの2枚のアルバムを繋ぐものとして、下記のアルバムも録音されています。(写真はCDです)
「TRANSFORMATION ’69/’71」

1. TIGRIS
2. ON A CLEAR DAY
3. TRANSFORMATION / PART 1 & PART 2
佐藤允彦(P) 荒川康男(b) 富樫雅彦(ds)  1969年3月17、20日  1971年3月2日録音

このアルバムは、69年と71年の演奏がLPの片面ずつに収めされていて、A面は上記のパラジウムに、B面は下記のベルリンのライブに似た内容となっています。

佐藤允彦は、以前紹介した山下洋輔や日野皓正と同じように、1971年と72年にヨーロッパで演奏しています。
当時の演奏がLPで発売されていますので、その内の2枚を紹介します。

「PENETRATION(透徹)」 東芝 TP-9521Z
   
佐藤允彦(p) 荒川康男(b) 小津昌彦(ds) 1971年11月9日録音
1. POISE      (21分44秒)
2. ROUTE 29E  (18分41秒)

この作品は、1971年のベルリン・ジャズ・フェスティバルの実況録音で、A面、B面各1曲の演奏ですが、始まるまでには色々スッタモンダがあったようです。
その辺の経緯と演奏会の内容は、油井正一さんの解説書と、当時佐藤の伴侶であった中山千夏さんの両名が熱く語っていますので、一緒に掲載しました。
ところで中山千夏さんをご存知ですか?
彼女は作家ですが、「あなたの心に」という歌を唄っていた時代もあるし、NHKの「ひょっこりひょうたん島」の博士の声の主でもありました。

「TRINITY」 enja 2008

1. TRINITY  (22分40秒)
2. FAR TRIP  (22分45秒)
佐藤允彦(p) PETER WARREN(b) PIERRE FAVRE(ds)  1971年11月3日 
LIVE AT THE 「STUDIO 70」MUNICH

こちらは上記のベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演する前に、ミュンヘンのスタジオで少人数のオーディエンスの中で録音されたもので、メンバー紹介と拍手の後に演奏が始まります。
米国国籍のベーシストと、スイス国籍のドラマーはフリー・ジャズ関連のアルバムにも登場する人たちで、このアルバムは2曲とも無調のフリー・ジャズです。
フリー・ジャズのピアニストと言えばセシル・テイラーや山下洋輔が有名で、いずれも破壊的?なピアノ演奏が多いですが、このアルバムの大半は「静」の演奏で、当時のヨーロッパのフリー・ジャズにはこのようなサウンドのものが多くありました。きっと流行っていたのでしょう。
しかしその現場にいたらそうでもないのでしょうが、両面45分をしっかり聴くにはチョットしんどいです。

また1972年6月には同じenjaから、ヴァイブラフォン奏者のカール・ベルガーを始めとしたヨーロッパの人達と「WITH SILENCE (enja 2022)」というアルバムも製作していて、これもフリー・ジャズに近い内容です。

その後の佐藤允彦は、ソロや、オーケストラと共演したり、ジャズ以外の音楽にも取り組んだり多彩な面を見せていましたが、最近はまたピアノ・トリオで演奏する機会が多くなっているようです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電車ホームの安全ガードと緑の山手線

2013-03-30 | 日々の暮らし

最近は連日のように電車のホームから転落したり、入線してきた電車との接触事故が発生するようになったため、まだ雪の残る1月16日に山手線池袋駅のホームに安全ガードが登場しました。
(このガードに正規に扉が付いて、電動動作が完成したのは3月半ばです)
時を同じくしてこの16日、山手線に今のウグイスカラーとなった車両の50周年を記念して、車体を緑色にラッピングした車両が1両だけ登場することになりました。
   

フリー百科事典から「ラッピング車両」を拾ってみると
ラッピング車両(ラッピングしゃりょう)とは、あらかじめ広告を印刷したフィルム(ラッピングフィルム)を車体に貼り付けるラッピング広告を施されたバス・鉄道車両などのことである。
野外の看板などと同様に、都道府県や政令指定都市、中核市の屋外広告物条例の規制を受ける例が大半である。
なお、塗装による広告の車両は本来はこの名称の対象外であるが、この項目では交通機関の車体全面を使った広告について、広く取り扱う。

