まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

起きがけに「未知との遭遇」だな、と。

2020年03月27日 | Weblog

そんな思いがやってきた。

思い、と言うのか、アイデア、と言うのか、思念、とか、思考、とか。

なんでもいいけど。

このところ、COVID-19で世も日も開けぬ、って風情なんだよね。

会社的にも、5月が決算で、そのあとの展開をどう考えるか、ってお題もあり。

かつ、日々の社員さんの、あるいは、これからの社員さんの日常とか。

もちろん、我が身の日常、ってのもありだけど。

だけではなく、日々、さまざまに変化、変容する、多くはマスやSNSなどのメディアからの知見。

とかね。

いつにも増して、情報量が多いわけだ。

と言うか、取りに行ってる、とも言えるけど。

そんな中で、やっぱり、表題なんだろうな、と。

夕べ、ヤマザキマリと言うイタリア在住の漫画家さんが、話していた。

なぜなんですか、イタリアの爆発的な感染は?と言う問いへの答えとして。

もちろん、財政難での医療削減はありつつ、濃厚なんだ、と言うんだね。

家族、と言うもの、友人、と言うものへの接触、関わり、コミットメント、ってのが。

それに、よく食べ、よく話し、よく集まる、と言うこと。

週に何度か、あるいは、月にだったか、一族郎党が集まり、食べ、飲み、喋る。

それ、当たり前、デフォ、そこへ参加しないと、なんだかな的な見られ方をしちゃう、とかね。

とにかく、今では、禁忌になっちゃってる観のある、濃厚接触なわけだ。

そりゃ、ローマ帝国の時代から、闖入、侵入、侵略、劫略、言い方はともかく、各地各方面から。

いろんなホモ・サピエンスたちが、姿形を変えて、やってきたと言う歴史の中で。

もちろん、自分たちも出張って行った、ってのは大きいんだろうけど。

そりゃ、みじかな、心を許せる仲間たちとの、再確認、よかったね、一緒にいれて、力を合わせて。

頑張ろうね、って日常は、ありだよな。

なんて思いつつ、そんな社会が、なんとかdistancingなんて言われて、距離を取れ、離れろ。

みたいなメッセージでしょ。

彼らの中では、どうしたんだ、何があったんだ、ってなもんだよね。

加えて、終末医療→看取り→埋葬?火葬?→葬儀、と言う流れが、壊れざるを得ず。

だって、感染者には、例の防護服でもきてなきゃ、だし、そもそも、誰がどこの人で、と言うコントロールが。

崩壊してるようで、誰にも看取られず、看取ることもできず、と。

そこに唯一、最後の、臨終の場面に立ち会う、神父様、その方の存在が、救いなんだそうだ。

そんな、神の使い?代弁者?なんて称するかはわかりませんが、彼らだって。

不死身ではないわけで、当然のように罹患するんだよね。

殉職した医師の数より多くの神父様たちが、お亡くなりになっている、と言うんだね。

なんて話を聴きながら、の独りで過ごす夜だった。

わが方は、サージカルテープを横一文字に貼り付け、そして、眠りについた。

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