そうやって、文化文明、都市化が進み、田舎と都会。
なんて言い方、流行ったよね。
田舎モンだから、とかね。
畑や田んぼが住居になっていく様、あれは、中学の頃か。
自宅から北の方は、ほぼ、田んぼばかり、そのあぜ道に毛の生えたような道を。
友達の家まで歩いて、泊まりに行ったな。
と、月日は過ぎ、高校生から大学生になる頃、この辺りにはこんな家もなく。
なんて会話を、彼としたものだ。
住居だらけに様変わりしていたわけだ。
というのは、すでに、何十年も前の話。
表題は、つい先日、父親の実家、のお寺へお彼岸のお参りに行ったんだけど。
駐車場脇の桃園が、綺麗になくなり住宅地になりつつあった。
いつだったか、ちょうど、このくらいの季節か、園内では、受粉、人工的な受粉をしていたな。
ミツバチ、いないのかな、なんて思いながら眺めたことを思い出す。
ちょっと、胸の奥の方がプチッと痛む光景だった。
梃子の原理、カタカナで言えば、レバレッジとなるのか、そんな原理旺盛な世の中。
一つの桃を育て、収穫する収入と、金融業界、投資業界のような。
1から10を産み出す、一見ね、そんな風情濃厚な時代には。
後継者は、桃の育成・収穫を諦めたんだろうか、なんて妄想逞しく、だな。
今朝の珈琲は、パプア・ニューギニアから届けられた豆、シグリ農園と書いてある。
これだって、桃園の桃、みたいなもので。
かの地では、未だに、桃ならぬ珈琲豆を栽培し、出荷しているわけだ。
フェアトレードとかなんとか、欧米でも言われているけれどね。
なんてことに思いを致し、と、ちょっと人権派、社会派を気取りつつ、味わっている。
当方、って絵柄だ。
それにしても、COVID-19関連だけど、政府も、広報官、プレゼン上手な、ね。
そんなポジションを作った方がいいな。
総理大臣は万能ではないしね、それも、全体のコントロールが効いているかどうか。
という課題はあるけれど。
TOKYO2020、だっけ、それが延期になってから、やっと本腰を入れましたね、東京。
みたいな論調もあるけれど、一方で、ひょっとしたら、現状況、いっぱいいっぱいじゃないのか。
なんてこと、浮かんできてね、こりゃ、大変だ、と。
さんざっぱら、行政の効率化、とか、公務員を減らせ、とかの議論が華々しく論じられ。
実際にもスリム化させられていた、ダイエットし過ぎ、あるいは。
古いメンタリティを残したままのダイエットだったのかも、なんて、素人判断も出てきたり、だけど。
イタリアやフランス、スペインなどで、医療崩壊の恐怖を味わいつつ、彼らが医療従事者への。
エールをそこここで送っている映像が流れてくる。
たぶん、今は、それをしつつ、忖度付きのワークからの解放が求められているのかも、だな。
出でよ、ナイチンゲール、ってなもんですが、彼女のような冷徹な、ね。
しかし、そんな、ないものねだりの評論家ポジションでいる場合ではなく、自分としてできること。
に、精出すことだな。
これこそが、自己免疫力と自尊、ってやつだ。
というわけで、わが内なるナイチンゲールを発動させることにします。
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