2000年4月に当時の石原慎太郎東京都知事の発案により、東京都交通局の路線バス(都営バス)に登場した時、マスメディアを通じて「ラッピングバス」の名称が広く使われ、一般に普及した。
しかし、営業収入の赤字を補うため、バスなど車両の車体全面を広告媒体にする手法は、都営バスが最初ではない。それ以前より世界的に行われていた。
日本の路線バスに限っても、1970年代から全国各地の地方路線バス事業者(青森市交通部、くしろバス、京阪バス、琉球バス(現琉球バス交通)など)で見られた。他の交通機関に広げれば、1964年に長崎電気軌道の路面電車で実施されており、現在では路面電車やバスにおける全面広告は一般的な存在になっている。
しかし、当初の全面広告は塗装によるものであり、施工に多大な手間を要するため、短期間の広告には不向きであった。また、デザインにおいても制約が大きかった。
それに代わって、1990年代中頃からフィルムを使う方法が普及している。まずあらかじめ粘着フィルムに広告を印刷し、そのフィルムを車体に貼り付ける。その際、フィルムは部分的に切り取るなどし、ドアなどの可動部を支障したり、エンジン放熱用の穴をふさいだりすることがないように処理する。
側面や後部の窓もメッシュ状のフィルムを使用することで、車内からの視界を損なわずに装飾に使うことが可能になっている。塗装に比べて施工や契約終了後の撤去作業が容易であるため、イベントや新製品などの短期間の広告にも向く。
ただしこの方法は高速で移動し気圧の激しく変化する旅客機や、高速列車には全面に用いることは出来ない。
このように、車両をフィルムで包み込む(wrap)ことから「ラッピング車両」と名づけられている。


ということで、この「緑の山手線車両」のシャッター・チャンスを狙っていました。
なんたって1両しか走っていないので、山手線1周を約1時間とすると、1時間に1回しか遭遇しません。
それも私が山手線のホームに立つのは、朝夕の通勤時間帯に限定されており、人混みを避けてともなれば、本当に限られた時間しかチャンスが巡ってこないことになります。

しかし待っていればチャンスは来るものです。
時は3月25日(月)、6時44分、安全策の扉が付いて一週間が経ち、ホーム全体を撮ろうとカメラを構えたその時に、池袋外回りに登場しました。
そしてもう1枚と思っていた所に、反対側の内回り電車がホームに入ってきて、肝心な車両の先頭がさえぎられてしまいました。 ~ううん・残念!
それでも待ちに待ったワンショットだったので、早速ここに掲載しました。
   

なお一般車両の中には、2020年の東京オリンピック招致のポスターが掲載されているものもあり、今年の秋には開催地の最終結果がでます。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の味「和」

2013-03-29 | グルメ
先日職場の人達と連れ添って、4人で早稲田通りにある「和(かず)」に行き、和食とお酒と「ダジャレ」を頂きました。
初めて行った場所だったので、早速写真を撮りました。
   

まずはアサヒ・スーパー・ドライの「生」で乾杯!
で、お通しは「鮪のタタキ」…
そして最初にオーダーした「おまかせお造り盛り合わせ+平目」が出てきました。
写真をご覧ください。
  
手前に並んだ少し透き通ったお刺身はと言えば…
綺麗に平面に並んでいるので、早速ダジャレが飛出し「これが平メ」だそうな…
ということでまずは全員で大笑い…
このお刺身の中央にあるのは「平目のエンガワ」で、エンガワはお寿司のネタでは頂いたことがあるものの、お刺身では初めての経験で、シコシコ・コリコリで美味でした。
その奥にある魚は「シマアジ」で、お刺身を食べ終わった後で、カリカリの唐揚げとなって再登場しました。

その他にオーダーしたものと言えば…
かりかりジャコ・サラダ、 地鶏卵の卵焼き、 野菜の天麩羅盛り合わせ、 ごぼうの唐揚げ、 南部どりの唐揚げ…
   

そしてこの間、ダジャレとお酒を頂いて、最後に日本蕎麦で〆となりました。


落ち着いたお店で食事も美味しかったですが、値段もね!


