目の前の相方、生物、と言ったか、忘れたけど。
というのも、個人ミーティングでの出来事、そう、出来事がふさわしいな。
表題のように言い出す。
子育てを終わったら使命を終える、つまり、死を迎える。
というようなことを、話し出した。
次の世代を世に送り出すことで、また、次の世代、と繋げていける。
というような意味なんだろうけど。
今では、そのあとに、孫の守り、なんてのがあって、とも続いたけれど。
そこはおいといて、そういえば、江戸時代なんかだと、40歳前後で、隠居、なんて言ってみたいだよね、と。
こちらも応じ。
お隠れになる、と丁寧語で、高貴な方については話すからね。
ある意味、隠居、なんてのは、社会的な死、世俗的な死、という意味でもあるかも、ね。
ところが、と、それらの流れとは別口を話し出したのが、当方で。
ほとんど、ハラリ教授の受け売り、とも言えるけどね。
この、軟弱極まりないホモ・サピエンスが、ネアンデルタールにも、なんとかエレクトスにも。
勝ち、生き延び、今のような文明を謳歌しているのは、神話を創造する能力を、突然変異なのか。
神のご加護なのか、はともかく、手に入れた、ってことが大きくて、と。
共同性を手に入れたわけだ。
お前と俺とは仲間だ、あいつは敵だ、みたいな、ね。
それによって、生物界の中で、ある一面からみたら、大きな力を持つようになり、今の文明が。
なんてことね。
だから、と、社長たる当方は続けたんだよね。
会社も、単なる、給料を手に入れる、とか、金儲けする、とかのレベルだと、生物的な隠居を迎えちゃうんだ。
神話、myth、とか、legend、とかね、それが大事なんだ、と話は展開し。
この5月に行われる「経営指針発表会」ってのが、ある意味、mith、神話、legendのレベルだ、ってね。
とても面白い展開になったな、とほとんど、強制?言いくるめ?納得させ?みたいにもなったけれど。
しかも、この場に降りてきた、これらの言葉たちは、俺、とか、お前、とかの所有物ではなく。
二人の、共同創造なんだ、なんてね。
というような、大事件があったのが、昨日の個人ミーティング。
事件は現場で起きてるんだ、のだけど、しかし、ミーティングルームも現場なんだぜ、って。
ここんとこ、わかるかな、ワカンねぇだろな、って、古いギャグで〆ますか。