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まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

トイレットペーパーの買占めは。

2020年03月09日 | Weblog

とか、マスクの買占めは、とか。

世間の悪評を浴び、人でもあるかのように、って風情なんだけど。

さらには、お米も他の食料品も、なんて話ね。

許せない、ひどいですね、みたいなコメントがSNSにも流れたり。

僕も、このブログで、頭のいい人にも困ったもんだ、なんて書いたりもしたな。

なんだけど、ひょっとしたら、あの光景、集合無意識、ってやつのなせる技なんじゃないかな。

とも思えて。

だって、日本だけじゃなく、アメリカでも他の国でも、っていうんだから。

社会が壊れていくかも、なんて怖れ、不安、ってのは、誰しも持っていて。

物流が途切れ、人の行き来が制限され、ってわけだから。

消費行動、とか、モノを獲るための行動の分析で、経済学者が一度だって、成功したこと、あるのかな。

なんて疑問も、例えば、エキセントリックな思想家、副島さんが、今月、新刊本を出版されたそうで。

そこでは書いてるらしいけど。

流行作家の五木寛之さんの趣味が、過去の経済学者の予測を集め、現在の結果を採点する。

と、ほとんどが外れている、とかね。

多くの人の行動を、理論で説明するのは、とても難しい、ということなんだ、と。

なんてことはともかく、集合無意識と呼ばれるもの、ってのを感じてみるのも、一つだな。

社会が壊れる、と書いたけど、壊れる、と考えている社会、というのも、一つの仮想、幻想でもあるし。

違ったカタチの社会、ってのが現れる前触れ、とも書けるな、きっと。

どんな社会なのかはわからないけれど。

あるいは、どんな社会にしたいか、って問いかけもいいのかも。

そうすれば、そういう社会になる、ってわけだ。

さしずめ僕なら、朝まだきに、メリタのハンドドリップで淹れた珈琲を、ただ味わう。

あるいは、その前、起きたらすぐに、瞑想を30分。

例えば、今朝なら、グアテマラのラス・ロマス、ただ、その珈琲とともにある。

なんてこと、かな。

って、今と変わらないけどね。

それとか、日々のノートを、紙の、にするか、iPad Air、にするか、試行錯誤する、とかね。

骨ストレッチの基本メニューを一つ一つ再点検する、再体感する、とか。

わがミトコンドリアくん、さま、殿と、どう?、今の感じで、と会話する。

あと何かな、ほぼ、今と変わらぬ佇まいの日々、ってことかも。

社会って、あるようでない、ないようである、みたいな、摩訶不思議な言葉だし。

もしもトイレットペーパーがこの世から消え失せたらどうするか、という命題ですね。

一つは、縄を綯って、張り渡す、どこかの部族で見たことがある、そんな仕儀。

一番自然なのは、腸内環境を整え、括約筋も整え、便を本来のカタチにする。

なんての、ありだな。

つまり、紙いらず、ってことね。

女子はどうする?

そりゃ、粋な姉ちゃん立ち小便、とかさ。

そうなると、食生活も変えなきゃだろうね、きっと。

なんてことに思いは流れていくね。

ということは、トイレットペーパー騒動も、本源的な部分では、そんなことのメッセージ。

とも解釈できるな。

たぶん、2000年前、イエスキリストが生まれた頃だったら、そんなこと、考えたんじゃないのかな。

なんて妄想を、このあたりで〆にします、いや、お開きにします、か。

コメント
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