ところで早稲田通りには、このお店から2~300メートルの範囲に色々ありますので、紹介します。
直ぐ近くのタイ焼き屋さん(最近開店したようです)
昔からある映画館「早稲田松竹」
その隣が豆腐料理とお酒が美味しい「もめん屋」
そして高田馬場方面へ少し行くと、バーボンが美味しく、時々ライブも行われる「コットンクラブ」
それから地下鉄東西線の先が中古LP、CDの「タイム」などなど…
    

ということで、いつもお世話になっている店舗が沢山並んでいます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝の火災

2013-03-28 | 日記
3月28日(木)朝7時前、出勤途中のJR高田馬場駅で下車したところ、多くの消防自動車が並び辺り一面に煙が立ち込めていました。
そして異様な臭いもしていました。
直ぐ火事だと気が付きましたが、当然近くには行けません。
駅前で写真を撮り、その後空を見上げたらヘリコプターが上空で止まっていましたので、桜の花と共にこれも1枚パチリと…

 

昼休みに火災の詳細が記事としてでていました。

火災:高田馬場の飲食店街 6棟全半焼  
毎日新聞 2013年03月28日 11時39分(最終更新 03月28日 12時02分)

火災で焼け落ちた住宅の屋根と現場検証をする消防署員ら=東京都新宿区で2013年3月28日午前9時30分、本社ヘリから

 上空からの写真  
 
28日午前5時20分ごろ、東京都新宿区高田馬場3の木造モルタル2階建て店舗兼住宅から出火、周囲の店舗などに燃え広がり、計6棟、約380平方メートルを全半焼した。
警視庁戸塚署や東京消防庁によると、火元となった店舗兼住宅の女性(56)が病院に運ばれたが軽傷。1階倉庫部分が激しく燃えていたという。
現場はJR高田馬場駅西口の飲食店などが密集する「さかえ通り」の一角。消防車約30台が消火にあたった。【浅野翔太郎】


地震は恐ろしいし、火災も怖い。
でも火災は気を付ければ防げます。
皆さん「火の元」には気を付けましょう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の愛聴盤(第9回)

2013-03-27 | 私の愛聴盤
第9回はチック・コリアの「ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス」です。

チック・コリアは、1941年6月12日マサチューセッツ州チェルシー生まれで、ジュリアード音楽院卒業後ブルー・ミッチェル、ハービー・マン、モンゴ・サンタマリアらとの共演からキャリアをスタートしています。
イタリア系とスペイン系の血をひいていることから、メロディにもリズムにもラテン系が多く、その系統の音楽について初期の作品の中から拾ってみると、1971年に発表したピアノ・インプロビゼーション第1集の中のサムタイム・アゴーや、続いて1972年に発表され大ヒットとなったリターン・トゥ・フォーエヴァーで聴くことができます。
そしてチック・コリアの音楽は、ジャズを主体とするも、ボサノヴァ、ロック、フィージョン、クラシックと幅広い分野での演奏があります。
   

レコーディング・デビューは、1964年にブルー・ミッチェルのリーダー・アルバムに参加した「ダウン・ウイズ・イット」辺りではないかと思われ、これについては日野皓正の自作曲である「アローン・アローンアンドアローン」で紹介済です。
また最初のリーダー・アルバムは、1966年の「トーンズ・フォー・ジョアンズ・ボーンズ」というピアノ・トリオによるもので、今回取り上げる「ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス」は2番目となっています。
チックはこの時期、ハービー・ハンコックに代わってマイルス・デイビスのバンドにも参加しており、マイルスのアルバムでいうと、1968年のキリマンジャロの娘から1972年のオン・ザ・コーナーまでのレコーディングに参加していました。
また1970年には「サークル」というバンドを結成し、一時期はフリー・ジャズの演奏を行っていたこともあり、その成果は公式的には4枚のアルバムで発表されています。
この手の音楽は、当時私が好んで聴いていたものなので、後日改めて書きたいと思っています。

ということで、今回のアルバムを紹介します。
「NOW HE SINGS, NOW HE SOBS」 Solid State SS18039
    
 1. STEPS WHAT WAS
 2. MATRIX
 3. NOW HE SINGS NOW HE SOBS
 4. NOW HE BEATS THE DRUM - NOW HE STOPS
 5. THE LAW OF FALLING AND CATCHING UP

 6. SAMBA YANTRA
 7. BOSSA
 8. I DON’T KOW
 9. FRAGMENTS
10. WINDOWS
11.GEMINI
12. PANNONICA
13. MY ONE AND ONLY LOVE
CHICK COREA(p) MIROSLAV VITOUS(b) ROY HAYNES(ds)   1968年3月14、19、27日録音

このアルバムは当初上記の1~5までの5曲がレコード化され発売になりました。
そして版権がソリッド・ステートからEMIに移った時に、当時のプロデューサーであったマイケル・カスクーナによってブルーノート音源の発掘作業が行われ、再発2枚組として全曲が日の目を見ました。
よってこの時点で既にボサノヴァや、セロニアス・モンクのオリジナルなどもレコーディングされていましたが、発表されたのは後になってからです。
余談ですが、10曲目のウインドウズは、1967年3月にスタン・ゲッツの「スイート・レイン」というアルバムでもレコーディングされ、その後も度々演奏されています。
 

また「ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス」のLPジャケットに解説書は無く、代わりにチック自身の呪文のような文章が掲載されていて、当時キングから発売になった日本盤のレビューを担当した油井正一さんは、タイトル曲も中の文章も「何のことかさっぱりわからん」と言っていました。
発売時にスイング・ジャーナル誌のレビューを担当したのは、独特の表現で人気のあった植草甚一さんでしたが、その記事をジャケットと共に掲載しました。
ちなみに植草さんが亡くなった時、膨大なレコード・コレクションを譲り受けたのはタモリです。

このアルバムが日本で発売になった時、ジャズ・ジャーナリズムは「スゴイ新人が登場した」と言って非常に高く評価しましたが、一時帰国した秋吉敏子さんは、アメリカにはキース・ジャレットというもっとすごい新人がいると言っていました。
当時日本では、チャールス・ロイドのバンドに在籍していたキースの存在は知られていましたが、評論家の間ではやれチックだ、いやキースだと言い合っていた時代もありました。
そしてこの1968年は、ハービー・ハンコックがBNへ「スピーク・ライク・ア・チャイルド」を、またキース・ジャレットはヴォルテックスへ「サムホェア・ビフォー」をレコーディングしている重要な年でもあり、このアルバムが吹き込まれたのも45年前の3月ということになります。

そしてこれが今でも高い評価を受けているのは、ビル・エヴァンスより一回り若いチック・コリアが1968年という時点で、全く新鮮な感覚の音楽を作り出していたことと、共演したミロスラフ・ヴィトウスと、ロイ・ヘインズとの3者から生み出される緊張感が素晴らしいからです。
それは上記13曲の中から5曲だけが選ばれて、最初に世に出たことからも納得できます。
他の曲も演奏は良いですが、仮に2枚組で全曲が網羅されていたらアルバムの統一感に欠けるため、これほどまでに高い評価は得られなかったと思います。

チック・コリアをリーダーとするこのグループは、その後も度々共演しており、1981年11月には即興曲とセロニアス・モンクの曲によるLP2枚組の「トリオ・ミュージック」を、また1984年9月にはスタンダードとオリジナルによる「トリオ・ミュージック・ライブ・イン・ヨーロッパ」を共にドイツECMに残しています。
そして最近では、NYのブルーノート・ジャズ・クラブに出演したDVDも発売され、スタンダードを演奏しています。
この映像はDVD10枚組の内の1枚で、チックがこれまでセッションしてきた様々なメンバーで、それぞれ成り立っています。
     

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の桜

2013-03-26 | 日々の暮らし
今年も桜の季節がやってきました。
今年は例年より寒暖の差が激しかったと感じていますので、「花」は暖かくなった瞬間にあわてて開花したような印象でした。
従って何時もなら4月1日の入学式が見ごろとなるのに、今年はその前に散ってしまいそうです。

日本の桜といえば大半が「ソメイヨシノ」のことですが、漢字では「染井吉野」となります。
このソメイヨシノは、バラ科の落葉高木で、オオシマザクラとエドヒガシの雑種です。
この桜の名の由来ですが、「染井」とは江戸の染井村のことで、現在の東京都豊島区巣鴨や駒込あたりの旧地名です。
当時ここには造園師や植木職人達が大勢いて、桜の名所として古来より名高い大和の吉野山にちなんで「吉野桜」として売られていたようです。
その後、藤野寄命による上野公園のサクラの調査によって、ヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり、この名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあるため、1900年に「染井吉野」と名付けたと言われております。


ということで巣鴨でも駒込でもありませんが、同じ豊島区の桜を紹介します。
3月25日と26日に、明治通りの高戸橋交差点から神田川沿いを早稲田方向に向かって撮影しました。
1枚目の「神田川」の看板の後ろの大きなビルがビックカメラの本部で、3枚目の桜の写真の中央奥にそのビックカメラのビルが見えます。
また4枚目の写真の大きいビルの先が早稲田大学になります。
    

途中で桜の樹に直接咲いている花や、薄いピンク色のソメイヨシノに対し、オオシマザクラでしょうか、真っ白い花をつけた大木も1本ありました。
    

ソメイヨシノは、同じソメイヨシノ同士での交配が出来ないため、自然に増やすことは不可能です。
種子で増やすと親の形質を必ずしも子に伝えることが出来ないため、ソメイヨシノというすぐれた形質を残し増やす方法は、全て接木等の方法でしか繁殖が出来ないそうです。
従って全てのソメイヨシノは同一の遺伝子を持っているので、同一条件だとほぼ同時に花を咲かせることが出来ることから、場所による「桜の開花宣言」や「桜前線」というのも納得できます。

また神田川沿いには、若い桜の木も同じように花をつけていました。
  

そして最後はやっぱり上野公園です。
出かけて行ったのは23日の土曜日の昼時でしたが、上野駅で山手線を下車し公園口改札に出たところ、出口までは20mはあるかという長蛇の列にびっくり…
そしてやっとたどり着いた目的地もご覧の通り、人・人・人でいっぱい…
これが「日本の春」であることを、再認識した数日でした。
   

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リタ・ライスの2枚

2013-03-25 | JAZZ
リタ・ライスは1924年12月21日、ロッテルダム生まれで、同じオランダ出身のアン・バートンと共に有名な女性ジャズ・歌手です。
音楽一家に育った彼女は16歳で歌手になったとされています。
1945年頃からヨーロッパで本格的な活動に入り、1956年に初めてアメリカに渡り「バードランド」に出演したことで、結成間もないジャズ・メッセンジャーズとのレコーデジングを果たしています。
ここからの記録はオランダ・フィリップス・レコードに順次録音されており、日本でもLPやCDで幾度か発売されました。
まずは本場米国人が関与したジャズ・メッセンジャースとのセッション、並びにオリバー・ネルソンのアレンジで録音した2枚を紹介します。
 
左側録音:1956年6月25日/NYC   右側録音:1965年10月16~18&25日/オランダ・ヒルヴェルサム
フィリップス時代のCDは、上記2枚を含め全部で7枚が1997年から2003年に掛けて紙ジャケットで発売されています。

リタ・ライスはアン・バートンの唄伴でも有名な、ルイス・ヴァン・ダイクや、現在の伴侶であるピム・ヤコブスとのレコーディングも残しています。
ついでにピム・ヤコブストリオの有名なアルバムも1枚紹介します。
「COME FRY WITH ME」 (PHILIPS 6423 529)

1. I’VE GOT THE WORLD ON A STRING
2. SPRING WILL BE A LITTLE LATE
3. COME FLY WITH ME
4. AUTUMN LEAVES
5. WHO CAN I TURN TO
6. I LOVE YOU
7. BODY AND SOUL
8. SULTRY SERENADE
PIM JACOBS(p) RUUD JACOBS(b) PETER YPMA(ds)  1982年録音

ここからが、今回の本題です。
私はリタ・ライスも好きな歌手の一人で、アン・バートンがどちらかと言えばサラッと歌うことが多いのに対し、リタは抜群のリズム感と、粘っこい独特のフィーリングを持っていて、米国の著名な歌手たちと比較しても決して劣らない実力の持ち主であるからです。
ここで紹介するのは、フィリップス時代より後に録音された2枚で、共にオランダ盤LPです。

1枚目はCBSからのもので、ピム・ヤコブスがバックを務め、ジョニー・グリフィンが参加しているところも聴きものです。
「 THAT OLD FEELING」 (CBS 83981)
 
1. TOO MARVELOUS FOR WORDS
2. FLY ME TO THE MOON
3. POOR BUTTERFLY
4. MY FOOLISH HEART
5. MR. WONDERFUL
6. THAT OLD FEELING
7. OVER THE RAINBOW
8. REMEMBER
9. EVERYTHING HAPPENS TO ME
10. ISN’T IT ROMANTIC
11. THE TOUCH OF YOUR LIPS
RITA REYS(vo) PIM JACOBS(p) RUUD JACOBS(b) PETER YPMA(ds) 
JOHNNY GRIFFIN(ts)  1979年録音

曲目は上記の通り、スタンダードがずらりと並んでいて、フィリップス時代と比べ、声質は少し変わりましたが円熟味が増し、上手さが加わりました。
またジョニー・グリフィンは、唄伴だけあって普段のゴリゴリ感はなく、非常にスムースな音色で健闘しています。
途中でソロも披露しており、テナー・サックスの演奏も楽しめます。
またCBSのレーベルも、以前のものとは異なり、このような発見も面白いです。

2枚目はポリドールからのもので、アン・バートンの伴奏でも有名な、ルイス・ヴァン・ダイクとのデュオです。
ジャケットの表面は少し灰色が掛った黒色で、お茶のイラストがあるだけです。
たまたま内袋に写真があったので、ここに掲載しました。
「TWO FOR TEA」 (POLYDOR 833 - 893 - 1)
  
1. PEOPLE WIKK SAY WE’RE IN LOVE
2. IT MIGHT AS WELL BE SPRING
3. THE WAY YOU LOOK TONIGHT
4. SKYLARK
5. YOU’RE THE CREAM IN MY COFFEE
6. TEA FOR TWO
7. SMOKE GETS IN YORE EYES
8. WHEN I TAKE MY SUGAR TO TEA
9. YOU BROUGHT ME VIOLETS FOR MY FURS
10. DANCING ON THE CEILING
11. AUTUMN IN NEW YORK
12. I WISHED ON THE MOON
RITA REYS(vo) LOUIS VAN DIJK(p)  1987年録音

こちらも多くのスタンダードが入っていますが、1枚目のアルバムとは異なりピアノをバックに淡々と唄っています。
6番目で「TEA FOR TWO」を唄っていますが、アルバムタイトルが「TWO FOR TEA」というのも洒落ています。
こういう彼女のアルバムは初めてですが、歌の上手い人はこのようなものもやはり良いです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の愛聴盤(第8回)

2013-03-24 | 私の愛聴盤
第8回はブルー・ミッチェルの「ブルース・ムーズ」を取り上げました。

ブルー・ミッチェル、本名リチャード・アレン・ミッチェル(Richard Allen Mitchell)
(1930年3月13日 - 1979年5月21日)
フロリダ州マイアミ出身で、ハイスクール卒業後1951年にプロ活動を開始し、アール・ボスティック楽団を始めとしたR&Bのバンドで演奏、後に同郷のキャノンボール・アダレィに見出され1958年に共演し、リバーサイド・レコードに録音しています。
その後ホレス・シルバー・クインテットに入団し、1964年にはテナー・サックスのジュニア・クックとコンボを結成、日本にも3度来日しています。

ブルー・ミッチェルのリバーサード・レコードへの録音を最初から列記してみると、Big 6(1958)、Blues On My Mind(1958)、Out Of The Blue(1959)、Blue Soul(1959)、そして今回のBlue’s Moods(1960)となり、2枚目からは全て「Blue **」という文字が並んでいることに気が付きます。
今回のブルース・ムードは初めての全曲ワン・ホーン・ジャズで、彼のトランペット・ソロを聴くには最適のアルバムです。
共演しているメンバーも実力者ぞろいで、曲も粒ぞろいです。
「BLUE’S MOODS」(RIVERSIDE RLP 336)
  
1. I’LL CLOSE MY EYES
2. AVARS
3. SCRAPPLE FROM THE APPLE
4. KINDA VAGUE
5. SIR JOHN
6. WHEN I FALL IN LOVE
7. SWEET PUMPKIN
8. I WISH I KNEW
BLUE MITTCHELL(tp) WYNTON KELLY(p) SAM JONES(b) ROY BROOKS(ds)  
1960年8月24日、25日録音
全8曲はいずれも素晴らしい出来ですが、特にお勧めは1曲目のスタンダード・チューンのアイル・クローズ・マイ・アイズで、頭から8小節のイントロに導かれ、ミッチェルのトランペットがメロディを奏でます。
バックのウイントン・ケリーも良いが、その後のピアノ・ソロは美しいです。
そしてもう1曲は4曲目(オリジナルLPではA面最後の曲)のカインダ・ヴェイグです。
ミッチェルとケリーの共作によるスロー・ブルースで、ベースのサム・ジョーンズが最初から最後までの6分25秒を、ず~と同じパターンの12小節で刻んでいます。
そのベースの上をミッチェル、続いてケリーが演奏するもので、ブルースが得意な両者をたっぷり聴くことができます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉田の馬刺し

2013-03-23 | グルメ
富士吉田には「吉田のうどん」の他に、馬肉を売る店が数多くあります。
中でも馬刺しを販売している評判のお店が2軒ありますので、そのうちの1軒を紹介します。

その前に馬肉食について「フリー百科事典」から拾ってみました。
馬肉食の習慣のある地域は古来より馬の名産地であり、馬の生産と直結した文化が根付いていたと考えられる。
文禄・慶長の役当時、補給線を断たれ食料が底をついた加藤清正軍がやむを得ず軍馬を食したのに始まり、帰国後、清正が領地である肥後国(熊本県)に広めたという俗説がある。
馬肉を生で食べる習慣は熊本県の他、青森県や山形県、福島県(会津地方)、長野県、山梨県に存在する。
現在、馬刺しの消費量は約2万3000トンであるが、日本で流通しているほとんどは、北米産、欧州産、あるいは生体を輸入しての国内肥育もので占められており、純国産はわずかである。
馬刺しには、大別して「トロ」や「霜降り」、「赤身」があり、また一頭あたりから採れる量が少ないので珍重される「タテガミ刺し」や「こうね(タテガミの脂)」のほか、匂いがほとんどない「レバ刺し」や「タン刺し」などもある。
「トロ」と呼ばれる部分は、バラ肉の極上部位であり、赤身に霜がふっている部分を「霜降り」と呼ぶ。
馬のあばら部分の3層肉は「ふたえご」と呼ばれ、コリコリとした食感がある。
馬刺しは、おろしショウガやおろしニンニク、刻みネギなどを薬味に醤油につけて食べるのが一般的である。
また、炙った馬刺しをのせた寿司としても親しまれ、回転寿司などでも見かけるようになった。
牛と異なり馬肉の油脂の融点は低く、口内の温度でも十分溶けるため、霜降り肉でも刺身で美味しく食べられる。
他に小さく刻んだ馬肉を少しの醤油と納豆とあわせて食べる桜納豆がある。


ということで、我々が口にするのは純国産という訳にはいかないかもしれませんが、このお店の「宮野」では国産と表記しています。
それはどうでも良いですが、このお店で売っている馬刺しは美味しいです。
お肉のランクは「馬刺し」「特上馬刺し」「極上馬刺し」の3種類で、霜降りはありませんが、タテガミ(写真の白い部分)は時々入荷しています。
写真は100gで、極上馬刺しの価格は860円でした。
 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉田のうどん(パート2)

2013-03-22 | 吉田のうどん
3月3日に「吉田のうどん」について報告しましたが、また初めてのお店に行ってきましたので、パート2として紹介します。
そのお店の名は「麺許皆伝」といって、下記の地図の「C - 3」にある43番の場所です。
 

まず驚いたのは昼時の12時前から15台以上の車が駐車しており、入れ代わり立ち代わりの混雑…
そしてごらんの通りの行列と店内…
中に入って席に着く前にオーダーし、席に着くとすぐにうどんが出てくる手際の良さ…
   

オッタマゲたのはうどんだけでなく、皿一杯の大きいかき揚げで、うどん丼ぶりの内側とほぼ同じです。(調理場にもありますよね、トッピングの数々)…
そして肝心のうどんは…
メニューには「温」と「冷」があり、写真の裏側には「温」同様、「冷」の品々がありました。
 

今回食べたのは「肉きんうどんの大盛り」で、定番の「馬肉+キャベツ」に、ピリ辛のきんぴらごぼうが入ったものでした。
また、かき揚げを1枚追加しました。
うどんは手打ちでしたが、他の店のものより少し平べったい感じなので、その分「コシの強さ」はあまり感じられませんでした。
馬肉の味付けもさっぱりしていて、スープも醤油ベースで、これも良い感じでした。


次回もチャンスがあれば、また別のお店をレポートします。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする